イブン・ルシュドの死とともに「アラブ逍遥学派」と呼ばれるイスラーム哲学の一学派が終わりを迎え、西方イスラム世界、すなわちアンダルスや北アフリカにおける哲学的活動は著しく減退した。一方で東方の国々、特にイランやインドでは哲学的活動がずっと長く存続した。伝統的な考え方に反して、ディミトリ・グータスとスタンフォード哲学百科事典の考えでは、11世紀から14世紀にかけての時代はアラブ哲学・イスラーム哲学の真の「黄金時代」である。この時代はガザーリーが論理学を、マドラサの研究計画や続いて起こったイブン・スィーナー哲学の興隆に統合したことに始まる。
西ヨーロッパ(スペインとポルトガル)において、政治的力がムスリムからクリスチャンのコントロール下に移ったため、当然西ヨーロッパではムスリムは哲学を行わなくなった。このことによって、イスラム世界における「西方」と「東方」の交流が幾分か減少することにもなった。オスマン帝国の学者と、特に今日のイランやインドの領域にあったムスリム王国に生きていた学者、例えばシャー・ワリー・ウッラーやアフマド・シルヒンディーといった人々の研究からわかることなのだが、「東方」のムスリムは哲学を続けた。この事実は、イスラーム(あるいはアラブ)哲学を研究していた前近代の歴史家の注意から外れていた。また、論理学は近現代までマドラサで教え続けられた。
イブン・ルシュド以降、イスラム哲学後期の多くの学派が興隆した。ここではイブン・アラビー及びモッラー・サドラーが起こした学派などの、ごく少数の学派に言及するにとどめる。しかしこれらの新しい学派は、現在もイスラム世界に生きているのでとくに重要である。その内でも最も重要なのは:
照明学派(Hikmat al-Ishraq)
超越論的神智学(Hikmat Muta'aliah)
スーフィー哲学
伝統主義派
照明学派
照明学派は、12世紀にシャハブッディーン・スフラワルディーが創始したイスラーム哲学の学派。この学派はイブン・スィーナーの哲学と古代のペルシア哲学を、スフラワルディーの多くの新しい革命的な思想と組み合わせたものである。この学派は、ネオプラトニズムの影響を受けてきたとされる。
イスラーム哲学の論理学では、論理哲学の思索の歴史の中で重要な革新である「確実的必要性」という概念を発展させた、シャハブッディーン・スフラワルディーが始めた照明学派がギリシア論理学に対する包括的な論駁を行った。
超越論的神智学
超越論的神智学は、17世紀にモッラー・サドラーが起こしたイスラーム哲学の学派。彼の哲学と存在論のイスラーム哲学における重要性は、後のマルティン・ハイデッガーの哲学の20世紀西洋哲学における重要性と、ちょうど同じだとされる。モッラー・サドラーはイスラーム哲学において、「真実の本性を扱ううえでの新しい哲学的識見」を獲得し、「本質主義から実存主義への大転換」を成し遂げた。これは西洋哲学で同じことが起こる数世紀前のことである。
「本質は実存に先立つ」という考えは、シャハブッディーン・スフラワルディーと彼の学派照明学派どころではなく、イブン・スィーナーと彼の学派アヴィケニズムにまで遡る。対する「実存は本質に先立つ」という考えは、イブン・ルシュドやモッラー・サドラーの著書中でこの考えに対する応答として発展させられており、実存主義の鍵となる根本的な概念である。
モッラー・サドラーによれば、「実存は本質に先立ち、そして本質があるためには実存が先立って存在しなければならないので、実存は原理である。」
このことは、第一にモッラー・サドラーの超越論的神智学の中核に据えられた主張である。サイード・ジャラル・アシュティヤーニーは、後にモッラー・サドラーの思想を要約して以下のように述べた。
「実存は本質を有するなら、引き起こされて純粋な実存でなければならない。それゆえ実存は必要な存在である。」
存在論(あるいは存在神学)の、つまりハイデッガーの思想や形而上学史批判による比較を経由した研究の現象学的方法の術語において、イスラーム哲学者(および神学者)に関する思想の術語でより繊細なアプローチが必要とされた。
論理学
ガザーリーの論理学と、11世紀のマドラサの学習計画との首尾よくいった統合によって、論理学、主にイブン・スィーナーの論理学を重視した活動が盛んになった。
イブン・ハズム(994年 -
1064年)は、著書『論理学の射程』で知識の源泉としての知覚の重要性を強調した。ガザーリー(アルガゼル・1058年
–1111年)は、カラームにおいてイブン・スィーナー論理学を用い、神学における論理学の使用に対して重要な影響を及ぼした。
ファフルッディーン・アル=ラーズィー・アモーリー(b. 1149)は、アリストテレスの「三段論法第一格」を批判して、ある種の帰納論理を構築した。これは、後にジョン・スチュアート・ミル(1806年 - 1873年)が発展させた帰納論理を予示するものである。イスラーム哲学の論理学では、論理哲学の思索の歴史の中で重要な革新である「確実的必要性」という概念を発展させたシャハブッディーン・スフラワルディーが始めた照明学派が、ギリシア論理学に対する包括的な論駁を行った。イブン・タイミーヤ(1263年 - 1328年)が、ギリシア論理学に対するもう一つの包括的な論駁を行っている。『ギリシア論理学者に対する論駁』(Ar-Radd 'ala al-Mantiqiyyin)において、三段論法に関して妥当性には異論はないが有用性がないと主張して、帰納的推論の方を好んでいる。
歴史哲学
歴史学を主題とする最初の研究と、歴史学研究法に対する最初の批判的考察はアラブ人でアシュアリー派の博学者イブン・ハルドゥーン(1332年 - 1406年)の作品に現れる。彼は、特に『歴史序説』(「プロレゴメナ Prolegomena」とラテン語訳される)と『助言の書』(Kitab al-Ibar)を書いたことで、歴史学、文化史、歴史哲学の父とされる。また、彼の『歴史序説』によって歴史上の主権国家、コミュニケーション、プロパガンダ、組織的バイアスの研究の基礎が築かれていて、彼は文明の盛衰を論じている。
フランツ・ローゼンタールは著書『ムスリム歴史学の歴史』で、以下のように述べている:
「ムスリム歴史学は、歴史的にイスラーム圏の学問一般の発展と密接に結び付いてきた。イスラーム圏の教育における歴史的知識の地位は、歴史に関する文献の知的レベルに決定的な影響を及ぼしてきた。
ムスリムは歴史の社会学的理解と歴史学の体系化において、歴史の文献の中で一定の成果を上げてきた。近代歴史学的文献の発展は、それによって17世紀以降の西洋の歴史家が異文化の目を通して、世界の広い領域を見ることができるようになったところのムスリムの著作の利用を通じて、速度と内容において相当に進んできた。間接的にムスリム歴史学によってある程度今日の歴史思想が形作られた。」
社会哲学
最も有名な社会哲学者は、アシュアリー派の博学者イブン・ハルドゥーン(1332年 - 1406年)で、彼は北アフリカでは最後の有名なイスラーム哲学者である。彼の『歴史序説』では、構造的結束性や社会的軋轢の理論を定式化する上で、先駆的な社会哲学の理論が発展させられている。
また、『歴史序説』は、7巻からなら普遍史の分析の序論でもある。彼は社会学、歴史学、歴史哲学の話題を初めて詳細に論じたため、「社会学の父」、「歴史学の父」、そして「歴史哲学の父」である。
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