1.ヒンドゥー教とは何か
ヒンドゥー教は、現代インドの大多数の人が信仰する宗教である。Britannicaの1990年統計によれば、人口8億3千万のインド人の82.64%がヒンドゥー教を信じている。この割合は、1971年の82.72%とほぼ同じで変化がない。
「ヒンドゥー教」の「ヒンドゥー(Hindu)」はペルシャ語で、サンスクリット語の「シンドゥ(Sindhu)」に由来する。Sindhuは「河」の意味で、特に「インダス河」をさす。それで、Hinduは「インダス河周辺の人たち」「インド人」を意味する。
ヒンドゥー教は、インドにおいて仏教やジャイナ教に少し遅れて明確な形を取り始めた民衆の宗教である。シヴァやヴィシュヌ、あるいはラーマやクリシュナをはじめとする多くの神々への信仰と、インドとその周辺の諸民族の伝統的な習俗と密接に関わる儀礼を特徴とする宗教である。「インドの民族宗教」ではあるが、ヒンドゥー教の影響は、広くスリランカやインドネシアのバリ島、ジャワ島など東南アジア一帯に及んでいる。
2.ヒンドゥー教の起源
ヒンドゥー教とヴェーダの宗教とでは、信仰形態や儀礼が明らかに異なる。しかし、ヒンドゥー教の最高神とされるヴィシュヌもシヴァも、ヴェーダと密接な繋がりを持つ。ヒンドゥー教とヴェーダの宗教は異なるとはいえ、境界線はあまり明確ではない。いつヒンドゥー教が始まったかも定かではない。しかし、ヒンドゥー教が広がっていくのは、仏教興隆後であるということはいえる。
紀元前4世紀、マケドニアのアレクサンドロス大王(356-323BC)がインドに侵攻した。その影響を受けて、紀元前4世紀末、チャンドラグプタがマウリヤ朝を興した。ギリシア人のメガステネスは、チャンドラグプタの治世に、シリア王セレウコス・ニカトール(301-280BC在位)の大使としてインドに駐在し、インドでの見聞を書き残した。彼の報告書はあいにく現存しないが、引用断片が現在も伝わっている。その中で彼は、「ディオニュソスの信仰」や「マトゥーラ地方でのヘラクレス信仰」について伝えている。ディオニュソスはシヴァ、ヘラクレスはクリシュナを指すと考えられる。この頃には、すでに民衆の間にシヴァ信仰やクリシュナ信仰が広まっていたようである。
その後、アショーカ王がマウリヤ朝第3代の王として、およそ紀元前268年から232年まで統治した。王は激しい戦争の後に、多くの流血をひき起こしたことを深く反省し、仏教に帰依した。多数の仏塔・石柱を建てさせ、碑文を刻ませた。現存するアショーカ王の碑文のうち、第7
Delhi-Topra碑文には、当時の主要な教団として、仏教(サンガ)、バラモン(ブラーフマナ)、アージーヴィカ派、ジャイナ教(ニルグランタ)の名が出る。この碑文の記事から推定すれば、当時は、仏教やバラモン教が支配的で、ヒンドゥー教のシヴァやヴィシュヌの信仰は、すでに広まっていたとしても、まだそれほど盛んではなかったか、あるいは、ヴェーダの宗教と明確な差異が認められず「バラモン教」として一括されたのであろう。
この頃、作られた『シュヴェーターシュヴァタラ・ウパニシャッド』(6.7,9)には、ヒンドゥー教のシヴァ神信仰の要素が認められる。また、ヒンドゥー教の信仰を伝える主要な文献は、二大叙事詩『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』、そしてプラーナ聖典で、これらの文献の現在の形が完成するのは、ずっと後の紀元後のことであるが、その元になるものは、このマウリヤ朝の頃から形を整え始めた。二大叙事詩もプラーナ聖典も、数百年かけて付加や変更が加えられ、現在の形態が完成したと考えられている。
原始仏典、とりわけ仏伝(ブッダの伝記)には、梵天(ブラフマー)、コブラの神ナーガ、大蛇の神マホーラガなど様々な民衆の信仰の対象であったと思われる神々が登場する。ブッダが、その下で悟りを開いたとされる菩提樹も、神が宿る樹木として先住民族によって崇拝されていたものである。紀元前1世紀頃は、後に「夜叉」と音写されたヤクシャ(男神)、ヤクシー(女神)が信仰を集め、その像が多く作られた。後のシヴァ像や菩薩像の先駆になったとされている。
3.ヴェーダの宗教とヒンドゥー教
ヴェーダの宗教とヒンドゥー教は全く別のものとはいえないが、明らかに異なる。信仰の対象となる神々、信仰の形態には両者の違いが指摘できる。
ヴェーダの宗教では、インドラ、ヴァルナ、アグニが主要な神であるが、ヒンドゥー教では、ヴェーダにおいては脇役であったシヴァ(暴風神ルドラ)、ヴィシュヌ、あるいはヴェーダではなく英雄叙事詩に現れるラーマ、クリシュナなどが主要な神として崇拝される。
このように主要な神々が交代したのは、ヴェーダの宗教がインド亜大陸の西北から東へ、あるいは南へ広がる過程で、それぞれの土地で古くから信仰されてきた神々を吸収し併合したからである。中には、排除され抹殺された土地の神々もあったろう。しかし、多くは融合することによって、異質な文化の摩擦を解消する道が選ばれた。また、融合される土地の神々の側にも「サンスクリット化」することで、高い地位を保つことができる効用があった。それが、非常に複雑な多面的・複合的なヴィシュヌやシヴァという神を生み出した。
多様で異質な神々が、受け入れられ共存する。しかも、それらの神々は独立の神としてバラバラに併存するのではなく、ヴィシュヌ、あるいはシヴァを核として結晶していき、多面的・複合的な性格をもつ神を生み出した。ヒンドゥー教の中で、とりわけ大きな存在であるシヴァとヴィシュヌは、こうして登場してきた。
サンスクリットでは、宗教行為を「karman(行為)」という語で表す。これは二種類に分けられる。ヤジュニャ (yajña) とプージャー (pūjā) である。ヤジュニャとプージャーを厳密に分けることは難しいが、ヴェーダの宗教の儀礼の中心に位置する「祭式」(ヤジュニャ)は、執行者がバラモンに限られている。また、動物の生贄が用いられることがある。
これに対して、ヒンドゥー教の儀礼はプージャーである。プージャーは「尊敬」「礼拝」「供養」を意味する。プージャーの形式の一部はヤジュニャに起源があるが、異なる要素も見られる。執行者は、特定の階級に限定されず誰でも行う。また、供物として用いられるのは、花輪、水、香、食べ物などである。普通、動物の生贄は用いない。(女神カーリーに、ヤギの犠牲を捧げるような例外はある)また、神々を称える歌や踊りがしばしば行われる。
大規模なプージャーとしては、ベンガル地方のドゥルガー・プージャーが有名で、女神ドゥルガーを安置した山車を引き回し、神聖な河ガンガーに浸す。ここでも先住民族の宗教行為を吸収した形跡が見られる。プージャーの一部である花や香の供養は、仏教によって日本にも伝わっている。
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