2023/06/29

キリスト教(1)

キリスト教(基督教、ギリシア語: Χριστιανισμός、ラテン語: Religio Christiana、英語: Christianity)は、ナザレのイエスをキリスト(救い主)として信じる宗教。イエス・キリストが、神の国の福音を説き、罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ、復活したものと信じる。その多く(正教会・東方諸教会・カトリック教会・聖公会・プロテスタントなど)は「父と子と聖霊」を唯一の神(三位一体・至聖三者)として信仰する。

世界における信者数は20億人を超えており、すべての宗教の中で最も多い。

 

キリスト教の成立

イエスの死後、弟子たちはイエスの教えを当時のローマ世界へと広めていった。こうした過程で初期の教団ができた。

なお、キリスト教側は、特に新たな宗教がこの時に造られたとは自認しないが、ユダヤ教側はこの教団を「ユダヤ教からの分派」と看做す。

 

キリスト教とユダヤ教の自己認識の差を示す図

 

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ここではキリスト教の主だった教派を紹介するに留める。キリスト教は、その歴史とともに様々な教派に分かれており、現在はおおむね次のように分類されている。

 

ü  初代教会 - 最初期の教会、下記の諸教会の前身

ü  西方教会 - 西ローマ帝国の旧領:西欧で発展した教会

ü  カトリック教会 - ローマ教皇を中心とする派聖公会(英国国教会) - カトリックとプロテスタントの中間に位置づけられる性格

 

プロテスタント - 16世紀の宗教改革運動によりカトリックから分離した諸教派。主な教派として次のようなものがある。

ü  ルーテル教会(ルター派)

ü  改革派教会(カルヴァン派、長老派教会、改革長老教会)

ü  会衆派教会

ü  メソジスト教会

ü  バプテスト教会

ü  アナバプテスト

ü  東方教会

ü  正教会(ギリシャ正教) - 東ローマ帝国・ギリシャ・東欧で発展した教会

ü  東方諸教会 - 非カルケドン派の諸教会とアッシリア東方教会

 

東方教会には、東方諸教会と正教会がある。東方諸教会は、キリスト論の理解が他の教派とは異なる。

 

聖書

キリスト教の聖典(聖書)には、ユダヤ教から受け継いだ旧約聖書と、キリスト教独自の聖典である新約聖書がある。 「旧約」、「新約」という名称は、前者が神と人間との間に結ばれた旧来の契約であり、それに対して後者がキリストにより神と新たに結ばれた契約であるとみなしている事による。

 

新約聖書は、以下の文書群を含んでいる

ü  福音書:イエスの伝記。全部で4つあり、内容には重複が見られる。

ü  パウロ書簡:精力的に布教をした弟子であるパウロが、各地の教徒に向かって書いたとされる手紙。

ü  公同書簡:キリスト教徒一般に向けて信仰のあり方を説いたとされる書簡。

ü  ヨハネの黙示録:ユダヤ教でいう黙示文学に属する文書で、終末論についてかかれている。

 

これらの文書群は、1世紀から2世紀頃にかけて書かれ、4世紀中頃にほぼ現在の形に編纂された。

 

正典、続編、外典、偽典など

聖書に属すると認められている文書群を聖書正典と呼ぶが、どこまでを正典とみなすかには教派毎に差がある。。

新約聖書に関しては、正典の範囲に教派毎の差がほとんどなく、カトリック、プロテスタント、東方正教会、ほとんどの東方諸教会が同一の27書を正典とする。

 

一方、旧約聖書に関しては教派ごとの異同が激しい。プロテスタント(39)よりもカトリック(46)の方が多くの文書を含み、カトリックよりも東方正教会(51)や東方諸教会の方が多くの文書を含む。プロテスタントがカトリックよりも文書数が少ないのは、カトリックが使っていた旧約の文書のうち、ヘブライ語で書かれたもののみを正典と認めたことによる。こうした理由により、プロテスタントの旧約聖書に含まれている文書は、ユダヤ教の正典であるタナハに含まれる文書と同じである。

 

各教派において、聖書正典に含まれなかった文書群を第二正典、続編、外典、偽典等と称するが、これらが示す範囲は言葉ごとに異なる。

 

教理や教義の源泉

教理や教義の源泉となるものとして、以下がある。ただし、これらのうちどれをどこまでを認めるかは教派による。

 

新旧聖書

ü  公会議の決定:教義・典礼・教会法などを決める会議。信条(信経)、信仰告白:教理・教義を神と人に示す成文箇条。公会議の決定をまとめたものもあるが、それに限らない。

ü  カテキズム:教理・教義をわかりやすく説明した要約ないし解説。文体は問答形式をとる事が多い。

ü  聖伝(聖伝承): 聖人伝、教会芸術、教会法といった伝承。上述の聖書や公会議も、ここに含む教派もある。

 

キリスト教における神

キリスト教は一神教であるので、信じる神は唯一である(申命6:4、マコ12:29、エフェ4:6)

ü  神はこの世界と、その中にある万物とを造った天地の主である(使徒17:24)。神は神聖(イザ6:3, 4:8)、神秘的(mistery)、不変 (ヤコ1:17)で永遠の存在であり、全てのものの摂理である。

 

ü  神は物質的な世界から独立した超越的な存在であり、同時に全てのものに内在している。また神は遍在(omnipresence)しており、詩139:8には神が天にも陰府にも存在するとある。

 

ü  神は物理的な肉体を持たない(incorporeality)。神の知恵は計りがたく(イザ40:28)、神を完全に認識するのは不可能である(incomprehensibility)

 

ü  神は人の手によって仕えられる必要もなく(使徒17:25)、それゆえ人の存在を必要としない独立したものである[21](神の自存性)

 

ü  神は義(righteousness)であり、神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる(ロマ1:17)。また神は善性の最終的な基準であり、神のなす事は肯定する価値のあるものであり、神は無制限にして無限の慈悲に満ちている(omnibenevolence)

 

Louis Berkhofによれば神の善性とは、親切、愛、恩寵、慈愛、忍耐を含み、一ヨハ4:16によれば「神は愛」である。なお「恩寵」はキリスト教の鍵となる概念でもあり、それは神が人間に与える愛や慈悲を意味し、人間がそれに値するかどうかによらず神自身の望みにより与えられる。しかし同時に「妬みの神」(出エ20:5)でもある。

 

ü  神は全能)(マタ19:26、使徒信条)にして全知である。さらに神は無過失(impeccability)であり、これは神が罪を犯しえないだけでなく、罪ではあるのは不可能な事を意味する。たとえばヘブ6:18には、神が嘘をつくのは不可能だとある。テト1:2に神は偽りがないとあるように、神は真実(veracity)のみを語る。

 

ü  神は部分に分割する事ができず(divine simplicity)、それゆえ遍在性や善性や永遠性と言った神の属性は、神の部分ではなく神そのものである。

 

ü  神は痛みや喜びを経験しないとされる(impassibility)が、これに関しては論争がある。実際、聖書には神の怒り(wrath)(英語版)について語られている。また神の福音宣教(Missio Dei)という概念が20世紀後半にポピュラーになり、今日では神の属性とみなす事もある。