2024/10/05

最澄(2)

入唐求法

『叡山大師伝』によれば、桓武天皇の詔問を受けた弘世は最澄に相談し、唐の天台山国清寺への還学生と留学生各1名を派遣の必要性を訴える上表文を記す。

 

(前略)天台独り、論宗を斥けて特に経宗に立つ。論は此れ経の末、経は此れ論の本なり。(中略)

伏して願わくは我が聖皇の御代に円宗の妙義を唐朝に学ばしめ、法華の宝車を日本に運らしめん。(後略)

和気弘世、『上表文』

 

論宗とは『中論』に基づく三論宗と『成唯識論』に基づく法相宗を指し、天台宗は釈尊の説いた経に基づく経宗であると主張している。この上表により円基と妙澄の唐への派遣が決まったものの、912日になると天皇は最澄本人が入唐するよう勅した。翌日、最澄は「天朝の命に答えん」と返答し還学生となり、さらに1020日に義真を訳語僧として同行することを願い出て許されている。この際に入唐費用として金銀数百両が与えられたが、遣唐大使が200両、副使が150両であった事と比べ非常に大きな額であったことが分かる。

 

延暦23年(804年)76日、最澄ら遣唐使は肥前国松浦郡田浦から出港。最澄が乗船した第2船は91日に明州鄮県に到着した。病にかかっていた最澄はしばらく休養し、915日に天台山へ出発し、926日に台州に到着する。刺史の陸淳に面会した最澄は、講演会に訪れていた天台山修禅寺の道邃を紹介される。

 

『叡山大師伝』によれば、道邃は最澄の求めに応じて写経の手筈を整えた。貞元20年(延暦23年・804年)10月には最澄は天台山に登る。『伝法偈』によれば107日に仏隴寺で行満に出会い、経典82巻と印信(弟子が授かる書状)を授かる。同年127日に沙弥であった義真は、天台山国清寺にて翰を戒師として具足戒を受ける。翌貞元21年(延暦24年・805年)32日に最澄と義真は道邃から菩薩戒を受けるが、これが最澄と天台法華の教旨による大乗戒との出会いとなった。天台山における求法の成果は『伝教大師将来台州録』によれば書物120345巻に及んだ。また、この明州滞在の間に禅林寺で牛頭禅、国清寺で密教を学んだほか、国清寺に一堂を建立している。

 

同年3月上旬、最澄一行は明州に戻る。同年1月に崩じた徳宗の一件を日本に伝える為に、遣唐使の帰国が決まったためと思われる。遣唐使船が順風を待つ間に、最澄は越州の龍興寺を目指す。『叡山大師伝』によれば、この越州行きは「真言を求めるため」とするが、『顕戒論』には「明州の刺史の勧めによって」と記されている。48日頃に明州を出発して、418日には峯山道場で順暁から灌頂を受けるという慌ただしい日程であった。

 

『内証仏法相承血脈譜』や『顕戒論』によれば、この灌頂は金剛界・胎蔵界両部であったと記されている。また『伝教大師将来越州録』によれば、これにより書物102115巻と密教供養道具5点を入手したとされる。この後の55日までに明州へ再び戻った最澄は、開元寺法華院の霊光などから密教儀軌を得るなどし、518日に明州から帰国の途に立った。

 

天台法華宗

延暦24年(805年)65日、対馬に着いた最澄は直ちに上京する。『叡山大師伝』によると、最澄が招来した天台法門は勅命により7通の書写が命じられ、三論宗や法相宗に学ばせた。この経典は弘仁6年(815年)、嵯峨天皇による題を書き付けて完成したとされる。一方で最澄がもたらした密教も歓迎される。繰り返し密教の灌頂や祈祷などが行われたことが伝記に記されているが、これらは桓武天皇が病に伏せていた事と関係があると考えられる。

 

延暦25年(806年)正月3日、最澄は年分度者に天台法華宗を加える改正を上奏する。

 

一目の羅(あみ)は鳥を得ることあたわず。一両の宗なんぞ普く汲むに足らん

最澄、『上奏文』

 

これ以前の年分度者は、三論宗と法相宗のみに認められていたが、最澄の提案は天台法華宗を含む5宗を加えるものであった。上奏文からは天台法華宗を公認させる意味以上に、新しい仏教界の秩序を作ろうとする意図がうかがえる。この上奏は直ちに僧綱に意見が求められ僧綱も同意し、126日の太政官符により制定された。官符には年分度者の学業や任用など具体的な規定を含んでいることが特徴で、天台法華宗には『大日経』を読ませる遮那業(密教)と『摩訶止観』を読ませる止観業(天台)、各一名が割り当てられた。しかし、この時点での公認はあくまで奈良仏教の僧綱の下で認められたものであった。

 

『天台法華宗年分得度学生名帳』によると、この制度によって天台法華宗では、弘仁9年(818年)までに24名が得度を受けた。しかし比叡山を去った者が14名おり、そのうち法相宗が奪った者6名と記録されている。この事について最澄は「天台学生は小儀にとらわれて京に馳散する。まさに円道を絶せんとす」と『顕戒論』に記し、危機感を露わにしている。

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