2007/06/13

箕面(ミノヅラではありませんw)

 箕面の滝と、大阪有数の紅葉の名所として有名な箕面の歴史は古い。

箕面の歴史は、縄文時代に遡ります。今から30006000年前の人々が、生活や狩猟に使っていた土器と石器が、瀬川・新稲・稲・白島の各地で見つかっています。弥生時代になると、箕面地区からは土器と稲の穂刈りに使った石包丁や住居跡が、白島では土器、如意谷からは銅鐸が見つかっています。これによって、紀元前後から3世紀ごろの市域では米づくりが行われており、各地に人々が定住して「ムラ」も出来ていた事が知られます。

阪急箕面駅の南東に当たる池の内遺跡は、4世紀末から7世紀のムラ跡で数棟の住居跡と土器や石製の装身具など、多彩な遺跡が見つかりました。中には、堺市で作られた4世紀末の土器もある事から、他地域と交流のあった事も分かります。

また桜ヶ丘と新稲の丘陵台地には、6~7世紀の古墳数基と延喜式内社の阿比太神社が鎮座しています。古墳は、池の内遺跡を残した有力者たちの墳墓であり、神社は彼らの祖先を祀った「氏神」社でしょう。箕面市の東部にある為那都比古神社も、古代の萱野地方の開拓を行った有力者の氏神社でありましょう。
出典https://www.city.minoh.lg.jp/index.html

さて、その由緒ある「箕面」の由来を見て行きましょうか。

みのお」の地名の由来は定かではありませんが、一説には「箕面大滝」の「面」(表面の形)が穀物を入れてもみ殻や藁屑をふるい分ける農具の「」に似ていることから「箕面」という表記になったと言われています。

「みのお」という名前は古くから知られていて、平安時代の流行歌を集めた「梁塵秘抄」にも

聖(ひじり)の住所はどこどこぞ、箕面(みのう)よ勝尾(かちう)よ、播磨(はりま)なる書写(そさ)の山

と箕面寺(現・瀧安寺)や勝尾寺が詠じられています。
出典https://www.city.minoh.lg.jp/index.html

大阪府箕面市の、箕面公園にある滝。高さ33mから落下する滝で「日本の滝100選」にも選ばれている。滝の姿が農具の「箕」に似ている事からこう呼ばれていて、地名の由来にもなったそうです。

ここまでの由来は一般的に良く知られたものと言えるが、ここに興味深い「珍説」が見つかった。

≪箕面という地名は、ことによると中国の星座の中の「箕宿(きしゅく)」と「尾宿(びしゅく)」に由来しているかも知れないと云う、まことに壮大でロマンチックな仮説である。

奈良・明日香のキトラ古墳の石室天井に描かれていた事で広く知られるようになった中国の星座は、西洋と星座とはまた異なっている。太陽の通る道である黄道にある星座は、西洋では12座で十二宮と呼ばれているが、中国では28座あって二十八宿と云われる。その中に「箕宿」という星座と「尾宿」という星座が並んで存在し、その中間を天の川が流れている。この「箕宿」と「尾宿」が「箕尾」→「箕面」になったのではないか。その間を流れる天の川、これが箕面川と云う訳である。

ある時、役行者が北の方の山を仰いで山の上にかかる箕宿と尾宿を見、その間を流れる天の川を訪ねて箕面までやって来た。となると話がよく出来てくるのだが、どうもそう簡単にはゆかない。

<箕宿と云うのは、西洋の星座では「射手座」の弓矢の部分であり、尾宿というのは「さそり座」の尻尾の部分にあたる。従ってこれらの星座は南天の星座であり、南東の方角で地平線を出て南西の方角で地平線に入る。だから、箕面の山の上に懸かるという事は有り得ないのである。これは困った>

<ところで、箕宿という星座は風の神である。すなわち「風伯(ふうはく)」とされている。これに対して、雨の神「雨師(うし)」とされているのは、畢宿(ひっしゅく)である。畢宿は、牡牛座のヒアデス星団である。箕面寺(滝安寺)は水の神弁才天を祀り、請雨の効験あらたかな寺であるから、箕宿よりも畢宿の方が似つかわしい。風の神では、どうにもならぬ。この辺りで何とか理屈を付けようとしたが、これも失敗である・・・>

 ≪そこで、考えられるのが「青龍」との関連である。これもまた、キトラ古墳の壁画で知られるようになった四神(しじん)のうち、東方を護る聖獣である。中国では、東には青龍、南に朱雀、西に白虎、北に玄武(蛇と亀)の四獣が天上に居って、それぞれの方向を守護すると考え、これを四神と云う。二十八宿の星座は7つずつに4分割されて、東西南北の四神の下に配されている。箕宿と尾宿は東方の青龍の座に配されている。

すると、龍→滝で箕面の滝につながるのではあるまいか、と云う考えである。しかしこれも、どうもしっくりしない。箕宿・尾宿は、青龍の座では北の外れである。青龍の中心は、心宿である。心宿は蠍座の赤い一等星アンタレス。アンタレスは蠍の心臓であると共に、青龍の心臓であると云われている。箕宿では、どうもスッキリしない。

ところがもう一つ、箕宿には冬至の頃に太陽が宿る星座と云う性格がある。冬至は、衰弱した太陽が復活する事を祈る日、あるいは復活する事を祝う日として洋の東西を問わず、民俗においても暦法においても重要な日である。西洋のクリスマスは、元々は冬至の祭に由来している。

中国では冬至の日に、天子は都の南郊に円壇を築いて天を祀る。北京の天壇は、その祭祀の遺跡である。しかしその事が、箕面の地名とどのようにつながるのだろうか。どう考えれば、理屈が付けられるのだろうか・・・≫

ポリネシア語による解釈
箕面山は、箕面市中西部に広がる山地の総称です。北側は北摂山地で南縁は断層崖をなし、山麓には扇状地性の平坦地が展開しています。山中を南流する箕面川の峡谷には、落差33メートルの箕面滝があり奇岩巨石が連なり、紅葉の名所となっています。昭和421967)年、明治の森箕面国定公園に指定されました。

この「みのお」は

(1)
滝の流水が箕の面に似ているから
(2)
「水尾」の意

とする説があります。

この「みのお」は、マオリ語の「ミ(ン)ゴ・アウ」、MINGO-AU(mingo=wrinkled,curled;au=firm,intense)、「密に皺がよった(山)」 の転訛(「ミ(ン)ゴ」のNG音がN音に変化して「ミノ」となり、「アウ」のAU音がO音に変化して「オ」となった)と解します。
出典http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/

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