2021/05/02

道教(2)

外丹

清代に出版された煉金術の書。

神仙への憧れは様々な伝説を生み、『列仙伝』や『神仙伝』といった仙人の伝承が生まれた。仙人になるための修行理論や方法は、葛洪の『抱朴子』に整理されている。葛洪は、人は学んで仙人になることができると主張し、そのための方法として行気(呼吸法)や導引、守一(身体の「一」を守り育てること)などを挙げる。葛洪が特に重視するのは「還丹」(硫化水素からなる鉱物を熟して作ったもの)と「金液」(金を液状にしたもの)の服用である。このように、金石草木を調合して不老不死の薬物を錬成することを「外丹」(練丹術、金丹)と呼ぶ。葛洪は、神仙になる方法を知りながらも、経済的理由で必要な金属や鉱物を入手できないため、実践に至らないとも述べている。

 

実際には、水銀化合物を含む丹薬は毒薬であり、唐代には丹薬の服用による中毒で死に至った皇帝が何人も出た。煉丹術の研究は丹砂や鉛といった鉱物に対する科学的知識を多く蓄積し、唐代の道士が煉丹の過程で事故を起こしたことがきっかけとなって火薬の発明に至った。また、道士は中毒死を防ぐために医学について研究したため、漢方医学の発展を促し、煉丹術の成果は医学に吸収されて外科の薬物として用いられている。

 

宋代以後は、金丹といった「外物」(自己の身体の外にある物質)の力を借りるのではなく、修練によって自己の体内に丹を作り出すという「内丹」の法が盛んになることとなり、外丹は下火になった。

 

内丹

内丹とは、人間の肉体そのものを一つの反応釜とし、体内の「気」を薬材とみなして、丹薬を体内に作り出そうとするもので、それによって不老長生が実現するとされた瞑想法・身体技法である。呼吸法には「吐故納新」、瞑想法には五臓を意識して行う「化色五倉の術」、ほかに禹の歩みを真似て様々な効用を求めた「禹歩」などがある。また、道教においては身体と精神は密接に繋がっていると考えられるため、感情を調和のとれた穏やかな状態に保つ精神的な修養も不老不死のために必要であるとされた。

 

唐代までは外丹が盛んであったが、宋代以後には不老長生法の主流は内丹に移り、『周易参同契』と張伯端の『悟真篇』が内丹の根本経典とされた。『悟真篇』の内丹法は、「金丹」を体内で練成する段階と、それを体内に巡らせる「金液還丹」の段階に分かれている。前者の段階は、腎臓の部位に感じられる陽気の「真陽」と、心臓の部位に感じられる陰気の「真陰」を交合させると、丹田に金丹が生じるというもの。後者の段階は、体内の金丹を育成し、身体の精気を金液に変化させる。この時、金液は督脈と任脈のルートに沿って体内を還流し、十ヶ月続けると神仙になる。ただし、これと同時に心性・精神の修養も必要であるとされ、これは「性命兼修」また「性命双修」と呼ばれ、のちの全真教で重視された。

 

羽化仙と尸解仙

以上のように、道教においてはさまざまな方法によって不老長生の仙人になることが目指されたが、現実には死は避けがたいものであった。そこで、形の上では死ぬという手続きを経た上で、のちに仙人になるという考え方が生まれ、これを「尸解」という。尸解仙の伝説にはさまざまなものがあり、死んだ人が生き返った、棺の中の遺体が消えて服だけになっていた、遺体がセミの抜け殻のように皮だけになっていたといった逸話が語られた。また、丹薬によって中毒死した場合も、それは本当の死ではなく、尸解仙になったものと考えられた。

 

宇宙論

道教における神

道教は多神教であり、中心となる神としては当初は老子を神格化した「老君」や「太上老君」がおり、6世紀ごろからは宇宙の「道」を神格化した「元始天尊」や「太上道君」、13世紀ごろからは黄帝の変身である「玉皇大帝」や「呂祖」がいる。ほかにも、かまどの神や媽祖(海上の守護神)など、無数と言えるほどに多くの神が存在する。

 

道教には、人々が自力で仙界に到達し、苦しみから救済されるという自己救済の形式のほか、人々の苦しみを救う神格も存在している。特に六朝時代中期以降は、仏教の大乗思想を道教が受容し、冥界の死者をも含めたすべての存在を救済するという考え方が取り込まれ、様々な斎法儀礼が整えられた。たとえば「元始天尊」は、宇宙の原初の気を受け、天地の崩壊を超越して不変とされる存在で、「劫」のサイクルごとに救済を行うとされた。

 

天界説

道教において、天の世界は神々の住む場所であり、人も程度に応じて到達可能な理想の境地であるとされた。しかし、具体的な天界説は道教経典においてさまざまな形で現れ、統一されていない。唐代初期の頃に一応の完成された天界説として定着したのが「三十六天説」である。『道門経法相承次序』は、以下のように述べている。

 

天界は三十六の天が積み重なった構造をしている。三界のうちにある二十八天と、その上にある八天に分かれる。三界二十八天のうち、一番下の六天は欲界、次の十八天は色界、次の四天は無色界である。三界二十八天に住む者たちは、寿命は長く、美しい宝玉に囲まれているが、生死を免れない。無色界の上には四天があり、種民天という名前で、そこには生死はなく、災害も及ばない。その上には三境(太清境・上清境・玉清境)があり、これは三天(大赤天・禹余天・清微天)または三清天ともいう。…三境の上、すなわち三十六天の最上部には大羅天がいて、過去・現在・未来の三世の天尊がそこにいる。天尊は三十六天すべてを統括している。

『道門経法相承次序』巻上

 

三十六天説は、仏教の三界二十八天説を下層部に取り込んでおり、仏教の天界の上に道教独自の天を置くことによって仏教よりも優位であることを示した。また、神仙は細かくランク分けされ、それぞれの位階に応じて住む場所が決まっており、三境には九仙・九真・九聖の二十七の位があり、それぞれの位の仙人・真人・聖人が住むとされた。

 

地上の仙人

天界は神仙の住む場所とされたが、地上にも神仙の住む場所はあるとされ、古くは蓬萊山や崑崙山がその場所であるとされた。地仙(地上で暮らす仙人)の別天地として徐々に整理されたのが「洞天」の世界で、六朝時代中期ごろから、天と同様に三十六の洞天があるという観念が生まれた。『真誥』では、洞天の一つとして茅山にあるとされる「華陽洞天」について記載されており、その洞窟の中は特殊な光によって外界と同じように明るく、草木・水沢・飛鳥・風雲など外界と同じ自然が広がっている。宮殿や役所があって、多くの地仙が仙官(仙人世界の官僚)となり、全体が上位の神仙の統轄のもとにある。

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