2022/05/05

仏像とは何か(1)

出典http://ozawa-katsuhiko.work/


 多くの宗教では「崇拝の対象」を形にして礼拝をしております。例外なのは「偶像を作ってはならない」という具合に「意識的に偶像を拝する」という形となった「ユダヤ教」及びその系譜にある「イスラーム」くらいのもので、そこは「作らない」というところに自分たちの宗教の特色を主張しているのでした。

 

 しかし、同じ「ユダヤ教」の系譜にあっても「キリスト教」には「聖画」があります。このように一般には「崇拝対象」を持つのが普通で、そしてその表現のところにその宗教の特色を主張しているのでした。仏教にもそれがあり、それは「仏像」と言われます。この章は、その「仏像」のあり方を通して、仏教の特質を見ていきたいと思います。

 

形に描かれた神

 古代ギリシャの場合には「神像」が大きく発展していました。現在の西洋美術の原点、故郷なのです。そこでの神ゼウスとかアポロンとかは「一人一人の神が個々に識別」されて、礼拝の内容によって対象となる神が変わってきました。またその神の像は、「人間そのもの」のように「写実的」に描かれてきます。

 

 それに対して日本における仏教の場合は、ギリシャ的な「この時はこの神(仏)」「あのときはあの神(仏)」といった明確な「職分の違い」というものをほとんど持ちません。そして、その姿もギリシャ的な「写実的人間像」ではなく、むしろ「超越性」を表すような様式的形姿となっています。

 

 古代ギリシャも仏教も同じように「人体をモデル」に神・仏像をつくっているのですが、このように大きな違いがあります。その像の制作の経緯からも、両者の違いを示すことができます。ギリシャの場合は、「像の制作」ということが行われた時、それはそのまま「神像の制作」でした。仏教は、どうだったのでしょうか。

 

仏像の制作

 仏教の場合、「仏像」と命名できるものは、紀元前5~6世紀と推定される釈迦の死後、数百年の間は存在しませんでした。その間、信者が礼拝の対象としたのは釈迦の遺骨を納めたとされる「ストゥーパ」でした。また、釈迦の事績を描く「仏伝図」にしても、「菩提樹」「台座」「足跡」「法輪」など「シンボル・示唆するもの」でしか表現せず、人間的な姿をした「仏陀そのもの」を描くということはなかったのです。

 

 他方、「大地の精霊」のようなもの(「ヤクシー」という)は、紀元前から制作されていました。この流れで、後に仏教に取り込まれることになる「伝来の神々(仏教に取り込まれて以降、インドラは帝釈天に、ブラフマーは梵天に、ラクシュミーは吉祥天に、といった具合)」の像も制作されていました。ですから「像の制作」ということを知らなかったわけではありません。要するに「仏陀像」に関してのみ意図的に制作していなかったわけで、ここでは「偶像を作ってはならない」とした「ユダヤ教」「イスラーム」などと同じ考え方をしていたわけでした。

 

 それが紀元後100年頃から、突然「ガンダーラ地方」において、さらに「マトゥラー」において「仏像」が制作されてくるのです。その経緯については、定説とされるものはありません。良く分からないのです。

 

 考えられる経緯としては、この頃、いわゆる「大乗仏教運動」が盛んとなっており、この大乗仏教は「一般庶民のもの」を大義名分としていたので、庶民感覚に合致する「分かりやすい表現」を求めたためかも知れません。実際、この大乗仏教は後に「伝統の神々」を「仏教の守護神」という形で取り込んでしまうのです。伝統の神々は「像」に刻まれる習慣がすでにありましたから、この像の制作を「仏陀」にまで拡大してきたとも考えられます。このあたりは、「庶民の宗教感覚」の問題ですから、残された仏像やその他の遺物からは「仏像制作の理由」は推察できないでしょう。つまり美術史的には、何も議論できないということです。

 

 ただし、この「仏像」の「彫刻表現」の問題としては、ギリシャやペルシャなどの先行する彫刻文化の影響を強く受けていることは推定できます。初期のガンダーラ美術に「ギリシャ人的な風貌」が見られ、彫刻技法・様式においてもその影響が指摘できるのです。釈迦像も僧侶の形ではなく、波状の頭髪を持ち、顔はギリシャ風でした。着物も、深い平行線状のヒダをもつギリシャ彫刻の特徴を、そのまま持っています。

 

 私たちになじみの縮れ毛の仏様は、三世紀ころから初められ五世紀ころ定着したもので、かなり後代になってからです。このガンダーラに端を発して、ここを原型とする様式や手法がやがて中央アジア、中国、朝鮮を経てわが国にまで伝わってくるのです。もちろん、物事はそうそう単純ではなく、さまざまの複合要因をもち、像の制作についても異なった起源が考えられるのですが、おおまかな太い線としては以上のようなことが言えるでしょう。

 

 異なった起源については「マトゥラー」での仏像があげられます。マトゥラーの仏像にはギリシャ的な風貌が見られずインド的なので、ガンダーラとは別個に開発されていったと考えられます。この起源については、宗教的要因としては今指摘した「大乗仏教運動」が考えられるわけですが、様式的には紀元前から作られていた「ヤクシー」などの像の流れといえるのかもしれません。

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