2020/04/12

ヒンドゥー教(3) ~ ヒンドゥー教の歴史

ヨーガ
ヒンドゥー教の修行として、ヨーガが挙げられる。ヨーガは『心身の鍛錬によって肉体を制御し、精神を統一して人生究極の目的である「解脱」に至ろうとする伝統的宗教的行方のひとつである
ヨーガの特徴のひとつである結跏趺坐するスタイルはインダス文明の印章にも刻まれており、かなり早い時期から実施されていたと考えられる。

ヴェーダの権威を受け入れ、ブラーフマナ(バラモン、司祭)階級の社会的階層の優位を容認する諸学派は「正統バラモン教」と認められ、その6系統のうちヨーガ学派は、心身を鍛錬しヨーガの修行で精神統一を図ることで、解脱に達することを説いた。正統バラモン教の各学派も、その学派の教学を学ぶことと並行して、ヨーガの修行を行っている。

ヨーガ学派の根本経典は、24世紀に編纂されたといわれる『ヨーガ・スートラ』で、ヨーガ学派に代表される古典ヨーガの沈思瞑想による修行は、日本の仏教の「」に繋がっている。また身体を鍛錬するヨーガは、13世紀に始まる「ハタ・ヨーガ」と呼ばれる流派がある。

「現代ヨーガの父」と呼ばれるティルマライ・クリシュナマチャーリヤ(1888 - 1989年)によって、西洋式体操とインド伝統武術をもとに作られたヨーガも、伝統的なハタ・ヨーガに倣って「ハタ・ヨーガ」と呼ばれるが、古典ヨーガとも元来のハタ・ヨーガとも関係は薄いという。現在、日本で行われている「ヨーガ教室」等の多くは、この流派に入る。

歴史
ヒンドゥー教は、キリスト教やイスラム教のような特定の開祖によって開かれたものではなく、インダス文明の時代からインド及びその周辺に居住する住民の信仰が受け継がれ、時代に従って変化したものと考えられている。したがってヒンドゥー教が、いつ始まったかについては見解が分かれている。

インダス文明時代
インダス文明(紀元前2,300 - 1,800年)のハラッパーから出土した印章には、現代のシヴァ神崇拝につながる結跏趺坐した行者の絵や、シヴァ神に豊穣を願うリンガ崇拝に繋がる直立した男性性器を示す絵が見られる。しかし、インダス文明の文字は解読できていないので、後代との明確な関係は不明である。

ヴェーダ
ヴェーダは「知る」という意味のサンスクリット語に由来し、宗教的知識を意味する。さらには、その知識を集成した聖典類の総称となっている。最も古い『リグ・ヴェーダ』は紀元前1,200年から1,000年頃にインド北西部のパンジャブ地方でアーリヤ人によって成立したと考えられている。ヴェーダの内容は下記のように分類されるが、狭義にはサンヒターのみを指す。

サンヒター(本集)
  『リグ・ヴェーダ』(賛歌)
  『サーマ・ヴェーダ』(歌詠)
  『ヤジュル・ヴェーダ』(祭詞)
  『アタルヴァ・ヴェーダ』(呪詞)
  ブラーフマナ(祭儀書)
  アーラニヤカ(森林書)
  ウパニシャッド(奥義書)

ヴェーダに登場する神々の多くは、自然界の構成要素や諸現象、その背後にあると思われた神秘的な力を神格化したものである。多数の神が登場するが、その中で重要なのは雷神インドラ(日本では帝釈天)アグニ(火の神)ヴァルナであった。現在では前述のヴィシュヌ神等に押されて影が薄い。

『リグ・ヴェーダ』に登場する神々は、各々が独立した個性を有しているわけではなく、属性や事績を共有することが多い。また狭義のヒンドゥー教で見られる人格神的な形態を取らず、神像や恒久的な寺院建造物の存在も、確たる証拠は見つかっていない。バラモン教の祭祀は具体的な目的に対して行われ、バラモンが規定に則って空き地を清め、そこに目的に応じた特定の神を招き、供物や犠牲を祭壇の火炉に捧げる「供犠」が主体であった。

現在のヒンドゥー哲学の基本となる「因果応報」「霊魂不滅」「輪廻転生」などの諸観念の淵源は、ウパニシャッドが完成した頃まで遡ることができる。ウパニシャッドは紀元前800 - 500年頃に、ガンジス川流域で作られたインド古代哲学の総称である。なおヴェーダに登場するヴィシュヴァカルマン神(造物や工巧の神)は、現在でも物造りの神様としてインドの各工場で祀られている。現在、この神の祭りは毎年917日に行われている。

バラモン教からヒンドゥー教へ
バラモン教は、インドを支配するアーリア人の祭司階級バラモンによる祭儀を重要視する宗教を指す。紀元前5世紀頃に、バラモン教の祭儀重視に批判的な仏教とジャイナ教が成立した。

更にインド北西部は、紀元前520年ころにはアケメネス朝ペルシア、前326年にはアレクサンダー大王に支配された。その後、仏教はアショーカ王(在位紀元前268年頃 - 紀元前232年頃)の帰依などにより、一時期バラモン教を凌ぐ隆盛を示した。この時期に、ヴェーダを基本とする宗教であるバラモン教は「支配者の宗教」からの変貌を迫られ、インド各地の先住民族の土着宗教を吸収・同化して形を変えながら民衆宗教へ変化していった。このため、広義のヒンドゥー教にはバラモン教が含まれる。

ヒンドゥー教にはバラモン教の全てが含まれているが、ヒンドゥー教の成立に伴ってバラモン教では重要であったものがそうでなくなったり、その逆が起きたりなど大きく変化している。

紀元後4世紀頃、グプタ朝がガンジス川流域を支配した。グプタ朝は、チャンドラグプタ2世(在位紀元385 - 413年)に最盛期を迎えるが、このころに今もヒンドゥー教徒に愛されている叙事詩『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』がまとめられるなど、ヒンドゥー教の隆盛が始まった。

バラモン教は、上記のように具体的な目的に対して神に「供犠」を捧げる、いわば「ギヴ・アンド・テイク」の宗教であったのに対し、ヒンドゥー教ではヴィシュヌ神のような至高の神への絶対的帰依(「バクティ」と呼ぶ)に基づく信仰態度が多くの大衆に受け入れられ始めた。この時期に六派哲学と呼ばれるインドの古典哲学が確立し、互いに論争を繰り広げた。インドでは、宗教と哲学は区別する考えはなかった。

ヴァイシェーシカ学派 - 多数の実在を認め、物質を無数の原子からなるものと規定した。

ニヤーヤ学派 - 実在を認めつつ、主宰神「シヴァ神」の証明を試みた。

サーンキヤ学派 - 世界は精神と物質から成るとした「二元論」を展開した。純粋精神が物質から離れた時に「解脱」が達成されるとし、最高神の存在を認めない。

ヨーガ学派 - 教説のかなりの部分をサーンキヤ学派と共有するが、最高神の存在を信じる。「解脱」の手段としてのヨーガの行法を発達させた。

ミーマーンサー学派 - ヴェーダの「供犠」を受け継ぎ、正しい祭祀が(神を通さず)直接果報をもたらすものとした。

ヴェーダーンタ学派 - 根本聖典『ブラフマ・スートラ』に則り梵我一如を追求した。
この学派がその後のヒンドゥー教の正統派の地位を継続している。
出典 Wikipedia

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