3大神はそれぞれ神妃をもち、夫婦共に多様な化身を有する。
ヴィシュヌ神
世界維持の神、慈愛の神、鳥神ガルーダに乗る。10大化身と呼ばれる多数の分身を有する。
ラーマ
ヴィシュヌ神の化身。叙事詩『ラーマーヤナ』で大活躍する。
クリシュナ
ヴィシュヌ神の化身。叙事詩『マハーバーラタ』の英雄、民間に人気のある神。
釈迦
仏教の開祖である釈迦牟尼は、ヒンドゥー教ではヴィシュヌ神の9番目の化身とされている。
ラクシュミー
ヴィシュヌ神の神妃、富と幸運の女神。北伝仏教では吉祥天。
シヴァ神
創造と破壊の神、乗り物は牡牛のナンディン、トラの皮をまとい首にコブラを巻く。しばしば結跏趺坐し、瞑想する姿で描かれる。北伝仏教では大自在天(降三世明王に降伏され、仏教に改宗したとされる)。
マハーカーラ
シヴァ神の化身。チベット仏教など、仏教においても信仰される。北伝仏教では大黒天。
パールヴァティー
シヴァ神の神妃、ヒマラヤ神の娘、穏やかで心優しい
ドゥルガー
パールヴァティーの化身で戦いの神、水牛に化けた悪魔を倒す、美しい神像が有名。
カーリー
パールヴァティーの化身で、ドゥルガーよりも荒々しい戦いの神。コルカタ(カルカッタ)の地名は、カーリーから来ている。
ブラフマー神
世界創造の神。水鳥ハンサに乗った老人の姿で表される。北伝仏教では梵天。
サラスヴァティー
ブラフマー神の神妃、北伝仏教では弁才天。
3大神は、信者個人の信仰においては並立しているわけではない。たとえば「シヴァ神」を最高神と崇める人にとって「ヴィシュヌ神」は劣位ではあるが、敬うべき神である。
また神話の中で3大神の化身と共に活躍する神や、3大神の子神も信仰されている。
ガネーシャ
シヴァ神の子供で象の頭を持つ神、鼠に乗る。富と繁栄、智恵と学問を司る。北伝仏教では歓喜天(聖天)。
ハヌマーン
外見が猿の神、叙事詩『ラーマーヤナ』でラーマ王子を助けて活躍する。身体の大きさを自由に変えられる。孫悟空の元になったと考えられる。
インドラ
雷神、天空神。『リグ・ヴェーダ』の中心的な神で、古くバラモン教の時代には盛んに信仰された。北伝仏教では帝釈天。
インドの国立博物館に、ヒンドゥー教の神々の多様な神像が収蔵・展示されている。
四住期
四住期(アーシュラマ)とは、ヒンドゥー教独特の概念で、最終目標の解脱に向かって人生を4つの住期に分け、それぞれの段階ごとに異なる目標と義務を設定したもの。なお四住期は、上位ヴァルナのバラモン、クシャトリア、ヴァイシャにのみ適用され、シュードラ及び女性には適用されない。四住期について、概略を示す。
受胎から入門式(8 - 12歳)までは四住期に入らず、この間は一人前の人間とは見なされない。
学生期 - 本来の意味は、特定の師匠(グル)に弟子入りして聖典ヴェーダを学習する時期であったが、クシャトリアは武人としての技能の鍛錬や行政統治の実務の勉強も行い、ヴァイシャも世襲の職業に関する勉強も行った。現在では、就学期間に相当。
家住期 - 学生期を終えると、家業に務め結婚して家族を養う家住期に入る。男子をもうけて、先祖の祭祀を絶やさないことが重要視される。このため、インドでは中国のような一人っ子政策は受け入れられにくい。『カーマ・スートラ』は、家住期を充実させるための経典である。家住期において、家長は家業を繁栄させて大いに儲け、その金を喜捨することも重要と考えられている。
林住期 - 家住期を終えると、解脱に向けた人生段階に入る。孫の誕生を見届けた家長は家を離れて荒野や林に住み、質素で禁欲的な生活を営む。
遊行期 - 林住期を終えると、住まいを捨てて遍歴行者となって放浪し、解脱を目指す。
過去においても現在でも、全てのヒンドゥー教徒が四住期を全うするわけではない。ちなみに、仏教の開祖釈迦も当時のバラモン教の教えに従い、四住期に則った人生を送っている。即ち男子をもうけた後、29歳で釈迦族の王族の地位を捨て林間で修行をし、その後悟りを開いて布教の旅に出ている。
業(カルマ)
業は、サンスクリットで本来は行為の意味。因果思想と結合し、業はその善悪に応じて果報を与え、死によっても失われず、輪廻転生に伴って代々、伝えられると考えられた。「ウパニシャッド」にもその思想は現れ、輪廻思想・業感縁起の基礎となる。宿業思想に発展し、一種の運命論となった。中国、日本の思想にも影響を与えている。
業はインドにおいて、古い時代から重要視された。ヴェーダ時代からウパニシャッド時代にかけて輪廻思想と結びついて展開し、紀元前10世紀から4世紀位までの間にしだいに固定化してきた。
輪廻(サンサーラ)
ヒンドゥー教では輪廻を教義の根幹とし、信心と業(カルマ、karuman)によって次の輪廻(来世)の宿命が定まるとする。具体的には、カースト(ヴァルナ)の位階が定まるなどである。生き物は、行為を超越する段階に達しないかぎり永遠に生まれ変わり、来世は前世の業(行為)によって決定される。これが、因果応報の法則(善因楽果・悪因苦果・自業自得)であり、輪廻の思想と結びついて高度に理論化されて、一部のインド人の死生観・世界観を形成してきた。
ヒンドゥー教では河川崇拝が顕著であり、水を使った沐浴の儀式が重要視されている。特にガンジス川(ガンガー)は、川の水そのものがシヴァ神の身体を伝って流れ出て来た聖水とされ、川自体も女神ガンガーであるため「母なる川ガンジス」として河川崇拝の中心となっている。ガンジス川添いには、沐浴場(ガート)が設けられた聖地が点在する。ヒンドゥー教徒は、沐浴場に設けられた石の階段を下りて川の水に頭までつかって罪を清め、あるいは水を飲む。
菜食主義
ヒンドゥー教は不殺生を旨とし、そのため肉食を忌避するので菜食主義の人が多い。しかし身分やしきたりによって、その度合いが異なる。一般的な菜食は植物に加えて鶏卵も可とする人と、鶏卵を不可とする人がいる。また上位カースト階級には、収穫の際に地中の生物を殺す惧れのあるタマネギなどの根菜類を不可とする人もいる。いずれの場合も、牛乳および乳製品は良く食べられる。
ところが、宗派によっては祭りに際し犠牲獣を供することがある。その際、宗教儀式にしたがって、神に捧げられたヤギなどの犠牲獣の肉を「お下がり」として食べる場合もある。しかし、どのような場合においても牛、特に瘤牛は神話にも出てくる聖獣で絶対に食べない。一方、同じ牛でもスイギュウは次々と姿を変える悪魔マヒシャの化身の一つであることから、コブ牛との扱いには差があり、家畜として使役され、その肉は輸出品にされている。
聖牛崇拝
ヒンドゥー社会において、牛は崇拝の対象となっている。神話にも、たびたび牛が登場し、たとえばシヴァ神の乗り物はナンディンという牡牛である。実社会でも牡牛は移動・運搬・農耕に用いられ、牝牛は乳を供し、乾燥させた牛糞は貴重な燃料(牛糞ケーキ)となる。ただし聖別されているのは主として瘤牛であり、水牛は崇拝の対象とはならない。
出典 Wikipedia
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