出典http://ozawa-katsuhiko.work/
死ぬ神
なお、以上の物語に見られる「神が死ぬ」という考え方は、キリスト教などでは絶対に考えられもしないことですから、欧米化の激しい日本でもいつの間にかそんな考え方が一般になってしまいました。しかし「神が死ぬ」ということは、日本では普通だったのです。これはとりわけ珍しいとも言えず、エジプト神話やメソポタミアの神話にもあり、北欧神話にもあり、けっこう各民族に見られるものです。これは「世界」というものが「自然世界として一つ」と考えられているからでしょう。
「死ぬ」ということは「消滅」を意味するのではなく、一つなる自然世界の中での「住む場所の移動」という感じで捉えられているからだと思います。ただし死の世界は「暗く嫌な場所」のようですけど。従って、また神が「生き返る」ということも、しょっちゅうあるわけです。
他方ギリシャでは、神々はやることなすこと人間と全然変わらないのに、ただ「不死だ」ということで「神」ということが主張されてくるというのもあります。
いざなぎの禊ぎ
ところで、逃げ帰って来た「いざなぎ」ですが「ひどく恐ろしいけがれた国に行ってしまったものだ、からだを清めなければ」と言って、筑紫(九州)の日向の国(宮崎と鹿児島)の橘の小門(おど、海が狭くなり流れが早くなっているところ)で「身をそそぐ」ことになります。これが「禊ぎ・払い」の「禊ぎ(みそぎ)」の始まりです。そして、色々な物を投げ捨てまして、そこからまた神々が生じて来ますが、体を水に付けたところからも様々な神々が生まれてきます。
こうして、たくさんの神が生まれたその最後に「左目」を洗った時に「天照大神」が、「右目」を洗った時に「月読」の神が、そして「鼻」を洗った時に「建速須佐の男、素戔嗚尊(須佐之男・すさのう)」が生まれてきます。
天照大神、月読みの神、すさのうの誕生
これを見まして「いざなぎ」の神は喜び「天照大神」には「高天原」を支配するよう命じ、首飾りの玉を与えました。これは高天原を納める者の印であり、その名前を「みくらたな」といい「稲をしまっておく倉の神」ということで、朝廷の仕事が何かを示していると同時に、日本人の神に対する考えもよく表れています。
「月読の神」とは「月齢を数える神」ということで、したがって「夜を支配」することになります。
そして「すさのう」には「海を治める」よう命じました。日本は四面を海に囲まれているのですから「海の神」というのは大事で、さぞかし「すさのう」は喜んで大活躍するのかと思うとさにあらずで、全然働かずただ「泣いてばかり」でした。その後も「すさのう」は「海の神」としての何らの働きも示してこないことになります。
結局、「海の神」として確固たる職分を示す神はほかにも出現せず、日本民族は「海」を身近にしている民族なのに「海」に対する意識の薄さを感じさせてきます。要するに、これは大和朝廷が「農耕の部族」であったからでしょう。このことは「天照大神」の持つ「首飾りの玉」が「稲の守り」であることにもよく表れています。
また、次に示すように「すさのう」は天つ神系にとっては「荒ぶる神」となるのですが、地上にあっては「災害を治める神」であり、また「根の国の主」として、後に「大国主」に「国の支配を保証・宣言」してくる神であって、どうも「出雲系」の主神であったものが、朝廷側に支配されてしまった時に「取り込まれ」たのではないかと考えられます。
朝廷側たる「天の神系」にとっては、彼は強大で難敵であり様々の苦渋をなめた事なのでしょう。しかし恭順したところで、その位置づけをしかるべくしなければならなかった、ということなのだと考えられます。以下、少し詳しく見ておきます。
すさのうの追放
さて、その「すさのう」ですが、泣いてばかりで、その「泣きは凄まじく」様々な災いをうみだしていきます。日本人の神観念の中にある「荒ぶる神」の原型の姿が、ここに見られております。
そこで「いざなぎ」の神が理由を尋ねますと、自分は死んだ母の国「根の堅州国(ねのかたすくに)」に行きたい、などと言ってきました(「すさのう」は本来「いざなぎ」が一人で生み出した神の筈で「いざなみ」とは関係ない筈なのですが)。これを聞きまして「いざなぎ」はひどく怒り、ではおまえはここに住んでいてはならない、と追放の処分を言い渡しました。
そこで「すさのう」は、まず天に出向いて「天照大神」に会ってからということで天に向かいますが、これを見て「天照大神」の方は「侵略か」と恐れ、弓矢を手に身を固めて迎えますが「すさのう」は事の次第を報告にきたまでで邪心はないと釈明し、その誓約をたてます。
ここに二人の神は「子供なる神々」を生むことで、その「真偽」を計ろうと様々な神を生み出していきます。その中で「天照大神」の子供とされたものは、様々な「氏族の祖先」とされてきまして、朝廷配下の氏族の由来の話となっております。
一方「誓約」の方は「すさのう」の勝ちとされ、ここに「すさのう」は勝者の常のおごりによって大暴れし、初めは我慢していた「天照大神」も「機織り」の女が驚かされて機織りの棒を女陰にぶつけ死んでしまうに及んで「天の岩屋戸」に隠れてしまいます。
こうして天も地も真っ暗となってしまいます。ここに「悪しき神」は騒ぎ立ち、困った神々は集まって対策を練り、かくして有名な「あめのうづめ」のストリップ・ダンスとなり、大笑いして騒ぐ神々に、隠れていた天照大神は何事かと声をかけてきたところに、あなた様に勝る尊い神がこられたので喜んでいます、と答えた。いぶかった「天照大神」が顔を出してきたところに「鏡」を差し出して外に誘い出し、出てきたところを「たじからお」の神が引っぱり出してしまい、即座に後ろに「しめなわ」を張って、再び中に入ることが出来ないようにしてしまいました。
こうして「すさのお」の方は、天から追放ということになります。この話の中での「すさのう」の罪は「田畑のあぜを壊したり、溝を埋めたり、馬の皮をはいだり」で、これらは「天つ罪」と呼ばれ重罪とされました。大和朝廷が「農耕部族」であったことが、こうしたことからも知られます。
八俣のおろち
この後の物語は「すさのう」の遍歴となり、「食物の神、おおげつひめ」を殺してしまう話から始まり(この場面に「かみむすびの神」が出てきて、殺された神から生じた穀物の種をとることになります)、そして有名な「八俣のおろち」の話となります。
八つの首を持った巨大な大蛇を酒で酔っぱらわせ退治した話で、この時大蛇からでてきたのが「草薙の剣」で、これは「三種の神器」の一つとなっています。この話も有名であるところから神話学的に様々に解釈されていますが、この話の機縁となっているのが「くしなだひめ」といい、これは『日本書紀』では「奇稲田姫」であることから話全体は「田圃(たんぼ)」にかかわり、八俣の大蛇とは「氾濫する河川」で要するに「治水」の話であるとか、大蛇は「山賊」を意味するとか、色々言われています。なお、この話の舞台は「出雲」の「鳥髪」というところとされています。
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