出典http://ozawa-katsuhiko.work/
日本での仏像崇拝のありかた
日本における神崇拝の在り方は、自然物ないし自然物に「神を宿らせたもの(依代、よりしろ)」を「崇拝対象」としていました。これは「仏像」が制作されるようになっても変わりませんでした。いや、その仏像に触発されて「神像」も作られたのですが、ついに一般化せずに廃れてしまったのです。
日本の神は「自然の力」というのが本来であり、そうであり続けて「人格化」することはついになかったということです。これは一見「偶像崇拝」を廃する「ユダヤ教やイスラーム」と似ているとも見えますが意味は全然違っており、日本の神は「自然性」を強く主張したからであり「イスラーム」などは「地上的存在からの超越性」を強く主張するからです。ですから日本での「神」は、自然物に宿るものとして「依代」という「形」をとるのに対して、イスラームなどでは「まったく形に現れない」となるのです。
他方「仏教」の方は、伝来の初めから「仏像」という形で渡来したため「仏像」が、そのまま崇拝対象となりました。その種類はたくさんのものになりましたが、僧侶階級はイザ知らず、一般庶民感覚としてはいずれにしても「仏」であるからということでの崇拝であり、仏像の種類の識別は殆ど意識していません。乱暴な言い方をしてしまうと、結局「仏像」も「神の依代」のごとくに見られていたのかもしれません(「依代」には「人型のようなもの」もあったから)。そのため、「個々の」仏像の種類や名称については、あまり重要視されなかったのではないかと思われるのです。
そして、なんでも「仏像」と呼んでしまうのですが、実はその仏像には「クラス」があり、さらにそのクラスの中の仏に様々な種類があるのです。このクラス分けは日本独特のようですが、そのクラス分けを紹介しておきましょう。
第一のクラス:如来像
釈迦像を本来とする「本来の仏像」で「如来」像とも呼んでいるものです。一般に知られているところでは、「釈迦像」の他、奈良の大仏で知られる「毘櫨遮那仏(びるしゃなぶつ)」、鎌倉の大仏で知られる「阿弥陀仏」、密教の主仏である「大日如来」、薬の壺をもった「薬師如来」などがそれになります。
この如来像は、大日如来を除いて「衣のみ」をまとった姿で形象化されています。大日如来は「宇宙の王」ということなのでしょうか「王」を表す装身具をまとっています。この「如来像」は多くが「坐像」となっています。
第二のクラス:菩薩像
菩薩はお釈迦様が「仏陀となる前の姿」で、最高段階の修行に至っている「修行者」の意味です。ですから、本来は第二クラスのものとして、第一の「如来」に劣るものの筈でしたが、やがて仏教的理想を具現しているように捕らえられていき、衆生の救済を担うような「信仰対象」になっていきました。
菩薩像は、装身具をたくさん身につけている姿で形象化されていますが、これは釈迦が出家する前の姿、つまり「釈迦族の族長の息子」であった時代のものを表していると説明されます。ただし、インド古来の民族宗教であるヒンズー教の影響も濃厚にあるといえます。顔がたくさんあったり、手がたくさんあったりする像はその影響と思われます。
菩薩像の代表的なものは「観音菩薩」でしょう。この観音菩薩は「十一面観音菩薩」とか「千手観音」「馬頭観音」とか、いろいろな姿に身を変えます。
この他には「お地蔵様」としてしられる「地蔵菩薩」がとりわけ有名で、さらに「普賢菩薩」や「文殊菩薩」「日光」「月光」などが有名でしょう。また「弥勒菩薩」は思想的にも、未来に仏となって釈迦の救済に漏れたすべての衆生を救うとして非常に重要です。
第三のクラス:明王像
「明王像」ですが、これは「密教」に独特のもので、形姿としてはヒンズー教の神々が仏教に取り入れられて、形象化したものと考えられます。初期段階は如来の「使者」という性格をもっていたようですが、後に「如来の変身像」とされていきます。
役割としては「度し難い民衆をしかりつけ教化する」というところにあり、したがって憤怒の表情をもっています。この下のクラスの「天部」の像も憤怒の表情をもつものがありますが、それらよりこちらの方が数段激しいです。すべて仏教に敵対するものを打ち砕く強さが要求されたからです。したがって、その形も荒々しく恐ろしげな形相をもち武器を手にしています。代表的なものが「不動明王」ですが、その他にもたくさんおります。
第四のクラス:天部
「天部」とは、つまり「何々天」とよばれるものですが、これもむろん仏教本来のものではなく、民間信仰の神々が取り入れられて「仏教の守護神」や「特殊技芸を司る神」にされたものです。
守護神とされたものは鎧に身を固めた姿が多く、武器をもち、強そうな表情に形象されています。しかし、その形象はインド的なものから中国的となり、その表情もさまざまとなってきます。本来の仏でないところから、そうした「自由化」が行われたのでしょうか。ただし、日本に入って「日本的姿化」することはありませんでした。これはあくまで「渡来神」という性格を残しておくためだったかもしれません。
この天部のうちよく知られているのが、お寺で「本尊」の四方を守っている「四天王」で、その中の多聞天は「毘沙門天」としても有名です。またインド神話の天帝であったインドラたる「帝釈天」や万有の根源、ブラフマンである「梵天」もよく知られています。
また「仏」や「菩薩」は性別を超えていますが、この天部は性別があり、女性の神もいます。神話世界の神々なのですから居て当然です。有名なところでは「弁天様」や「吉祥天」などがいます。また、お寺の門のところで「門番」をしている「仁王様」も、この天部に属しています。これは二つの姿に現れていますが、本来「一体」のものの分身姿で、本体は「帝釈天」だとされています。
第五クラス:その他の像
最後が「その他の像」で、ここには釈迦の「十大弟子」の像、また伝統的仏教では悟りの境地まで至りついているとされるのに、北方仏教ではまだ途中段階のものとして下にランクされてしまった「羅漢」の像、つまり十六羅漢とか五百羅漢と呼ばれて、たくさんならんでいる修行者のような像がそれで、さらにまた「高僧」の像などが含まれます。高僧とされる人はたくさんおりますから、この種類はたくさんとなります。
以上のような具合ですが、「如来信仰」「阿弥陀仏信仰」など「本来の仏」への信仰は厳然として存在する一方、観音様やお地蔵様への「菩薩信仰」も盛んでした。一方「不動明王」への信仰も強固なものがあり、こうして「仏像信仰」が盛んであったということは言えるのですが、しかし、その「仏」とか「菩薩」「明王」といった意識や、さらに「観音様」と「お地蔵様」また「不動明王」の違いがどこまで意識されていたのかは、はなはだ怪しいです。
本来「仏の像」は「お釈迦様」の像だけの筈です。ところが、後に永遠の真理を悟った者がお釈迦様一人だけの筈はない、なぜなら「永遠」の長きにわたって真理は存在しているわけで、その「永遠」に対してたった一人しかそれを悟らなかったなどとはあり得ない、という変な理屈がつけられたようでした。
もっとも、仏教的には、真理は釈迦一人のものではなく、彼は過去の諸仏のたどった道を見出だし悟りに至ったのであって、そこで人は釈迦のたどった道を追うことによって悟りに至れるのだという教えを言うもの、と解説されるようですが、いずれにせよともかく「過去仏」が想定されました。こうして「複数」になってしまったら、後はもうたくさんの仏が想定されてきても何の不思議もありません。実にたくさんの「仏様」が存在することになりました。
とくに、これは北方仏教、いわゆる「大乗仏教に特徴的」に見られるのですが、これは「民衆のもの」を標榜する仏教運動であり、その「民衆化」というところに仏像製作の性格が関係し、特に、その中の「密教」が民間信仰と融合して、その「民間の神様達」を「仏の世界」に位置付けていったことが大きな原因としてあげられるでしょう。
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