出典 http://timeway.vivian.jp/index.html
ペルシア側が本気でアレクサンドロスを迎えたのが、メソポタミア地方の入り口にあたるイッソスという場所です。ここで、はじめてペルシア大王ダレイオス3世自身が出陣するんです。ペルシア軍公称60万、実際には40万くらいでしょう。それでもギリシア軍の10倍ですよ。
ペルシア側が本気でアレクサンドロスを迎えたのが、メソポタミア地方の入り口にあたるイッソスという場所です。ここで、はじめてペルシア大王ダレイオス3世自身が出陣するんです。ペルシア軍公称60万、実際には40万くらいでしょう。それでもギリシア軍の10倍ですよ。
しかし、この40万の中で本体であるペルシア人は、そんなに多くないと思います。ペルシア人の戦士は、全部集めてもせいぜい10万程度です。ペルシア領内の色々な民族から兵士は集められている。
ペルシア軍にはギリシア人の傭兵も結構いたんですよ。食い詰めたギリシア人が、ペルシアまで出稼ぎに来ているんだ。なにしろギリシアの重装歩兵は強力ですから、重宝されていたようです。
のちの時代の壁画ですが、イッソスの戦いを描いた絵です、逃げようとするダレイオス3世の後ろに控えているこの軍勢は、長い槍を持っているでしょ。これ、重装歩兵です。ペルシア大王の親衛隊になっているんだ。まあ、そんなわけで、ペルシア軍は数は多いが、決して一つにまとまった大きな力を発揮できる状態ではないということです。
前333年、イッソスの戦いです。戦いは乱戦になります。アレクサンドロスは、自分から真っ先に敵に突っ込んでいくタイプです。ペルシア大王の本陣にまで肉薄します。
ペルシア大王ダレイオス3世は、どちらかといえばお坊ちゃんで、こういう戦には向いていなかった。ギリシア軍が迫ってくると、あわてて戦車の向きを変えて逃げてしまった。王様が逃げて他の一般兵士が頑張ることはないです。というわけで、イッソスの戦いはアレクサンドロスの勝利でした。
勝ったあと、戦場には財宝がたくさん残されていたんです。何故かというと、ダレイオスは戦場でも豪勢な生活をするために、特別の天幕に家具調度品を持ち込んでいたの。ついでに自分の母親に妃、お姫様まで連れてきていたんですな、これが。でも、彼女たちみんな置き去りにして逃げちゃった。
この妃やお姫様は、ものすごい美人だったらしい。みーんなアレクサンドロスのものになる。ですが、アレクサンドロスは彼女たちには指一本触れず、丁重に保護をしたんだ。この辺は禁欲的で潔癖でしょ。
これをあとで伝え聞いたダレイオス3世は、「もし余がペルシア大王でなくなったとき、代わりに玉座に座るのはアレクサンドロスであって欲しい」と言ったとか。本当にこんな事を言ったかどうか分かりませんが、この言い伝えはアレクサンドロスの意図を想像させるね。つまり、ペルシア帝国を滅ぼして、その領土を支配するつもりなら、ペルシア人の協力は絶対必要でしょ。ペルシア人を手なづけるにはどうしたらよいですか。彼のペルシア王妃達に対する保護には、そういう深謀遠慮があったんではないか、そう思えます。賢いね。
このあと、アレクサンドロスはすぐさま逃げたダレイオスを追わずに、進路を南に取ります。まずフェニキア攻略を目標にします。7ヶ月かけて、ティルス市を攻略しているんです。ギリシアの海上貿易の利益にとっては、フェニキアは潰さないとね。
そして、エジプトに入ります。エジプトではペルシアの支配に対して抵抗が強まっていたので、ギリシア軍は歓迎される。アレクサンドロスは、解放者として迎えられていい気分です。これは、あとの展開に影響するので頭の隅に入れておいてください。
次が前331年、アルベラの戦いです。エジプトからメソポタミアに軍を進めたアレクサンドロスとダレイオス3世の最後の決戦です。ペルシア側は100万の軍勢です。4万のギリシア軍に勝ち目はないと考えたパルメニオン将軍は、アレクサンドロスに進言しました。「王よ、この大軍に勝つには夜襲しかありません。」
アレクサンドロス答えて言う。「私は勝利を盗まない。」
これもアレクサンドロス伝説ですから本当かどうか分かりませんけれど、こんな話になっている。ペルシア側は、逆にギリシアの勝機は夜襲しかないと考えた。そこで、夜襲に備えて全軍に完全武装で起きているように指示を出した。アレクサンドロスが夜襲をかけたら、すぐさま逆襲にでようと言うわけです。しかし、アレクサンドロスは全然その気はないでしょ。ペルシア軍はいつ来るか、いつ来るかと緊張しながら夜を明かしてしまいました。徹夜で緊張してくたくたです。一方のギリシア軍は、ぐっすり眠って元気一杯で朝が来た。というわけで、翌日の決戦はアレクサンドロスの勝利となった、という。
実際に今度の決戦も乱戦になって、またもやダレイオス3世は逃げ出してしまうんです。そのため全軍総崩れになって負けてしまった。これで、事実上ペルシアは滅亡し、アレクサンドロスがその帝国の後継者になりました。逃げたダレイオス3世は、地方のサトラップ(総督)の裏切りで殺されてしまいました。
アレクサンドロスは、その後も旧ペルシア領を支配下に納めながら東に向かって転戦していきました。前326年には、インダス川を渡りインドに侵入しました。どうも、アレクサンドロスは本気で世界征服を考えていたんではないかな。人間の住む所どこまでも東に向かうつもりみたいです。彼の率いる兵士達は、不安になるんだね。おい、大王よ、どこまで行くつもりだ、てな心境でしょう。
この段階で、兵士達がストライキを起こす。もう帰りたい、と言うんです。東方遠征に出発してから、すでに8年が経っている。気持ちは分かるね。
いくらアレクサンドロスでも、兵士が動かなければどうしようもありません。ここでようやく遠征は終わり、アレクサンドロスの軍は帰途につきました。ただ、アレクサンドロスがマケドニアに帰ることはありませんでした。彼はペルシア帝国の後継者として、バビロンから帝国を統治しました。
彼の作ったこの大帝国は、名前がありません。というのは、このあとすぐにアレクサンドロスは死んでしまうんです。この国は普通アレクサンドロスの帝国、と呼ばれます。
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