2022/01/14

国譲り ~ 古事記と日本書紀の神々(5)

 出典http://ozawa-katsuhiko.work/

すくなひこなの神

 その後、話は「八千矛の神(大国主の別名)の歌物語」という、文学的には意味がありますが、全体的物語には大して意味のない歌が挿入され、さらに出雲系の氏族の家系の列挙となり、「すくなひこな」の神の話となります。これは、どうやら「蔓芋の種」の擬人化と見られる点と、「渡来の神」として「現れ、また去っていく」という「渡来神」の姿が描かれていることで重要です。

 

 つまり、彼は小さな「蔓芋」のさやの船に乗って現れましたが正体がしられず、そこで「くえびこ」という「天下のことを知る山田の案山子」に尋ねたところ「かみむすびの神の子」で、名前は「すくなひこな」であるということでした。そこで「かみむすび」の神にただしたところ、その通りであり、大国主と二人してこの国を造りなさい、という答えがあったという。そして後、この神は海のかなたへと渡っていってしまった、となります。

 

 この「海の彼方からくる神」は「助っ人として来て、やがて帰っていく」という観念は日本人に独特の外国観を反映しています。こうして、また「海からやってきた」「みもろの山の神」、つまり大和の三輪山の話と続き、さらに「大年の神、つまり稲の実りの神の系譜」が挙げられて、再び話しは「天つ国」に戻り、「大国主の国」との関係が語られてくることになります。

 

天つ国からの使者

 「天つ国」と「大国主の国」との確執の始まりは、天つ国の「天照大神」が「あの地はいい国だから、私の子が治める地にしよう」などと勝手なことを言い出したことにあります。「あの地」というのは「芦原の中つ国」であり、もちろん大国主の国のことです。

 

端的に言ってしまえば、隣の国がこちらを見て「あの国は良さそうだから、自分の支配地にしよう」と言ったわけで、完全な「侵略」の意図を明らかにしたというわけです。事実的・歴史的には実際そうであり、大和朝廷が各地を侵略していった歴史をうかがわせます。実際、これ以降の物語は、天つ国、つまり朝廷の出自の国が各地を侵略していく話となっていきます。

 

 先ず、天照大神は「おしほみみ」を遣わし、様子を探らせます。その報告によると「あの国はひどく騒がしく、荒ぶる神々で一杯だ」ということでした。これは要するに、強敵になりそうだということでしょう。そこで天照大神は、他の神々と相談し「先遣隊」を送り込みます。これは恐らくは恭順を迫りにいったということでしようが失敗で、どうも逆に説得されてしまったようで、三年経っても返事をよこさなかった、とされています。

 

そこで再び「あめのわかひこ」を送りますが、彼も大国主の娘と結婚してしまい、八年経っても返事をよこさなかった、となります。そこでまた、その様子を探らせようと「雉の鳴き女」というのを差し向けます。その「雉」は「あめのわかひこ」のところに来まして天の神の言葉を伝えますが、「天の事どもを探る女」という意味の者が、この雉は天のスパイであることを見抜いたのでしょう、その鳴き声がよくないから殺すのがよいと進言し、そこで「あめのわかひこ」は、天より携えた弓矢でこの雉を射殺してしまいます。ところがこの矢が勢い余って、天まで飛んで「天照大神」と「たかみむすび」の神のところまで飛んでいってしまい、それが「あめのわかひこ」のものであり、しかも血がついていることが判明してしまいます。

 

こうして「たかみむすび」は、もし「あめのわかひこ」が命令通り征服戦争を遂行しているならよし、そうでなく反逆の心で(雉を射殺したのなら)「あめのわかひこ」に当たれといって投げ返すと、それは寝ていた「あめのわかひこ」に当たり死んでしまいました。多分、裏切り者ということで刺客が放たれ、暗殺されたということでしょう。

 

国譲り

 「あめのわかひこ」も失敗に終わりましたので、天照大神は「次はどの神を送ろうか」と言いますと、その場にあった神々が「剣」をイメージする「いつのおはばり」か、その子供の「たけみかずち」つまり雷の神になりますが、そのどちらかが良いだろう、と言ってきます。たしかに、強力な軍をイメージさせます。そして結局、「たけみかずち」が行くこととなり、彼は出雲につくと剣を抜き放ち、それを浜に刺し立て、その前にどっかと座って「大国主」に「天照大神がのたもうには、お前が治める芦原の中つ国は自分の子供が治める国とする、ということであるがお前の心はどうか」と言ってきます。完全に脅迫です。

 

 大和朝廷が出雲を侵略したという事実的歴史においては、「大国主」にあたる出雲の当主は頑強に抵抗したでしょうが、この物語では大国主は優柔不断にされています。自分では判断つかない、自分の子供が返事するだろう、などと言ってきます。そこで一人目の子供の「事代主」を呼びつけ返事をさせると「この国は天照大神に献上するべきだろう」と言って、隠れてしまいます。どうも「たけみかずち」の軍を見て恐れたようです。

 

 しかし、もう一人の子供「建御名方(たけみなかた)」は大きな石を片手に持ち上げ、戦いを挑んでいきます。しかし、その結果「建御名方」は負けて投げつけられ逃げ出したとなり、現在の長野県の諏訪湖まで逃げたが、そこで追いつかれ恭順を誓ったとなっていきます。

 

 こうして再び「大国主」のところに戻って、その心が問われるわけで、ここで大国主は自分の社が「天照大神の社なみに」確定されているなら、という条件で恭順してくることになりました。これは無条件降伏とはかなり異なる在り方で、支配実権は譲るが名は譲らないといったところで、一族も名誉も確保されているということになります。

 

 こんなわけで、出雲大社は大和朝廷の社である伊勢神宮に次ぐ大社となり、また頑張って戦った「建御名方」の諏訪大社も、由緒と格式のある代表的神社となっているのでしょう。

 

天孫降臨

 一方、こうして出雲が平定されたとの報告を得て、天照大神と「たかみむすび」の神は「おしほみみ」を、芦原の中つ国に派遣しようとしますが、「おしほみみ」は自分が行こうと準備している間に子供が生まれたので、その子を行かせたいと思う、と言ってきます。その子の名前が「ににぎの尊」というわけでした。

 

こうして「ににぎの尊」が天より降りることととなり、降りて行こうとするとその道の真ん中に天と地を照らしている神がいます。そこで「天のうずめ」が命じられてその正体を確かめに行きますと、その神は、自分は国つ神「さるたひこ」というもので、「天よりの神」を迎えようと、ここにこうしていると答えてきました。こうして「ににぎの尊」は天より降りてきたわけで、彼は天照大神の孫に当たるわけで、それで「天孫降臨」となるわけでした。

 

 ここから先は、完全に大和朝廷の組織作りの話しになっていきます。職業集団や氏族の成立の起源の話しというわけですので詳しくは割愛し、一般に知られている話しだけを紹介します。

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