2023/04/04

唯識(2)

唯識は、4世紀インドに現れた瑜伽行唯識学派(唯識瑜伽行派とも)、という初期大乗仏教の一派によって唱えられた認識論的傾向を持つ思想体系である。瑜伽行唯識学派は、中観派の「空 (くう)」思想を受けつぎながらも、とりあえず心の作用は仮に存在するとして、その心のあり方を瑜伽行(ヨーガの行・実践)でコントロールし、また変化させて悟りを得ようとした(唯識無境=ただ識だけがあって外界は存在しない)。

 

 この世の色(しき、物質)は、ただ心的作用のみで成り立っている、とするので西洋の唯心論と同列に見られる場合がある。しかし東洋思想及び仏教の唯識論では、その心の存在も仮のものであり、最終的にその心的作用も否定される(境識倶泯 きょうしきくみん 外界も識も消えてしまう)。したがって唯識と唯心論は、この点でまったく異なる。また、唯識は無意識の領域を重視するために、「意識が諸存在を規定する」とする唯心論とは明らかに相違がある。

 

 唯識思想は、後の大乗仏教全般に広く影響を与えた。

 

識の相互作用と悟り

唯識は語源的に見ると、「ただ認識のみ」という意味である。

 

心の外に「もの」はない

大乗仏教の考え方の基礎は、この世界のすべての物事は縁起、つまり関係性の上でかろうじて現象しているものと考える。唯識説はその説を補完して、その現象を人が認識しているだけであり、心の外に事物的存在はないと考える。これを「唯識無境」(「境」は心の外の世界)、または唯識所変の境(外界の物事は識によって変えられる)という。また一人一人の人間は、それぞれの心の奥底の阿頼耶識の生み出した世界を認識している(人人唯識)。他人と共通の客観世界があるかのごとく感じるのは、他人の阿頼耶識の中に自分と共通の種子(倶有の種子 くゆうのしゅうじ、後述)が存在するからであると唯識では考える。

 

阿頼耶識と種子のはたらき

人間がなにかを行ったり、話したり、考えたりすると、その影響は種子(しゅうじ、阿頼耶識の内容)と呼ばれるものに記録され、阿頼耶識の中に蓄えられると考えられる。これを薫習(くんじゅう)という。ちょうど香りが衣に染み付くように、行為の影響が阿頼耶識に蓄えられる(現行薫種子 げんぎょうくんしゅうじ)。このため阿頼耶識を別名蔵識、一切種子識とも呼ぶ。阿頼耶識の「阿頼耶」(ālaya)は「蔵」という意味のサンスクリット語である。さらに、それぞれの種子は、阿頼耶識の中で相互に作用して、新たな種子を生み出す可能性を持つ(種子生種子)。

 

また、種子は阿頼耶識を飛び出して、末那識・意識に作用することがある。さらに、前五識(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)に作用すると、外界の現象から縁を受けることもある。この種子は前五識から意識・末那識を通過して、阿頼耶識に飛び込んで、阿頼耶識に種子として薫習される。これが思考であり、外界認識であるとされる(種子生現行 しゅうじしょうげんぎょう)。このサイクルを阿頼耶識縁起(あらやしきえんぎ)と言う。

 

最終的には心にも実体はない

このような識の転変は無常であり、一瞬のうちに生滅を繰り返す(刹那滅)ものであり、その瞬間が終わると過去に消えてゆく。

 

このように自己と自己を取り巻く世界を把握するから、すべての「物」と思われているものは「現象」でしかなく、「空」であり、実体のないものである。しかし同時に、種子も識そのものも現象であり、実体は持たないと説く。これは西洋思想でいう唯心論とは微妙に異なる。心の存在もまた幻のごとき、夢のごとき存在(空)であり、究極的にはその実在性も否定される(境識倶泯)。

 

単に「唯識」と言った場合、唯識宗(法相宗)・唯識学派・唯識論などを指す場合がある。

 

唯識思想の特色

仏教の中心教義である無常・無我を体得するために、インド古来の修行方法であるヨーガをより洗練した瑜伽行(瞑想)から得られた智を教義の面から支えた思想体系である。

 

心の動きを分類して、八識を立てる。とりわけ、末那識と阿頼耶識は深層心理として無意識の分野に初めて注目した。

 

自らと、自らが認知する外界のあり方を、三性(さんしょう)説としてまとめ、修行段階によって世界に対する認知のありようが異なることを説明した。

 

ヨーガを実践することによって「唯識観」という具体的な観法を教理的に組織体系化した。

 

『法華経』などの説く一乗は方便であるとし、誰もが成仏するわけではないことを説いた。(五性各別)

 

成仏までには三大阿僧祇劫(さんだいあそうぎこう)と呼ばれる、とてつもない時間がかかるとした。

 

『般若経』の空を受けつぎながら、まず識は仮に存在するという立場に立って、自己の心のあり方を瑜伽行の実践を通して悟りに到達しようとする。

 

成立と発展

唯識はインドで成立、体系化され、中央アジアを経て、中国・日本と伝えられ、さらにはチベットにも伝播して、広く大乗仏教の根幹をなす体系である。倶舎論とともに仏教の基礎学として学ばれており、現代も依然研究は続けられている。

 

インドにおける成立と展開

唯識は、初期大乗経典の『般若経』の「一切皆空」と『華厳経』十地品の「三界作唯心」の流れを汲んで、中期大乗仏教経典である『解深密経(げじんみつきょう)』『大乗阿毘達磨経(だいじょうあびだつまきょう)』として確立した。そこには、瑜伽行(瞑想)を実践するグループの実践を通した長い思索と論究があったと考えられる。

 

論としては弥勒(マイトレーヤ)を発祥として、無著(アサンガ)と世親(ヴァスバンドゥ)の兄弟によって大成された。無著は「摂大乗論(しょうだいじょうろん)」を、世親は「唯識三十頌(ゆいしきさんじゅうじゅ)」「唯識二十論」等を著した。「唯識二十論」では「世界は個人の表象、認識にすぎない」と強く主張する一方、言い表すことのできない実体があるとした。「唯識三十頌」では上述の八識説を唱え、部分的に深層心理学的傾向や生物学的傾向を示した。弥勒に関しては、歴史上の実在人物であるという説と、未来仏としていまは兜率天(とそつてん)にいる弥勒菩薩であるという説との2つがあり、決着してはいない。

 

世親のあとには十大弟子が出現したと伝えられる。5世紀はじめごろ建てられたナーランダ大僧院(Nālanda)において、唯識はさかんに研究された。6世紀の始めに、ナーランダ出身の徳慧(グナマティ、Guamati)は西インドのヴァラビー(Valabhī)に移り、その弟子安慧(スティラマティ、sthiramati)は、世親の著書『唯識三十頌』の註釈書をつくり、多くの弟子を教えた。この系統は「無相唯識派」(nirākāravādin)と呼ばれている。

 

この学派は、真諦(パラマールタ、paramārtha)によって中国に伝えられ、地論宗や摂論宗として一時期、大いに研究された。

 

一方、5世紀はじめに活躍した陳那(ディグナーガ、Dignāga)は、世親の著書『唯識二十論』の理論をさらに発展させて、『観所縁論』(ālambanaparīkā)をあらわして、その系統は「有相唯識派」(sākāravādin)と呼ばれるが、無性(アスヴァバーヴァ、asvabhāva6C前半頃)・護法(ダルマパーラ、Dharmapāla)に伝えられ、ナーランダ寺院において、さかんに学ばれ、研究された。

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