イスラーム哲学(英語: Islamic philosophy)は、哲学の中でもイスラム文化圏を中心に発達した哲学である。アラビア哲学とも言われる。
起源
イスラムにおける「哲学」の始まりを広く定義すれば、イスラム教が成立した時点と捉えることも可能であろう。イスラムの教えもそもそも「哲学的」であるし、クルアーンの解釈をめぐる論争・カリフの後継者争い(シーア派とスンナ派)の対立などは代表的)など、広い意味での「哲学的」な論争はイスラム教成立当初から続いていたことであるが、ギリシア哲学がイスラム世界に移入されたのをもって、独立したひとつの学問としての「イスラーム哲学」を始原とみるのが通常である。(本項ではこれを述べる)
イスラム世界にギリシア哲学が伝わったのは、シリアを介してであった。イスラーム哲学は、ファルサファ(falsafah)と呼ばれた。これは、アラビア語ではなくギリシア語(φιλοσοφια)に由来するもので、英語などで哲学を意味するphilosophyと同語源である。しかし、ファルサファと呼ばれるイスラーム哲学は、当時としてはそのような学問としての認識や名称は、存在していなかった。これは後世の哲学史研究によって、その存在が初めて認められたという特徴のものであった。
特徴
古代ギリシャ哲学や近代の西洋哲学と比して、宗教(イスラム教)と密接に関わっているのが特徴である。起源は、アラビア語への翻訳を通じて移入された、新プラトン主義的な変容をうけたアリストテレスの古代ギリシア哲学であった。異文化に源する考え方であったゆえ、コーランに基づく唯一神アッラーフの教えとの齟齬は避けられず、11世紀頃まではイスラム神学(カラーム)と対立することも珍しくなかった。
11世紀から14世紀頃は、イスラム哲学の全盛期だとされる。中世後期から近代までの間のヨーロッパ哲学史を考える上においても、イスラーム哲学による影響は無視できない。影響の大きさの評価は諸説があるが、少なくともアリストテレス主義の導入の初期においては、アヴィセンナの独創的な著作『治癒』のラテン語訳などからであり、また中世の後半期を通じてラテン・アヴェロエス主義の影響は小さくなかった。
かつては翻訳活動に端を発し、アヴィセンナを経てアヴェロエスでもってイスラーム哲学(ファルサファ)は終わりであるという見方がされたが、現在ではピークをそれ以降におく見方が主流である。現在は、近代化と共に西洋の哲学も移入されて研究されている。イランにおいては、今でもイスラーム哲学が盛んに研究されている。
イスラーム哲学の萌芽
イスラム世界へのギリシア文化の移入(翻訳時代)
7世紀にイスラム世界が成立すると、ムハンマドの死後、正統カリフ時代を経て、アラブ人至上主義を取っていたウマイヤ朝が750年に滅んだ後、アッバース朝が成立した。アッバース朝は、非アラブ系であったペルシア人からの支持もあって、アラブ人以外のムスリムたちにも道を開いた世界帝国へと変わっていった。この支配下には、ペルシアやエジプトといったギリシア文化の影響が色濃く残っている地域も含まれており、そこには哲学をはじめとする医学・数学・天文学などの諸学問が、ギリシア時代のものからエジプトやシリアなどの東地中海沿岸の各地に残っていた。アッバース朝は、バグダードにシリア人学者を招いて、シリア語のギリシア文献をアラビア語に翻訳させた。イスラーム哲学の起源のひとつとして、アラビア語への翻訳活動があるというのは、見逃せない事である。
哲学に関していえば、キリスト教とギリシア哲学の対峙において、反駁のため、あるいは哲学的方法によるキリスト教の思想的展開を探るため、ギリシア哲学の接受が行われた。シリアのキリスト教徒は、神学に正当性を持たせるため哲学的な方法を用いていたので、アッバース朝の支配下にあっても哲学の文献が残っており、イスラム教徒たちも利用することができた。
5世紀から10世紀にかけて、シリアのキリスト教徒はアリストテレスの文献、ポリュフュリオス、偽ディオニュシオス・ホ・アレオパギテースの著作をギリシア語からシリア語に翻訳した。これは主にエデッサのネストリウス派、またレサイナとカルキスの非カルケドン派に担われた。
0 件のコメント:
コメントを投稿