2025/06/08

イブン=ルシュド(アヴェロエス)(4)

医学著作

ムワッヒド朝の宮廷医であったイブン・ルシュドは、多くの医学論文を書いている。もっとも有名なのは「医学大全」(Kulliyat fit-tibb;ラテン語Colliget)であり、1153年から1169年の間に書かれ、凡そ90年後にはヘブライ語とラテン語に翻訳された。宮廷医になる前に書かれ、医学の一般的かつ不可欠な要素を抽出することを求められている。七巻に分けられ、解剖学、生理学、病理学、診断、治療学、衛生学、病気の治療の各科を論じている。より広域な部分では薬理学と栄養学に及び、300の単純薬と食物について述べられている。ラテン語訳は、何世紀に渡って西洋の医学の教科書となった。またガレノスの作品の要約やイブン・スィーナーの『医学の詩』についての註解を表した。

 

イブン・ルシュドは解剖学に大きく興味を示し「解剖の実践は信仰を強める」と言い、人体について「神の驚くべき技」という見解を述べた。神経学においてパーキンソン病の存在を示唆し、網膜に光受容体を帰属せしめた。脳卒中の研究において、東ローマ時代のガレノス派の医師の単純なモデルを詳細な分類に置き換え、アッ・ラーズィーやイブン・スィーナーの研究を補完し、脳血管に基づく病因を提示した。生殖器科では勃起不全の問題を特定し、治療のために薬物療法を処方した最初の一人である。この治療のために、いくつかの方法を使用した。殆どが経口薬であったが、一部では経尿道的手段が採られた。また1世紀の医師アンドロマコスが開発したと言われる蛇毒の解毒剤テリアカに関しての研究を行った。

 

友人である臨床医イブン・ズフルに依頼し、身体の諸部分についての治療についての医書を書いてもらい、それを『治療と管理についての簡便の書』(Kitab al-Taysir fi 'l-muddawat wa 'l-tadbir)と呼んだ。これは『医学大全』と併せて包括的な医学的教科書となり、ヨーロッパでは18世紀まで教えられた。

 

法学著作

イブン・ルシュドは、裁判官としてイスラーム法の分野で複数の作品を表した。今日現存しているのは『ムジュタヒドの入門』であり、スンナ派の諸法学派の実践と法理の違いを説明している。彼はマーリク学派裁判官としての地位にもかかわらず、リベラル、保守を問わず他学派の意見についても論じている。

 

『論説の決定』(fasl al-maqal)は、宗教と哲学の両立性を主張する1178年に書かれた論文である。『証明の方法の説明』は、1179年にアシュアリー神学派を批判するために書かれた。

 

哲学的見解

イスラーム哲学者の伝統におけるアリストテレス

彼はアリストテレス哲学に回帰しようとしたが、それはアル・ファーラービーやイブン・スィーナーのようなネオ・プラトニズム的なムスリム哲学者によって歪められていたからであった。アリストテレスがプラトンのイデア説を拒絶したように、彼はプラトンとアリストテレスの思想を融合させようとする試みを拒絶した。彼はまたアリストテレスを誤って解釈した、アル・ファーラービーの論理についての作品を批判した。また中世イスラーム哲学の標準的な担い手であったイブン・スィーナーについて広範的な批判をした。イブン・スィーナーの流出論は、アリストテレスには見られないものと主張し、存在は本質に対して偶有にすぎないとするイブン・スィーナーの説に反対した。有るものはそれ自体で存在し、本質は抽象化によってしか見出すことができない。また、神を必然的存在として証明するイブン・スィーナーの説を否定した。

 

宗教と哲学の関係

イブン・ルシュドの時代、哲学はスンナ派は特にハンバル学派やアシュアリー神学派から攻撃を受けた。アシュアリー神学派のアル・ガザーリーは「哲学者の崩壊」を書き、ネオ・プラトニズム的な哲学、特にイブン・スィーナーを批判した。アル・ガザーリーは哲学者のイスラームへの不信仰を訴え、論理的な議論を用いて哲学者に反証しようとした。

 

彼に対し「論説の決定」において、哲学は啓示に反することはなく、それらは真理に達する二つの方法であり「真理は真理に反することはできない」と書いた。哲学によって成された結論が啓示のテキストと矛盾すると思われた時には、矛盾を除くために啓示は解釈され、または寓意的に理解によらなければならない。この解釈は、クルアーン3:7のいうところの「知識の根差した」人々によらなけばならず、イブン・ルシュドによれば、それは「知識の最も高い方法」に達した哲学者を指す。また、クルアーンはムスリムが哲学を学ぶことを要求していると主張する。なぜなら、自然の研究と考察は、造物主である神についての知識を高めるからである。彼はクルアーンの一節を引用し、ムスリムに自然を考察し、哲学はムスリムに許され、それに対する才能を持つ人々にとっては義務であるという法的見解を表明した。

 

また、議論の三つの様式があることを説く。説得力に基づく修辞的なもの。論争に基づく弁証的なものであり、これは神学者やウラマーによって使用される。そして推論に基づく論証的なものである。イブン・ルシュドは、クルアーンは修辞的な方法に用いて人々を真理へと導く。一方、哲学は可能な限り最高の理解と知識とを与える論証的な方法を用いて、哲学を学ぶ者を導く。

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