2021/12/16

トリムールティ(三神一体) ~ インド神話(4)

創造、維持、破壊/再生という3つの役割

トリムールティの役割分担が、どのようにして決まったのかについては議論が残る。原始的なトリムールティでは3柱が完全に同格であり、それぞれの役割は交換可能だったとする考え方もある。

 

ホンダの見方では、ヴィシュヌとシヴァのキャラクターは古代のインド人が自然に感じた神性を象徴しているとする。ヴィシュヌには、全ての生物がそこに依存せざるをえない宇宙を遍く満たす、力強く、慈悲深いエネルギーが表現されており、一方のルドラ・シヴァには粗野で御しがたく、気まぐれで、危険な自然が表現されている。そこから、それぞれのキャラクター、英雄譚は発展し、西暦前までに出来上がっているとする。

 

ベイリーは、ブラフマー神はブラフマンを神格化したものだとしている。また彼によれば、マハーバーラタではブラフマーが創造の役割を担い、ヴィシュヌが維持の役割を担うとする言及が随所にみられるが、シヴァの破壊という役割に関しては、はっきりと描写されていない。破壊的な属性を感じさせるエピソードはあるものの、仄めかしに留まっている。そのためベイリーは、シヴァの役割はマハーバーラタの後に徐々に固まっていったのではないか、としている。

 

アンゲロ・デ・グベルナティスは、プラーナ文献に見られる3柱のキャラクターについて、ブラフマーは自分の神秘的な力を、ヴィシュヌは自分の英雄的資質を、シヴァは精力と富を享受していると表現している。加えて順に賢者、強者、金持ちといった社会的立場に対応するとも記している。ベイリーによれば、デ・グベルナティスの示す神秘的な力、英雄的資質、繁殖力というそれぞれのキャラクターは、それぞれのカルパ(宇宙の寿命)においてトリムールティが担う創造、維持、破壊という3柱の役割と矛盾しない。しかしそれでもなお、シヴァの役割には曖昧さが残るとも語っている。シヴァの役割は破壊であり再生であるとされ、プラーナの神話に描かれるシヴァは繁殖力を象徴することが多い。シンボルとされるリンガも、やはり繁殖力を象徴している。一方で、シヴァは色欲とは無縁のヨーガ修行者としての顔も持つ。このことに関して、ベイリーはシヴァの受け持つ第3フェイズの役割は、一言で説明しきれないからではないかとしている。

 

評価

「ブラフマーとヴィシュヌとシヴァは同一であり、これらの神は力関係の上では同等であり、単一の神聖な存在から顕現する機能を異にする3つの様相に過ぎない」というトリムールティの理論が、ヒンドゥー教の文献の中に現れることは稀であり、このコンセプトが宗教美術のテーマとされることも珍しく、生きた信仰としてはヒンドゥー教に受け入れられてこなかった。

 

トリムールティ理論が登場した背景には、ヴェーダ後の時代に顕在化してきた宗派間の争いを調停しようという意図があったのではないか、という見方が存在する。

 

ダヴァモニーによれば、マハーバーラタの中でも古い時代に書かれた部分ではブラフマーが最高神とされているが、時代が下るにつれてヴィシュヌとシヴァが目立つようになってくる。そして12巻のシャンティ・パルヴァンには、この3柱の本質がひとつであると宣言することによって、それを調停しようする意図が読み取れる記述があるとする。マハーバーラタが記されたのは、古い部分ではBC8-9世紀、完成したのは4世紀頃と考えられている。

 

歴史学者ラメシュ・チャンドラ・マジュンダルは、ヴィシュヌ派とシヴァ派にとどまらず、このプラーナ文献の時代(300-1200年)に表れる様々な宗派の間に見ることのできる協調と調和の精神に注目している。

 

マジュンダルによれば、この時代は宗教的な均質性を欠き、ヴェーダ時代の信仰の名残としての正統派バラモン教を含めて、様々な宗派が混在した。中でもシヴァ派、ヴィシュヌ派、シャクティ派が代表的で、これらは正統派に分類されるものの、それぞれ独自の信仰を形づくっていた。この信仰間の協調に関して、マジュンダルは以下のように述べている。

 

その(協調の)最も重要な成果は、トリムールティという神学的コンセプトに見られる。すなわちブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァという3柱の形での最高神の顕現である。(中略)しかし、この試みは大成功を収めたとはみなされていない。ブラフマーはシヴァやヴィシュヌと比較して、支配的な立場を確立することに失敗している。さらには各宗派は、しばしばトリムールティを自分たちの宗派が信仰する絶対的な神、あるいはブラフマンであるとする神が、3柱の神の姿に顕現したものであるという立場をとろうとする。

 

ニコラス・サットンは、以下のように語る。

ヒンドゥー教の伝統のなかで、ブラフマーがヴィシュヌやシヴァのような信仰を集めたことがあったのか、ブラフマーが最高神であると見なされたことが、一度でもあったのだろうかという疑問を抱くのは当然である。

 

歴史家のアーサー・ルエリン・バシャムは、トリムールティというコンセプトの背景を以下のように語っている。

 

西洋の初期の研究者たちは、ヒンドゥー教とキリスト教の双方に存在するトリニティ(すなわち三神一体と三位一体)という共通点に心惹かれた。しかし、この共通点は実際にはそれほど近いものではない。ヒンドゥー教のトリニティは、キリスト教のトリニティとは違い、広く受け入れられることが無かった。ヒンドゥー教のすべてのトリニティ主義は、いずれか一つの神に肩入れしたがる傾向がある。この文脈からすると、カーリダーサによるトリムールティに捧げられた賛歌は、その実最高神ブラフマーに向けられたものである。トリムールティというコンセプトは、実際のところ意図的に仕掛けられたものであり、ほとんど影響をもたらさなかった。

 

一方で、ヤン・ホンダは、「トリムールティは、シヴァ派とヴィシュヌ派の対立関係を調停するために意図的に作られたものである」という印象を抱くべきではないと強調する。彼はトリムールティとは、この時代のヒンドゥー教において一元論的な、あるいはほぼ一元論的な傾向が強くなる中で、元々あった3人組的なコンセプト、加えてブラフマンは1つであり、始まりも終わりもないという由緒ある思想をリフォームしようとした結果であり、徐々に広まるヴィシュヌ信仰と、それとは相いれないシヴァ信仰という両者の関係の中に、ブラフマンの象徴であるブラフマーを加えた3柱の補完関係を見出し、これらを統合しようとした結果であるとする。

 

ホンダによれば、トリムールティは確かに宗派ごとに信仰する神を上位に立たせようとする傾向はあるものの、少なくとも「単一の至高の存在の3つの顕現」というアイデアからは逸脱してない。この理論は、3つの神の地位を還元して、ひとつの神の様相とすることによって宗教的包括主義を促進した。すなわち他人の宗教や人生観、世界、信条、教義をネクスト・ベストと考えて、拒絶するのではなく適応させるというヒンドゥー教の特色の形成に貢献している。

 

また、フリーダ・マチェット(Freda Matchett)は、トリムールティを様々な神格を異なる基準で取り込むことができるという、ヒンドゥー教がいくつか備えている枠組みの内のひとつであると表現している。

出典 Wikipedia

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