・達川ブログより抜粋
≪あの夏、江川との思い出は・・・実は・・・特に無い。おい、おい、ちょっと待って・・・
そんな、怒ったら、いかんよ・・・。だって夏はワシら、作新学院と試合しちゃおらんのだもん。思い出も何も無いよね。しゃーないじゃん。じゃが、ワシは江川を見ていた。土砂降りの甲子園のスタンドで・・・怪物、最後のマウンドをね・・・
江川卓が、当時いかなる存在だったか?
「怪物」と呼ばれ、日本中の高校球児の目標であり、日本中の国民的関心事じゃった。江川の行く所、取材陣の大行列ができた。
昭和48年春、江川を倒したワシら県立広島商業高校野球部は、全国大会準優勝を成し遂げた。そして広島に帰ってきたワシらが、帰るとすぐにまた「打倒・江川」の猛練習を始めた。全国制覇を成し遂げるには「打倒・江川」は避けては通れんもん。来る日も来る日も、ワシらは「江川・江川・江川」の日々じゃった。
しかし、その夏。ワシらは江川とあたる事は、ついに無かった。作新学院は、千葉県代表の銚子商業高校にサヨナラ負け。土砂降りの雨の中、怪物・江川の夏は、終わった・・・
ワシはその試合を、土砂降りの甲子園のスタンドから見ていた。負けた江川の涙が、印象的だった。
「悔しかろう、江川・・」
18歳のワシは、そう思った。じゃが、それから40年近くが過ぎて、ワシはその涙の本当の意味を知る事になる。それは、想定外の真実だった。
38年前の、あの日。江川は、銚子商業戦のマウンドに上った。
プレーボールがかかる頃、上空には、雲一つない夏空が拡がっていた。暑い日じゃった。ワシはスタンドから、江川を見ていた。
「打倒・江川なくして、全国制覇なし」
この時のワシは、ともかく江川を倒す事しか頭に無かった。
試合は白熱。両者譲らず、ゲームは延長戦に突入した。延長11回ウラ、銚子商業の攻撃。ここで、異変が起こった。それまで快晴だった空が見る見る曇りだし、突然、凄まじい雨が降ってきた。そりゃぁ、凄い降り様じゃった。
「バケツをひっくり返した」というのが、比喩表現じゃないくらいの雨じゃった。プロ野球なら中断か、いや中止にしてもおかしくない位の雨じゃったが、高校野球は日程やら何やらで、中々そうはいかんのよ。土砂降りの中、試合はそのまま続行された。それはある意味、仕方が無い事じゃった。
江川の野球人生には、雨がついて廻る。そして雨はいつも、江川の敵だった。この年の、春の甲子園全国大会。雨が試合を中止にし、順延にしたように・・・それが結果、江川に災いをもたらしたように・・・江川と雨は、相性が悪いんじゃ。土砂降りの雨は、当然、江川の敵となった。怪物のピッチングは、少しずつ狂っていく・・・・そして江川は、2アウトを取るがランナーを満塁にしてしまう。スコールのような雨の中。スタンドのワシはびしょぬれのまま、息を飲んで江川を見つめていた。固く握った両手の拳の中で、汗と雨が混ざり合った。
2アウト、ランナー満塁、ボールカウント2-3。この時、江川がタイムを取った。内野陣がマウンドに集まる。タイムが解けて、次の一球・・・江川の投球は、高めに大きく外れた。押し出しで、サヨナラ。怪物・江川の夏は、それで終わった。グランドで・・・江川は、泣いていた。
「江川が泣いてる。悔しかろう。のう、江川」
ワシは心の中で、そう思った。その夏のワシの江川の思い出は、それだけじゃ。江川と対戦する事なく、その後、ワシらは決勝戦に進み勝った。ワシらはついに全国制覇を達成し、真紅の大優勝旗を広島に持ち帰った。
あれから、38年が経った。その間、ワシは大学からカープに入団し、選手、コーチ、監督もさせてもらい、他球団のユニフォームも着させてもらった。プロでは、江川とも対戦した。甲子園での江川の涙は青春時代の一つの記憶として、ワシの心に刻み込まれたが、その涙を「怪物を更に成長させた、悔し涙」、「あの悔し涙があってこそ、今の江川がある」ワシはずっーと、そんな風に思ってきた。しかし齢50も過ぎてから、ワシは江川から涙の本当の意味を聞かされる事になる。それは18歳のワシの心に、刻み込まれた風景を一変させてしまうような、意外な事実じゃった。
話しを、38年前に戻すとしよう。土砂降りの甲子園。延長11回ウラ、2アウト満塁、ボールカウント2-3。江川が、タイムを取る。ここから、もう一回話しを始めよう。
江川は、タイムを取った。内野陣が、マウンドに集まった。ここで江川は、みんなにこう言ったんだと・・・
「みんな、ゴメン。俺、次のボール自信がない。みんな・・・次は、何を投げたらいいと思う?」
江川はみんなに、そう聞いたんだそうな・・・それまで1回も見せた事の無い、怪物・江川が初めて吐いた弱音じゃった。この話をしてくれた江川は、当時の事を語り出した。 それは「怪物」と呼ばれた男の悲しい宿命じゃった。当時の江川が、どれほどの存在だったか・・・これまで、随分、話してきた。マスコミは、連日、江川を報道した。江川が何をした。江川が何を投げた。江川が何を言った。挙げ句の果てに・・・江川が何を食べた。江川がどこに行った。江川が何を買った。連日、江川、江川、江川・・・テレビも新聞も雑誌も「江川」の名前を見ない日は無かった。江川は「怪物」と呼ばれた。時代の寵児となり、オーバーな表現では無く国民の最大関心事となった。そして、それは怪物最後の夏、ピークに達していた。
「俺は孤独だった」
江川は、ワシにそう言った。
マスコミは、常に「江川」個人を求めた。報道では「作新学院の江川」では無く「江川の作新学院」のように、言われていた。皮肉なことに、江川が頑張ってチームが勝つごとに、マスコミは「江川の作新」と囃し立てた。夏が近づくにつれ、マスコミの取材は更に江川に集中した。江川は、常に「怪物」である事を要求され・・・江川は常に「怪物」であろうとした。それが知らず知らずに、江川を「孤独」にして行った。
江川は、チーム内で「自分は浮いている」そう思っていたと言う。そして江川は続けて、ワシに言ったんよ。
「あの時、俺はチームの中の俺自身の存在を知りたかったんだ」
土砂降りのマウンドで、怪物が初めて吐いた弱音・・・
「俺は自信がない。みんな。次、何を投げたらいいと思う?」
ワシは思う。あの、土砂降りの中。怪物は本当は、こう言いたかったんだ。
「俺は、作新学院の江川だよな。俺はみんなの仲間で、いいんだよね?」って・・・。
江川の心の叫びは、ナインの心に届いた。江川の言葉を聞いたナインは、即座に口々にこう答えたそうよ。
「何を言ってる。大丈夫だ。お前のお陰で、甲子園に来られたんじゃないか」
「大丈夫だ。次は、お前の大好きなストレートを思い切っていけ」
この時、江川は初めてチームメイトの本心を聞けた思いがしたそうじゃ。ワシは思うんよ。江川は最初から、チームの中で浮いてはいなかった。江川とチームメイトの心は、ずっと繋がっていたんだと思うんよ。ただ、お互い、それを確認する術が無かったんだと思う。じゃけど、それは仕方がない事なんよ。だってその頃、ワシらはみんな、まだ18の高校生だったんじゃもん。土砂降りのマウンドで初めて、チームメイトの本心を聞いた江川は泣いたそうじゃ。
「野球をやってきて、本当によかった」と、心から思いながら・・・そして江川は、渾身のストレートを投げた。球は大きく高めに外れて・・・押し出し。怪物の夏は・・・終わった。
江川は泣いていた。怪物のピッチングを狂わせた雨は、怪物の涙は隠してはくれなかった。江川の最後を実況は、こう伝えたそうです。
「江川が泣いています。江川が・・・悔し涙を流して泣いています」
しかし江川はワシに、こう言ったんよ。
「あの涙は、悔し涙じゃない。うれし涙だった」って・・・怪物・江川の夏は、土砂降りの中で終わった。その最後の一球を江川が怪物ではなく、一人の高校球児として投げた事を・・・江川と作新ナインは知っていた。そして破れて尚、江川は、その瞬間、日本一幸せな高校球児だった。そんな勝負が・・・そんな一球があってもいいとワシは思うんよ。
現役引退後、江川は「思い出に残る一球」を聞かれると、あの押し出しの一球を挙げる。サヨナラ押し出しの渾身のストレートを・・・人生最高の思い出として・・・・ワシが、この話を聞いた時、ワシは江川を目標に必死で頑張ってきて良かったと思った。打倒・江川の猛練習。明けても暮れても、江川・江川じゃった。思えば江川は、ワシの青春そのものじゃった。だが、その甲斐はあった。さすがは、ワシのライバルじゃ・・・(もっとも、江川は、掛布がライバルと言うとったが・・)
ともかく、今も江川には感謝してます。
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