2023/06/27

キリスト教を受け入れた条件

出典http://www.ozawa-katsuhiko.com/index.html

 こういう歴史になる次第を理解するため、ここではまず「キリスト教のギリシャ化」の問題から見ていきたいと思います。大まかな道筋を見ますと、パレスチナ地方の田舎の宗教活動であった「イエスの教え」は、先ずは北上してシリアに伝えられ、次いで小アジア(現在のトルコ)のギリシャ・ローマ都市に伝わり、さらにギリシャ本土に伝道されて、そこで相応の大きさを持った教会組織が形成されていったことが、パウロの手紙によって確認できます。実際、このギリシャ本土への伝道の成否がキリスト教の拡大のための決定力だったのであり、ここで受け入れられることでキリスト教は「命を得た」のでした。

 ところで、このキリスト教の始祖であるイエスは、ユダヤにあって差別されていた人々の人たちに歓呼の叫びで迎えられていたのに、しかしついにパレスチナ地方にあるユダヤ人、つまりユダヤ人の中核となり代表する都市の中流市民以上のユダヤ人に受け入れられることはなかった、ということは重要な事実でした。

 それどころか、この都市のユダヤ人は激しい迫害をもって、イエス及びその使徒たちに対していたのでした。もしキリスト教が、その発生の初期段階のようにユダヤ人だけにこだわっていたら、その布教は成功しなかったでしょう。そして今日のキリスト教は存在せず、多分イエスも歴史の中に消えていたでしょう。それが、パウロを中心に「ギリシャ世界」を相手とするようになって、ここで布教に成功して始めて命が長らえ、後の「キリスト教」が生まれる素地ができたのです。

キリスト教を受け入れた条件
 ギリシャにおいてキリスト教が受け入れられた第一条件ですが、それは「言語」の問題です。どんな有り難い教えであっても、言葉がわからないでは受け入れられ広まるわけもありません。すべての人に分かる言葉で語られ、また手紙その他の文書が書かれているのでなければなりません。これをクリアーしたのが、ギリシャ語でした。つまりパウロ以下、布教はすべてギリシャ語によって行われていったのでした。

 第二に、その語られた内容が誰にも分かる平易な内容で、魅力的でなければなりません。大きな勢力となる宗教というものは、常にその主体は学問・知識などとは無関係の平民にあるものです。キリスト教でも、当初は下層民に支持されていったのです。ですから、この教えというのは簡単明瞭で教育のない下層民にも良く分かり、しかも魅力的なものであったはずなのです。

 それを後に難しい神学などに仕立て上げたのは、全く学者・宗教者だけの仕業であり、一般庶民にとってはどうでもいいことだったでしょう。ただし、この神学による深化は指導層においては必要なことですから、これはこれで大切なのですが庶民にとっては無関係なことであり、彼等に要求されるのは分かり易い教えだけだということです。

 また「難行苦行」があっても受け入れ拡大は難しく、特別条件がついていても難しいということで、要するに平易そのもの、ないしそれらを苦とさせない魅力があるか、どちらかである必要があるのでした。

 第三に、キリスト教を受け入れた当時のローマ帝国の社会状況が問題となり、もしここがキリスト教を受け入れるような精神状況になかったのだとしたら、仮に有り難い話しをしても人々がそれに耳を傾ける筈もありません。ということはローマ帝国の一般民衆、やがて知識層もが精神的に飢えていたという状況がなければならない、となってきます。

実際、ローマ帝国というのは表面上での豪壮・華麗さとは裏腹に、一時期を除いて総体として社会は欺瞞と裏切りと不誠実と、血に飢えた精神的に貧しい状態だったのであり、それ故に心を強くするための哲学としてストア学派を興隆させ、また俗世を遠く離れて晴耕雨読の精神のうちに快楽を求めるエピクロス哲学などが流行っていたのでした。
 そういう中で伝えられてきた教えが、これまでの自分たちの考え方からして理解を超えるものであっては全然分からないことになりますから、ギリシャ思想の範囲内で分かるものとなって伝えられたであろうということが指摘されねばなりません。

 第四に、宣教した人の問題があります。つまり、その教えを具体的に伝える人間の問題があるわけです。その上で、その伝えた人が多くの人々に受け入れられるということが必要になります。たとえ教えは立派でも、うさん臭い人間と見られたらもう受け入れてはもらえないからです。この四つが、一般に宗教・思想の伝播において最も重要な要件で、これは現代にも言えることです。

0 件のコメント:

コメントを投稿