2025/03/03

アッバース朝(8)

イスラームは9-10世紀に、法の体系化に伴いアッバース朝の支配領域の多様な文化、人種、生活習慣を飲み込む枠組みとして機能するようになった。住民の改宗・イスラーム化も進行したが、他方で改宗しない住民もイスラームの枠組みに沿った文化、社会を構築するように変容していった。「サービア教徒」もその後、魔術書を啓典とし、ヘルメスを預言者イドリースあるいはウフノフと同一視することで預言者を持ち、至高神として第一原因を観念するといった一神教化を遂げる。同時期に形成されつつあったイスマーイール派シーアは循環的歴史観を基本的理念のひとつとし、この点で占星術におけるヘルメス思想と共通する。

 

アッバース朝初期に頻発したシーア派の反乱のリーダーは、主にカイサーン派とザイド派のイマームであり、政治的静謐主義を貫いてマディーナで学究の日々を送ったフサイン家のムハンマド・バーキルとジャアファル・サーディクの支持者は当時、必ずしも多くなかったようである。しかし、イスマーイール派と十二イマーム派という、のちのシーア派の二大分派は、彼らの信奉者、イマーム派のなかから生まれた。

 

イマームがそなえるべき資質に関して、不正義に対して立ち上がる勇気や行動というものを重視したザイド派に対し、イマーム派は知識を重視した。バーキルとジャアファルの信奉者のなかには、イマームは全知の存在であると主張する者すらもいた。ジャアファル・サーディクは錬金術の分野でよく言及される名であり、イブン・ナディームによるとジャービル・イブン・ハイヤーンに隠された知の一部を教えたという。

 

5代カリフ、ハールーン・アッ=ラシードに仕えたジャービル・イブン=ハイヤーンは、近代化学の基礎を築いた人物である。彼は塩酸、硝酸、硫酸の精製と結晶化法を発明し、金を溶かすことができる王水を発明した。また、彼はクエン酸、酢酸、酒石酸の発見者であるとされる。アルカリの概念も彼が生み出した。

 

7代カリフ、マアムーンに仕えたフワーリズミーは、インドとギリシアの数学を総合して代数学を確立したことで知られ、アルゴリズムの語源となった人物である。

 

アルフラガヌスは、第7代カリフ・マアムーンが組織した科学者チームの一員として、地球の直径の測定に参加した。また、水位計測器ナイロメーターの建設に関わった。

 

知恵の館の主任翻訳官を務めたフナイン・イブン・イスハークは、プラトンの『国家論』やアリストテレスの『形而上学』、クラウディオス・プトレマイオスの『アルマゲスト』、ヒポクラテスやガレノスの医学書を翻訳した。

 

サービト・イブン=クッラは、ペルガのアポロニウス、アルキメデス、エウクレイデス、クラウディオス・プトレマイオスの著書を訳した。また、友愛数の発見者とされる。

 

シリアで活躍したバッターニーは球面幾何学、黄道傾斜角を発見した。月のクレーターなど多くの事物にバッターニーの名が残されている。

 

アル・ラーズィーは実用医学の基礎をつくった人物であり、エタノールを発見し、医療用のためにエタノールの精製も行った。コーヒーに関する最古の記録を残したことでも知られる。

 

イスラム神学 

初期アッバース朝時代に、公認の教義とされたイスラム神学にムータジラ学派がある。ギリシア哲学の影響を強く受けたムータジラ学派は、合理主義的な解釈に特徴がある。マアムーンはムータジラ派を公認とし、それ以外の宗派を弾圧するが、合理主義的過ぎるが故に人々には受け入れられず、廃れてしまった。

 

文学

アラビア語で書かれた千夜一夜物語

様々なジャンルの物語を集めた千夜一夜物語はカイロで完成されたが、その原型はバグダードで作られたといわれる。8世紀から9世紀のバグダードの繁栄ぶりと、バグダードに連なるネットワーク上で活躍した人々の姿を彷彿とさせる内容である。『ハールーン・アッ=ラシードの御名と光栄とが、中央アジアの丘々から北欧の森の奥まで、またマグレブからアンダルス、シナや韃靼の辺境にいたるまで鳴り渡った』と語られているように、ハールーン・アッ=ラシードの時代の物語というかたちになっている。

 

この物語の国際性は、帝国内各地の物語が寄せ集められたことによる。語り手のシェヘラザードはペルシア系、アリババがアラブ系、シンドバードがインド系の名前であるが、ルーミーというギリシア人、ファランジーというヨーロッパ人、ハバシーというエチオピア人、アフリカの黒人も登場する。

 

千夜一夜物語には、ユーラシアの大ネットワーク上で活躍する商人の話が多い。バスラから荒海に乗り出した船乗りシンドバードの話は有名であり、後のロビンソン・クルーソーの冒険、ガリバー旅行記などのモデルになっている。その話はアフリカ東岸、インド、東南アジア、中国への海路を開拓した勇敢な航海士、商人たちの苦難に満ちた航海が反映されている。

 

10世紀には、多くの文芸作品が生まれた。サアーリビーは、同時代の優れた詩人たちとその詩風を『ヤティーマ・アッ・ダフル』で紹介している。タヌーヒーは、バグダードを中心にみずからが見聞した説話を『座談の糧』にまとめた。また、豊富な説話はマカーマという文学ジャンルも生みだした。その才能から「バディー・ウッ・ザマーン」(時代の驚異)とも評されたアル・ハマザーニーがマカーマを創始し、アル・ハリーリーが大成した。百科全書的な書籍としては、アブル・ファラジュによるアラブ音楽についての大著『歌の書』があげられる。これらは、当時の社会や文化を伝える資料としても貴重な価値をもっている。

 

イスラム文明とヨーロッパ

アッバース朝では多くの物や情報が行き交い、物産の交流と共に文明の交流が進んだ。諸地域の文化、文明を差別なく取り入れたムスリムは、ユーラシア・アフリカ両大陸にわたるこれまでに見ないほど広範囲な世界文明を作り出した。そうした世界文明の痕跡は、アラビア語の広がりからうかがい知ることが出来る。イスラム文明の一部は貿易や戦争によってヨーロッパに輸入し、後の産業革命を間接的に花開かせた。

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