<『菱の郷土史』(菱町郷土史編纂委員会編 1970年)をめくってみると、穴切の地名の由来について「地形上から村の最後の端なる故、切りと云う字を使用したのか、しかもその切れに深き沢川があったため、この名がついたか・・・」
と書かれている。つまり「穴」とは深い沢、「切」とは端、外れという意味ではないかと推測している。
『桐生市地名考』という、町名から小字まで含めた桐生の全地名の由来について考察した資料には
「東西に長い穴の様な沢であるが、沢奥である東側が口のようにあいている沢」
「行き止まりにならないで、東からも入れるのでついた地名」
と書かれている。
「穴」とは穴のような狭く、細長い沢を指し「切」とは途切れがある、つまっていない、閉じられていないというような意味らしい。要するに、沢の地形の特徴を言い表しているのである。双方とも「穴」については細長く深い沢を意味するとしており、見解が一致している。だが「切」については、意見が分かれるようである。
『菱の郷土史』では
「物事の終わり、切れ目、区切りといった、それが最後である事を表現する言葉」
として「切」を解釈している。
一方の『桐生市地名考』では
「閉じられていないで、開いているという状態を意味する」
としている。
穴切の「切」の字から連想されるのが「道切り」という言葉である。「道切り」とは、村境において外来の侵入を防ぎ止めようとした呪術の事である。
『地名のはなし ―群馬の地名のルーツを探る―』に
「ほぼ県下一円に分布していた八丁じめの習慣で、これはまた土地ごとにフセギ・厄神ヨケ・道切り」
などと称していた。「村境に草鞋や神札を立て、標(しめ)を張るもの」という説明がある。つまりは、村の境界に道切りを置いたのである。
穴切峠が、桐生(群馬県)と田沼(栃木県)の境界になっていた事を考えると「切」には「村の端、村界」という意味が込められているのではないかと思う。 穴切峠の位置は、行政的には栃木県で実際の県境とは違うのだがここで言う境界とは、この峠を越えて行く旅人の感覚としての境界、という意味である。
穴切峠は、昔は上野の国と下野の国の国境という感じだったのではないか。 峠の向こうは下野の国・・・というように。穴切の地は、上野の国の「区切り」だから「切」の字が使われた。ただし、これは道切りと穴切の語感が似ている事からくる、勝手な解釈ではあるが・・・
『桐生市地名考』では穴切の「切」を奥が切れている、開いているという意味に解釈している。沢の奥が閉じておらず、切れているという事は向こう側へ行ける、つまりは道が開けているという事を意味している。そうなると、穴切の「穴」とは向こう側へ抜ける抜け穴、という風にも取れるのではないか。
思うに峠とは、山を越える場所であるとともに、異なる村や国との境界、異国・異郷への出入り口でもある。穴切という地名は土地の奥が行き止まりにならず、向こう側へ抜けているという由来を持つ事で、その地名自体がそこに峠がある事をも示しているように思える。
また峠はある土地から、別の場所へと人や物が移動していく場所である。往来が盛んになれば、そこは交通の要所となって商業の発展や文化の交流を促進させる役割を果たす。それと同時に、追われる立場の者や異なる世界へと抜け出そうとする者たちが、こっそり通り抜けていく場所でもあった。江戸時代に名だたる峠に関所が置かれたのは、そのためである。
これらの点を考え合わせると、穴切峠という峠の名は山越えの場所や交通の要所といった峠の表向きの役割とはまた違う、異国・異郷への抜け道という峠の裏の一面も暗に示している名前のように思えてくるのである。
穴切の地に、穴切峠の名前の由来に関する伝説が伝わっている。下野の国で戦に敗れ追手から逃れた落武者が、なんとか上野の国まで逃げのびる手はないかと山中を彷徨していると、緑の木立の中に木々の重なりが洞穴の入口のようになった場所を見つけた。その緑のトンネルを抜けて、山を下ったところ桐生の地に出た。その雑木の抜け穴があった場所が後年、穴切峠と呼ばれるようになった、というものである。
この伝説は峠名の由来というよりも、穴切の地名の方が先にあって「穴切」という言葉からの連想で、後から作られた話だろうと思われる。地名起源とされる伝説は、その地名にちなんで後から作られたものが多いという。
『続・地名のはなし』の中で、著者は地名解釈において伝説をあてにしてはいけないと主張している。
「それ(伝説が語る地名起源)は、現実の地名起源でない場合が多い。伝説は、あくまで伝説であって史実ではない、また実際の地名起源ではない」
と書いている。
県内の地名伝説の残る地名をひとつひとつ検討したところ、その殆どが地形語から発生した地名で、地名伝説はその地名の語呂に合わせ後から作られた例が殆どだったという。以前、小倉峠の巻で、小倉の地名伝説について書いた。
この伝説は、山田奴に伴われて小倉峠にやってきた白滝姫が「ここは、京都の小倉に似ている」と言った事から小倉という地名がついたというものだが、これも語呂を合わせただけの伝説だろうとしている。小倉の「オグラ」とは「クラ(岩)」に接頭語の「オ」がついたものだそうである。
山梨県の甲府市にも、穴切と呼ばれる地区(昔の町名。行政的な町名としては、今は存在しない。小学校名などとして残っている)がある。ネットで「穴切」を検索すると、ヒットするのは甲府の穴切に関連したものが圧倒的に多い。地名としては甲府の穴切の方が、知名度が高いのであろう。
角川の地名辞典で、甲府の穴切町の項を見ると「地名の由来は、地内にある穴切神社にちなむ」とある。
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