出典 http://www.ozawa-katsuhiko.com/index.html
その仏教の影響は、今日の日本人も「葬式」は仏教のお世話になっている事実に現れています。しかし、それにもかかわらず今日の日本人は、自分が「仏教徒であるとの自覚」はまるでなく、葬式・法事・墓参り以外に寺の門をくぐることは滅多になく、日常的に仏壇の前に座るという人は激減しています。
どうしてなのでしょうか、また日本人にとって「仏教」とは、いかなるものなのでしょうか。また、本来の「仏教」とは、どんな姿をしていたのでしょうか。
日本での仏教の衰退
日本の現状を見ると、日本人は仏教徒であるとはとても言えないとも思えますが、どうしてそういうことになったのでしょうか。
まず、もともと仏教は日本に伝来してきたとき「天皇・貴族のもの」として受容されました。ですから奈良・京都には、素晴らしい寺院がたくさん建築されているわけです。こうした「皇族・貴族」のための仏教が日本仏教の本流となり、さらに徳川時代には「檀家制度」が作られて仏教は徳川幕府の「民衆支配の機構」にされました。政治の重要な機構であったために「寺社奉行」などが置かれていたほどです。
そのため明治になって新政府は、この徳川政権の支配構造の一翼として重要機構であった仏教を廃して、新しいイデオロギーとして「神道」を持ってくるため「廃仏毀釈(仏教を廃棄し捨て去ること)」という政策をとったのです。ここで人々は、仏教から離れる機運を持ちました。
しかし一番の問題は、大寺院では「民衆の魂の救済」などといった仏教の本来性などほとんど顧みられてはおらず、あっても「建前」でしかなかったことです。僧侶の階級化は厳しく固定し、上部寺院への上納金で大寺院はうるおい、僧侶の目的は「出世と金と権力」になっていきました(ただしこれは仏教だけではなく、キリスト教も同様です)。
もちろん、その中にあって仏教本来の精神に立って、民衆の中にあって民衆のために生きた僧侶もたくさんいたし、仏とのみ向かい合って生きる修行者も出て、実際のところ彼らによって仏教の精神は保たれてきたのです。
ところが戦後日本ばかりでなく、東洋諸国でも「経済第一政策」がとられて人々は「お金」に価値をみるようになっていきました。こうして大寺院は、ますます「金権体質」を強くしていき、人々は仏教から離れる傾向をさらに強く持ちました。
ところが一番の問題は、それに伴い民衆の中にあって民衆と共に生きていた筈の僧侶たちも、一緒になって「お金第一」に流されてしまったことです。「寺の多角経営」がバブルの時代に大流行しました。そして良く知られる「高額な戒名代」など、仏教の評判は芳しくありません。これでは、ますます民衆の心は仏教から離れるのも当然です。
こんなところが仏教の衰退の原因とされているのですが、もちろん、その中にあって「人々の魂の救済」「平和」へと赴く僧侶もかなりおります。彼らの活動が、どのように仏教を回復していくかが今後の課題となるでしょうが、ここでは取りあえず「仏教の基本」をみていきましょう。
仏教の創始者、釈迦の生涯
仏教の創始者は「お釈迦様」ですが、この釈迦の生まれた年は定かではありません。およそ紀元前5世紀くらいの人とされます。彼はインドの釈迦族(現在はネパールに属します)の族長の子として生まれ、本名を「ゴータマ・シッダールタ」と言いました。
族長の息子ですから、何不自由ない生活であった筈ですが、彼は幼少の時から非常に繊細な神経を持ち、この日常生活の背後に隠されている「人間の悲惨な有様」を感じとっていたとされます。
例えば、春になり畑を起こすと、その中でぬくぬくとしていた虫たちが掘り出されてしまう。暖かな土中で眠っていたその虫は慌てる暇なく、哀れ、飛んできた小鳥に啄まれてしまう。と思うと、満腹を享受したその小鳥は、哀れ、飛来した大きな鳥の爪にガッシリ捉えられてしまう。と思ったその時、獲物を捉えてヤレ嬉しと思ったその大鳥は、哀れ、人の射た矢に地に落ちねばならない。
「人生、これに似て、束の間の喜びの背後に悲惨な運命が待っている」というわけでした。
そしてまた、町の外へと城門をくぐれば、そこには老いさらばえた人、病に苦しむ人、そして死者を運ぶ人に出会わざるをえない。
「人生これ何の意味があったのか、ただ苦しみのうちに生き、死ぬだけのことなのか」
といった具合でした。
これでは誰だって心配になってしまうわけで、当然ながら両親はひどく心配して、結婚すれば普通になるだろうと結婚させましたがやっぱり駄目で、遂に29歳にして家を出て修行の道に入ってしまいます。
修行の途上にさまざまがありましたが、結局、苦行によっては悟りは得られないと覚り、断食をやめて「乳粥」を口にしてこれまでの修行を否定、新たな道を求めていき、ついに35歳で悟りを開いたといいます。
釈迦の問題
上に見られたように、彼の問題は、人間はこの地上に「生まれ、老い、病を得て、死ぬ」という厳然たる事実にありました。この事実の前に、人間の生きる意味は見出だせない。人間は何のために生まれ、生き、死ぬのか。しかも、この人生の中で人は「愛するものを失い」「嫌なもの、憎むべきものに出会わなくてはならず」「欲望は決して完全に満たされることはなく」「心身の苦痛にさいなまれなければならない」(この苦しみを、前半の基本の四苦プラス後半の四苦を加えて「四苦八苦」と呼んでいます)。
しかも、人間はこの死をもって終りとなるのではなく、人は再び別の生の中に投げ込まれ再び苦しみ、そしてまた、と永遠に苦しまなければならない、といういわゆる「輪廻」の世界観が釈迦の前にあったようです。
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