2007/06/17

感情移入(フィギュアスケート観戦ガイド)part4

 最近、フィギュアスケートを観ていると、困ったことになる。以前にはまったくなかった事だったが、選手に感情移入してしまい段々と平静な気持ちで見るのが難しくなって来つつあるのだ。特に、いつかのオリンピックで多くの国民の期待を受けながら登場し、そのプレッシャーに押し潰されたように、何度も転倒を繰り返した選手などは実に目を覆いたくなるくらいで、とてもではないが正視に堪えないものがあった。

或いは、前回のオリンピックの浅田選手などは、スポーツ芸術としては最高レベルに到達していたのは間違いなかったが、(某選手への「疑惑の採点」という背景も影響から)楽しめる要素がまったくなく、極限までの悲壮な緊張感ばかりが漂っていたのなどは、大いに困ったものだった。

以前なら、オリンピックなどで何度転倒のシーンを見ても

(アホか・・・ヘタクソめ!)

などと、扱き下ろしていたものだったが・・・

どんなスポーツにも言える事だが、漫然と競技を眺めているよりは、その時々の選手の心理を考えた方がより楽しめるわけだが、あまり感情移入が激しくなってしまうと、平静な気分で見ていられないから厄介だ。

一体、なぜなのだろう・・・出てくる選手がみな、若い女性という事もあるかもしれない。事実、男性の競技ではこういった感情とは、トンと無縁なのである。

無論、独身のワタクシに同じような年頃の娘がいるわけはないが、フィギュアスケートの場合は中学生のようなまだ年端もいかない選手が、国民の熱い期待という目に見えないプレッシャーを背負って戦わなければいけない、という過酷な特殊事情が作用するのかもしれない。さらにClassic音楽などの相乗効果がより感情に訴えやすい、という側面もあるのだろう。

人間というよりは、まだ人形さんのようなあどけない少女がベタベタと化粧を施され、あの安キャバレーのホステスのようなわけのわからない派手な衣装を纏い、リンクという誰の助けも求められない大海原へ、決死の覚悟で独り旅立っていく・・あの演技冒頭のシーンから、もう感情移入が始まってしまうのである。そしてミスをした後に、激しく体を動かしながらもプログラム編成の立て直しに、めまぐるしく頭を回転させているのだろう時なども、選手の心理にばかりに気を取られてしまうのだ。

 そうした競技中もさることながら最近、最も観るのがやっかいなのは競技を終えて採点を待つ(特に、大きなミスをした)選手の表情である。これが採点競技の辛いところだが、体操など知らない間に点数が出ているのはまだ良いが、フィギュアスケートだけは競技が終わった選手を写し続けているから、実に始末が悪い。

ミスを犯した選手といえど、そこから逃れる術はないわけだから、あたかも最後の審判を待つような厳かな表情にならざるを得ないのはわかるが、大きなミスを自覚している選手は、点数が出る前から泣きそうな表情になっていたりするのを見ると、稀に見るような非情なシステムだと思う。

(そうした経験を積んでこそ、精神的にも強くなれるのだ)

などという人が居るかもしれないが、そうした偉そうな事が言えるのはあくまで、ヒトゴトだからに過ぎない。

ところで、これまでずっと独身のワタクシでさえこんな気持ちになるのだから、同じくらいの年頃の娘を持つ父親などは、さぞかしどんな気持ちだろうと、浅田選手と二つ違いの13歳の娘を持つ、かつての職場に居たN社のマネージャーに問いかけてみた。

「どうも最近、感情移入が強くなって平静な気持ちでは観ていられないですが・・・独身の私でさえこうだから、同じくらいの年頃の娘さんがいるTさんなどは、さぞかし・・・」

「いやいや、それはにゃべさんだけがおかしいのであって、私はまったくなんとも思わないよ。同じ競技をやってればそういうこともあるかもしれないが、二歳しか違わないといっても、うちのヤツはまだ人間という感じがしないよ・・・  あれは何と言うか、まだサルのようなもんだ・・・」

と、アッサリと一笑に付されてしまいました(*´ー`) フッ

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