2023/06/25

キリスト教の発展

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キリスト教の発展

 イエスの死後、弟子たちの活動によって徐々にキリスト教の信者はローマ帝国内に広がっていきました。はじめの頃の信者は、女性と奴隷が中心だったといわれています。イエスがどんな人々に布教したかを考えれば当然かもしれない。奴隷は当然、虐げられた人々。女性も社会的には抑圧された生活をしていたと考えられるでしょう。

 

 キリスト教が広まりはじめた頃は当然、新興宗教です。何時の時代でも、新興宗教というものは周囲から疑わしい目で見られるものだ。初期のキリスト教も、ローマでは胡散臭いものとして見られたようです。信者であることを知られると迫害されるので、彼らはこっそり集まって信仰を確かめあいました。

 

集まったのがカタコンベ。資料集に写真がありますね。このカタコンベは、地下墓所と訳しています。ローマ人たちは、町の郊外に墓地を作ります。地下にトンネルを掘って、トンネルの壁に棚がたくさん作ってあるでしょ。この棚に死体を置いたんだ。火葬はしません。現在は、こんなふうに空っぽの棚が並んでるだけだけど、当時はここにぎっしり死体があった。当然、気味が悪いところだから、誰も来ない。

 

 迫害を恐れて信者たちは、ここに集まったんです。集まる時間は夜。みんなが寝静まった頃を見計らって、奴隷たちや女たちが家屋敷を抜け出してカタコンベにやってきて集会を開きました。こっそり集まっても、やがて人々に知れますわな。キリスト教の信者たちは、夜な夜な地下墓所に集まって何かよからぬことをやっているんじゃないか、とますます差別が激しくなった。死体を食べてるとか、乱交してるとかね。

 

 まあ、そんな偏見や皇帝による弾圧があったりしながらも、徐々に信者は増えたようです。復習になりますが、ディオクレティアヌス帝の迫害は有名でしたね。ところが313年にはコンスタンティヌス帝のキリスト教公認、392年のテオドシウス帝による国教化と、4世紀にはキリスト教はローマ帝国を支える精神的な柱にまでなったわけです。

 

教義をめぐる対立、教父

 信者が増えるにつれて、各地に大きな教会もできてきます。聖職者も多くなる。やがて教義をめぐる教会内の対立が起きます。どんな宗教でも開祖が死んでから何十年もたてば、考え方の違いで対立したり分裂したりするものです。ただ、キリスト教はローマ帝国の公認宗教になりますから、帝国政府としては教会内部が対立するのは好ましくない。そこでローマ政府は公認後、何回か聖職者を集めて宗教会議を開いています。

 

 これは、教会内の対立を皇帝が調停するということと、もう一つは調停を名目として皇帝が教会内部に干渉して権力内部に取り込んでしまう、という意味もあったんです。

 

この宗教会議のことを教科書では公会議と書いています。有名な公会議が3つ。覚えます。

 

325年、ニケーア公会議

431年、エフェソス公会議

451年、カルケドン公会議

 

ニケーアとかエフェソスとか、会議の開かれた場所です。

 

 高校でこんなに詳しくキリスト教神学の勉強をする必要はないと個人的には思っているんですが、教科書は詳しいね。滅茶苦茶大ざっぱに説明しておきますね。

 

 キリスト教会の内部で、繰り返し議論の対象となった問題があります。この3つの公会議も、突き詰めたら一つの問題を繰り返し議論しているのです。それは何かというと、イエスの問題なんです。

 

イエスはなんなんだ?

初期の聖職者たちも、疑問に思ったんだね。彼が救世主であることはいいんです。そう信じる人が、キリスト教徒なんだから。問題はその先、救世主イエスは人間か、神か?

そこで論争が生まれる。

 

人間だったら死刑になったあと、生き返るはずはない。人は死んだら普通、死んだままですからね。だからイエスを人間とすると、やがてそれは復活の否定につながります。

 

 じゃあ、神だったのか。それもおかしいんです。キリスト教も一神教です。神はヤハウェのみ。イエスも神としたら、神が二人になってしまいます。だから彼を神とすることもできない。

 

 この矛盾をどう切り抜けて、首尾一貫した理論を作り上げるかで初期の聖職者、神学者たちは論争したんだ。

 

325年のニケーア公会議では、アリウス派という考えが異端、つまり間違った理論とされます。アリウス派は、イエスを人間だといったんです。正統と認められたのはアタナシウス派という。このアタナシウス派の考えは、あとでまとめます。

 

 431年のエフェソス公会議では、ネストリウスという人が異端とされます。彼はマリアを「神の母」と呼ぶのに反対したんで異端になった。実際には政治闘争だったようですが、あえていえばネストリウスもイエスの人間性を強調したということでしょう。451年カルケドン公会議では、単性論派が異端とされます。このグループは、イエスを人間ではないとする。単純にいえば神だ、というわけだ。

 

  つまりイエスを神とか人間とか、どちらかに言いきる主張は異端とされていったんです。これらの論争を通じて、勝ち残って正統とされたのはアタナシウス派です。この派の理論は「三位一体(さんみいったい)説」という。神とイエスと聖霊の三つは「同質」である、という理論です。注意しなければいけないのは「同質」という言い方。「同じ」とは違うからね。ややこしいね。「同質」というのは「質が同じ」なので「同じ」ではない。

 

 もともと「生き返った人間」イエスを人間でも神でもないものに、別の言い方をすれば、人間でもあり神でもあるものにしようというんだから、分かりやすく理論を作るのは無理だね。そこをなんとかくぐり抜けて完成された理論が「同質」の「三位一体説」です。だから私、実はよく分かっていません。このいきなり登場した「聖霊」は、いったいなんだろうね。辞典を読んでも分かりません。知っている人は、こっそり教えてください。

 

 現在キリスト教は世界中に広がっていますが、カトリックもプロテスタントも伝統的な教会は三位一体説にたっています。みんなそうだから、現在ではあらためてアタナシウス派なんて言わないくらいに一般的です。教会の説教で「父と子と聖霊の御名において~~」というのを聞いたことありませんか。あれが三位一体ですね。アメリカ合衆国生まれの新しい宗派では、三位一体説にたっていないものがあるかも知れませんがね。

 

  異端とされた宗派のその後ですが、ローマ帝国内では布教ができません。アリウス派は、北方のゲルマン人に布教活動をします。ネストリウス派は、イランから中央アジアにかけて広がっていきました。単性論派は、エジプトやエチオピアに残ります。

 

初期教会の指導者で教義を整備した人たちのことを教父といいます。二人覚えて下さい。エウセビオス(260~339)は「教会史」を著して有名。アウグスティヌス(354~430)は「告白」「神の国」の著者。アウグスティヌスは、もとマニ教というのを信じているんですがキリスト教に改宗する。そんな半生を書いたのが「告白」です。この人は今でも、キリスト教徒の人たちにはファンが多いみたいです。

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