2023/06/28

キリスト教の平易さ

出典http://www.ozawa-katsuhiko.com/index.html

 前回あげた条件の中でも重要なのが、第二の「キリスト教の平易さ」ないし「魅力」でしょう。

宗教というのは何であれ、初めから「思想」の問題として受け入れられるわけではありません。思想界にキリスト教が大きく顔を出してくるのは、紀元後200年代になってからです。一方、キリスト教がローマ世界に伝道されだし、受容されていったのは紀元50~60年頃からで、つまりキリスト教の初期の受け入れは、ごく初期の時代から一般庶民においてなされていたのです。

 これについては、受け入れられた当初のキリスト教が「女性、下層民、奴隷」にあったと考えられることと裏腹です。つまり初期のキリスト教は、女性(当時、女性は「劣った存在」として差別されていた)や奴隷など、社会の「下層民」に受け入れられていったということです。なぜ、そうした「差別されていた人々」に受け入れられたかというと、もちろんこれまでに見ておいたように、イエスが「差別されていた人々」を対象とし、彼等の救済をその目的としていたということが第一でしょう。その教える「」というのは「愛の神」であり、貧しく虐げられた人々こそ第一に天国に救い取ろうとしている、と教えられました。これは当時の虐げられていた人々にとって、何よりの「幸いの知らせ(福音)」であったでしょう。

 そして、実際上のこととして初期のキリスト教共同体(教会)においては、女性や奴隷も信仰上の差別はされなかったのです。身分差別は、古代社会にあってはどこでもあったし、ローマでも同様でした。この時、何の形であれ差別をしないということは、差別されている者にとっては何より救いであったと思われます。これが、キリスト教にあったのでした。

そして教会の中に入れば、彼等は社会的身分にかかわらず「兄弟・姉妹」と呼び合い、教会内での役職に奴隷が選ばれることもあり得ました。勿論、女性も差別されませんでした。これが恐らく、彼等に受け入れられた最大原因であったと考えられるのです。教会内に居さえすれば「人間」として認めてもらえるというわけで、これほど当時の差別されていた下層民の女性や奴隷にとって魅力的なものはなかった、と考えられるのです。

 こんな具合に下層の奴隷や女性に受け入れられたのは、イエスの教えというのが難しいものではなかったからです。今日のキリスト教はひどく難解な神学などがあり、教会での説教もけっこう難しかったりしますが、これでは当時の教育を受けていない下層の人々に受け入れてはもらえないでしょう。多分、イエスは「神の愛」「悔い改め」「救済」くらいしか語らなかったと想像されます。

 さらに、キリスト教の母体であるユダヤ教は「戒律主義」であって、文字通り「戒律を守る」ことが義務づけられていました。これは財産や暇や権力のある金持ちや権力者には可能ではあっても、貧乏人には不可能でした。そして女は「不浄」なものとして、初めから「救い」など剥ぎ取られていたのです。イエスは、この戒律主義を退けていましたから、キリスト者はとにかく日常的に「祈り」と「感謝」と「慎み」だけでよかったと思われ、これも受け入れを容易にしていたでしょう。

 しかもイエスの教えは罪あるもの、病人と比喩されるような者を対象とし、「金持ちは救いに遠く、貧乏人が救われる」という社会的弱者の救いという性格をもっていましたから、女や隷にとっては「自分達のための宗教」という感じがしたことでしょう。

 そして、彼等に迫害があっても、れにもめげず広まっていった要因としては「死後の幸せ」という考え方もあずかっていたと考えられます。つまり今は辛いけれど、この辛さを耐えれば「死後は神の国」に迎え入れてもらえるというわけですが、実はギリシャ・ローマの伝統に、この死後の幸せという観念は殆どなく、せいぜい英雄が死後に安楽の島での生活を送れる程度の神話しか持ち合わせていませんでした。しかし、死の恐怖は誰にでもあるわけです。これに対する素晴らしい答えが、キリスト教に用意されていたのです。下層民にとっては、確かに今の現実としても苦労のない極楽の方がいいに決まっているとはいえ、現実としてそんな状態が望むべくもない人々にとっては、死後の幸いは最大の慰めとなったであろうと考えられるのでした。

 こうして、女・奴隷を含む下層階級の人々に迎え入れられ広まっていった、と考えられるわけですが、こうして一定の勢力となったところで「中流階級」さらには「上層部」にまで波及していったわけです。

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