2007/06/12

明治神宮(4)

神宮御苑

正式名称は明治神宮御苑。江戸時代から大名下屋敷の庭園として使われていた。明治時代に宮内省が所轄する南豊島御料地となり、代々木御苑と呼ばれた。ここは明治天皇と昭憲皇太后にゆかりの深い名苑であり、この地の風光をこよなく愛した皇太后はしばしば行啓したほか、明治天皇は隔雲亭という御茶屋を建て、四阿(あずまや)を作り、池には菖蒲を植え、回遊歩道を設けて美しい庭園とされた。内苑の中で唯一、神社鎮座前から樹木が生えていた。

 

隔雲亭は太平洋戦争末期に空襲によって焼失したが、戦後に篤志家によって復元された。

 

現在、苑内には隔雲亭や四阿のほか、お釣台、菖蒲田、清正井などがある。菖蒲田のハナショウブ(花菖蒲)は、明治天皇が昭憲皇太后のために植えさせられたといわれ、6月が最盛期である。また11月下旬から12月上旬には、紅葉を愛でることが出来る。拝観は有料(大人500円)で、1630分閉門である。

 




明治神宮会館

鎮座五十年を記念して19726月に清祓され、翌731月にこけら落としとなった。ホールは毎年211日の建国記念の日慶祝中央式典や、5月の全国赤十字大会、コンサートや入学式・卒業式などで利用されており、客席数は1914席(11340席、2574席)である。

 

明治神宮神楽殿

1993年(平成5年)造営(内田祥哉+アルセッド建築研究所 設計)。本殿に向かって右側に位置する。厄祓い、受験生の合格祈願、初宮参りや七五三詣などを執り行っている。

 

明治神宮ミュージアム

2019年(令和元年)1026日、鎮座百年記念事業の一環で、新たな宝物館として開館した(隈研吾設計)。

 

参道

都心に近い本殿の東側に各種施設の大半が整備されており、ここを参道が南北に貫いている。

 

創建前に、既に北側は外苑予定地と馬車道で直接接続していることから、北側からの参道を正参道とする計画であったが、すると大鳥居が本殿から見て鬼門にあたる東北になることから反対意見が出て、南側を正参道とした。また参道と本殿の接続として、全ての社殿を一時に拝することを目的に東側(南面する諸社殿からみて左側)から参入する計画であったが、側面美の誇示が前面に出すぎていることから、南側正面から参入する形に改められた。本殿から南に直進すると御苑に突き当たるが、御苑を突き抜けることには御苑側の担当者から反対されたため、手前で東側に折れ曲がり東側の参道に合流している。

 


南側の正参道から外部に伸びる大通りは「表参道」と呼ばれている。「表参道」という呼称自体は社寺一般のものであるが、注釈なしで「表参道」と呼称する場合は、明治神宮のそれを指すものが多い。内苑の目の前を横切る国鉄(のちJR東日本)山手線を跨ぐ陸橋「神宮橋」は、鎮座に先立つ1920年(大正9年)9月に完成した。橋はRC構造で長さ20.4メートル、幅員29.1メートルである。

 

北参道鳥居に通じる参道(明治通り北参道交差点始点)は、かつて「裏参道」と呼ばれていた。東京メトロ副都心線開通に伴い2008年に北参道駅が開業し、駅周辺にはカフェやアパレルなどの店舗が増えた。

 

南参道(表参道)側や北参道側に比べ西参道側はひっそりしており、渋谷区が日本将棋連盟と連携した施設「駒テラス西参道」の整備など、甲州街道から参道に至る一帯のにぎわいづくりを目指す「西参道プロジェクト」を進めている。小田急小田原線参宮橋駅が西参道に近いほか、太平洋戦争末期まで京王線西参道駅があった。

 

おみくじ

明治神宮には、多くの神社にみられる「おみくじ」が存在しない。代わりに、くじを引き御製や御歌(明治天皇・昭憲皇太后が詠んだ和歌)を「大御心」として授かる。大御心を授けられた参拝者は、これを持ち帰り折に触れ詠み返すものとされており、おみくじのように境内に結んで残すことはしない。また、御製や御歌とその解説文のみしか記述していないため、吉凶も存在しない。そのため多くの神社に見られる「みくじ掛」も境内に存在しない。

 

清正井

神宮御苑の一つの井戸でしかなかった清正井(きよまさのいど)であったが、テレビ番組でパワースポットとして紹介されたことを契機に、2009年(平成21年)1225日から突如人気を集めるようになった。『産経新聞』によると、数時間待ちとなることもあったという。

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