ボッケリーニは同時代のハイドン、モーツァルトに比して、現在では作曲家としては隠れた存在であるが、存命中はチェロ演奏家としても高名で、自身の演奏のためにチェロ協奏曲・チェロソナタ、弦楽四重奏曲にチェロを1本加えた弦楽五重奏曲を多く残した。その作風は優美で時に憂いを含むものであり、ハイドンとの対比から「ハイドン夫人」と呼ばれることもあった。
ボッケリーニはハイドン、モーツァルトと同時代の作曲家でありながら、彼らとは一味異なる独特な作風を固持しているといわれる。つまりモチーフの展開を中心としたソナタ形式を必ずしも主体とせず、複数のメロディーを巧みに繰り返し織り交ぜながら情緒感を出していくのがその特徴で、時としてその音楽は古めかしいバロック音楽のようにも斬新なロマン派音楽のようにも聞こえる。また後期の作品にはスペインの固有音楽を採りいれ、国民楽派の先駆けとも思える作品を作っている。
これは一つにはボッケリーニ自身が、当時まだ通奏低音に使われることの多かったチェロのヴィルトゥオーソであったため、自らを主演奏者とする形式性より即興性を生かした音楽を作ったこと、また当時の音楽の中心地であるウィーンやパリから離れたスペインの地で活躍していたことも、その理由として考えられる。
ボッケリーニの音楽史上の功績としては、室内楽のジャンル確立が挙げられる。弦楽四重奏曲と、とりわけ弦楽五重奏曲では抜きん出た量と質を誇っているが、ジャンル確立に欠かせない四声を対等に扱うという点では最初期の作品において十分完成されており、これは同時代のハイドンの作品群を凌駕している。ベートーヴェンの活躍以降、ボッケリーニのような形式をさほど重視しない音楽は主流とは見なされず、20世紀まで一部の楽曲を除き忘れ去られていたが、近年になりその情緒的で優美な作品を再評価する動きも出てきており、その中にはチェリストのアンナー・ビルスマもいる。
チェロ協奏曲第9番 変ロ長調
G.482は、ボッケリーニのチェロ協奏曲の中でも広く知られている作品である。ボッケリーニはチェロ協奏曲を13曲残している(番号付きは12曲、そのうち1曲は番号なしで偽作)
チェロ協奏曲第9番は1770年頃か1785年頃に作曲されたとみられているが、未だに不明である。また第9番は1895年にドイツのチェリスト、フリードリヒ・W・グリュッツマッハーが校訂・編曲し、校訂版が出てから広く知られるようになった。20世紀に半ばに行なわれたボッケリーニの自筆譜検証によって、第9番は異なる作品の楽章や断片を用いた「グリュッツマッハーの編曲作品」と認定された。編曲が巧みなため、特に「グリュッツマッハー編」と併記され、ボッケリーニの作品の中で最も演奏頻度の多い作品となっている。またチェロ協奏曲第7番もグリュッツマッハーが編曲し、第9番とともに広く知られている。また第9番は2種類の版があり、従来の版では第2楽章が他の協奏曲の転用だったが、1948年に原譜が発見されて以来、今日では原譜に従って演奏されることが多い。