思想
パウロにおいては、罪の意識が非常に強いことがまず指摘できる。
彼は心の欲する善を行うことができずに、かえって心の欲せざる悪をなしてしまうことに悩んだ。そのため彼の思想では、人間の無力さが強調される。このような人間は自力では救われることがないために、神の恩寵によってしか救われるないし、パウロはイエスの死こそ神の自己犠牲であると考える。この神の自己犠牲によって人間は罪から解放されるのであり、これを信じイエスの教えを実践することで新しい生を迎えることができるという。この新しい生は物質性を捨て、人類史から神の世界に逃れることではない。
このことは初期教父、たとえばエイレナイオスにおいて、グノーシス主義の説く異端の教説に対する批判のなかで明確に表明される。彼によれば、人類の救済史とはあくまでその本来的な物質性から、神の導きによってより高次の霊性を獲得していく過程である。そして、このような立場に立つとき、物質的な現実世界は矛盾と不幸に満ちている不完全なものとして相対化されていくのである。だが同時に、この物質的世界こそが神の救済史の舞台であり、神の現存し働きかける場である。
パウロの政治思想としては、受動的服従が知られる。ウォーリンによれば、パウロや初期の教会指導者たちが政治権力への服従を繰り返し述べていることは、この時代のキリスト教徒に政治秩序への鋭い対立意識があったことを物語っているという。事実、66年にはユダヤ戦争(〜70年)が起き、112年〜115年にもユダヤ人が蜂起し、135年にもバル・コクバの乱が起きている。パウロによれば、この世の権威は神に拠らないものはなく、したがってこれを受け入れなくてはならない。パウロは政治的権威に対して負う義務と宗教的権威に対するそれを区別した。しかし、それは政治的忠誠心と宗教的忠誠心を完全に分離したものであると主張したわけではない。彼は政治秩序を神の摂理の中に位置づけ、当時のキリスト教徒が政治秩序のキリスト教的理解に基づいて受け入れるよう促した。
「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。従って、権威に逆らう者は神の定めに背くことになり、背く者は自分の身に裁きを招くでしょう。実際、支配者は善を行う者にはそうではないが、悪を行う者には恐ろしい存在です。あなたは権威者を恐れないことを願っている。それなら、善を行いなさい。そうすれば、権威者からほめられるでしょう。権威者は、あなたに善を行わせるために神に仕える者なのです。しかし、もし悪を行えば恐れなければなりません。権威者はいたずらに剣を帯びているのではなく、神に仕える者として悪を行う者に怒りをもって報いるのです。
— パウロ、「ローマ人への手紙」13.1-4。新共同訳
テオドール・モムゼン
1890年の『ローマ法から見た宗教的逸脱』において、帝政初期のキリスト教迫害の理由を「国家離反」に求め、キリスト教迫害史研究に決定的な一歩を刻みつけた。
パウロは教会と国家を分離し、国家に対するキリスト教の服従を説くが、従うべき対象として「皇帝」ではなく、神によって認められた「権威」を挙げている。パウロはローマ帝国の支配を無条件に肯定しているともいわれる。ところでローマ帝国のキリスト教に対する迫害についてテオドール・モムゼンは、ローマ帝国によって「許された宗教」ユダヤ教と「許されざる宗教」キリスト教と対比したが、1世紀段階ではキリスト教迫害はネロ迫害を除いてユダヤ教迫害の一環として行われている。またネロ帝によるキリスト教迫害についても、タキトゥスの記述は2世紀におけるキリスト教観を示しており、1世紀段階のヨセフスや新約聖書との相違が著しいため、その史実性には幅がある。
またパウロは「自分の手で働くこと」を推奨しているが、これは古典古代の労働観に反する。古典古代においては労働は奴隷がするもので、自由人は閑暇(スコレー
σχολη)にあることを誇りとしていた。アリストテレスは「幸福は閑暇(スコレー)に存すると考えられる。」と述べており、ハンナ・アレントによればアリストテレスは全体として必要に従属しているヒト属を人間と呼ぶことを認めなかった。
評価
ルター以来、パウロはユダヤ教からイエスによって解放されたとする見解が主流であったが、今日では彼自身の意識ではユダヤの思想家であり、意識としてはユダヤ教内部の論争に関わっていたつもりであったともされる。またトロクメは、歴史家たちがパウロを「キリスト教の創始者」と考える傾向にあることを批判し、この考えがイエスを「ユダヤ教の改革者」という誤った位置づけに貶めるものだという。トロクメは、パウロの思想がアウグスティヌス以前は正確に理解されているとは必ずしも言えないこと、中世の神学者たちも彼をあまり重視していないことを挙げ、パウロにキリスト教における中心的な地位を与えたのは、ルネサンスと宗教改革であると述べている。
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