出典http://ozawa-katsuhiko.work/
日本の神々について語る時、前章で見た一般民衆の神々のほかに、やはり『古事記・日本書紀』の神々についても語っておく必要があります。というのも、これは多くが「神社での祭神」となっていて、さらにいわゆる「日本神話」というときに必ず紹介されるものだからです。
ここに見られる神々は、「大和朝廷の創作した神々」です。それでも、「日本神話」といった時には、この『古事記』の神々の話が紹介されてしまいます。その理由は、民衆レベルでの「神」は「自然的力」の象徴であって「人間化」されることが少なく、そのために「人間的な物語」にならず、いわゆる「神話」としてまとまらなかったことが第一の理由でしょう。
さらにまた、その民衆の神は「地域性」が強かったために、物語となっていても「地域伝承・民話」になってしまい、「日本人全体の神話」とはならなかったことなどが挙げられます。したがって、「神話」としてまとまっているのは、朝廷の神々の物語としての『古事記』のそれくらいしか存在しなかったわけでした。
天皇家の話としての『古事記』
前置きはこれくらいにして『古事記』の本文を追ってみましょう。まず序文がありますが、それによると稗田阿礼という人が読み上げたものを太安万侶が書き留めたということになります。この目的は「天皇家の歴史、いわれを正しく伝えるため」であるとされています。ですから初めから「天皇支配の正当性」を物語るものだとはっきりと断っていたのでした。
稗田阿礼が物語った内容は「帝紀」と言われる「天皇家の系譜」と、「旧辞」と言われる「その天皇にまつわる物語」とを整理したものでした。整理されたものですから当然、ギリシャ神話などに見られる矛盾・不整合といったものはみられず、体系だっていて「自然神」から「人格神」そして「天皇」へときれいに繋がります。
世界の形成
物語のはじめは「世界の形成神話」からです。ここに語られてくる神々が、やがて天皇家に繋がってくるのであり、言葉を返せば、「天皇家は世界形成の主体」に由来する、という含みが込められているのでしょう。これはしかし「支配者の神話」であるなら、当然の態度であるとも言えます。
その初めは、「高天原」に生成してきた神は「天の御中主(あめのみなかぬし)の神、次に高御産巣日(たかみむすひ)の神、次に神産巣日(かみむすひ)の神」と言われてきます。序文の方で「宇宙の初めができてきたけれど、万物を形成すべき形も気もなく、名前もなく何の動きもなく、だれもその形を知らない、そうしたところに天と地が分かれ、そこに三柱の神々が生じた」とあり、このあたりの記述は中国の「宇宙創世説」によっていると言われています。実際、この当時すでに中国・朝鮮からの渡来人は相当の数になっており、朝廷内部に深く関与していたことはよく知られています。中国の思想が根底にあっても、少しも不思議ではありません。
世界の三区分
ここに見られるいくつかの名前のうち、まず「高天原(たかまがはら)」というのが注目されますが、この『古事記』では世界を「天」と「地」と「地下」の世界とに分け、「天」は「天つ国(あまつくに)」とし、また別名「高天原」となります。「地」は「芦原の中つ国(あしわらのなかつくに)」と呼ばれ、要するに私たちが住んでいるこの地です。「地下」については実はあまりはっきりせず、要するに「はるかなる遠い地」なのですけど、地を中心に立体的に考えれば、天に対して「地下」ということになってきます。これは「根の国(ねのくに)」と呼ばれます。
こうした宇宙観は、一見したところ普遍的とも見えるのですが、果たしてこれが日本人一般の考え方であったかどうかは疑問です。古代日本人の観念は、こんな風に明確に世界を三分割して論理的に考えることはなく、この「自然世界を一つなるもの」として見ており、死者にしても「地下」へ行くというより、たとえば「海の彼方」を想定したり「山」に想定したりで、こんなところから「祖霊信仰」が成立しえたのであって、異なった空間へ行くとは、とうてい考えられていないようです。
しかし、「天皇」の立場に立てば、自分たちの祖先はこの地上を超えた遙かなる高みから「降臨した」としなければならないわけで、そうすることで「権威」を主張できるわけです。中国の「天」の思想が背景にあるのでしょう。中国では「支配者」は「天子」というわけで、天からの権威を持っている者と主張されたのでした。その構造が、ここに主張されたのでしょう。
天の御中主(あめのみなかぬし)の神
一方、「天の御中主」の神というのは全く観念的な神であり、宇宙の中心といったような意味合いをもたされているのでしょうが、この後何らかの働きを示してくることはありません。
『日本書紀』などでは、ほとんど無視に近く「付随的に」名前が挙げられてくる程度です。ですから後に平安時代にまとめられた「神々名鑑」ともいうべき『延喜式』にも名前が見あたらないことになってしまいます。要するに、「論理上」要請された神にすぎないのですが、このように「論理」を持っているところが「作為」があるということなのです。ただし、この『古事記』の神に宗教を読みとろうとした平田篤胤などは、この神に宇宙の最高神をみてきますが、それは彼の「神学上」の要請からでした。
高御産巣日(たかみむすび)の神
「高御産巣日」の神は、この後も大活躍で、最大級に大事なことの命令はこの神から発されてくることになります。後の「天孫降臨」の時もそうであり、つまり「天皇」をこの地上に送り出してきたのは、この神だったのです。そんなわけで、天皇家の本来の「祖先神」はこちらの方で、のちにその「巫女」が、この神と同体と見られて「天照大神」とされ「祖先神」とされたのではなかろうかという見解まで提出されております。
この神は「むすび」と言う名前を持っているように「生産」にかかわる神であり、日本人の神観念が基本的に「自然の生産力」にあることを考えれば、この神が初めに生じた神の一人とされていることは納得が行くと同時に、「朝廷も」一般日本人と同じ神観念を根底にもっていたことが推察できるわけです。
神産巣日(かみむすび)の神
もう一柱が「神産巣日」の神でしたが、こちらも活躍していきます。この神も「むすび」と言う名前を持っているように「生産」に関わる神であり、文字通り穀物から種をとり「五穀の祖」となっています。またこの神は、もちろん「天つ国」の神ですが「国つ神」系の「出雲」と深い関係を持ち、出雲の国土造成神である「おおあなむち(大国主と同じとされますが、本来は出雲の国土造成神で、この神ばかりでなくかなりの神が集合同化されて形成された「大国主」の神に吸収同化したと考えられています)」が殺されてしまった時、その命を再生したのもこの神です。
以上の「三柱の神」を『古事記』では特別の名前で呼んでいませんが、通常特に「造化三神」と呼んでいます。
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