※本居宣長訳(一部、編集)
○天之御中主神
御中は「真中」といった意味のようである。
「真」と「御」は本来通う言葉だったが、やや後には分けて「御」は尊んで言う言い方【「御」の字を書くのもこの意である。この字は、漢国では王のことに限って用いるのだが、我が国で「美(み)」というのは天皇のことに限らず、凡人にも何にも用いる。】
「真」は美称、甚だしいさま、完全なさまに用いる。
しかし古言の残ったのを見ると、もっと通用して真熊野、三熊野などとも言う例が多く「真」と言うべきところを「御」と言うことも、御空(みそら)、御雪(みゆき)、御路(みち)など例が多い。
御中も、このたぐいだ。 天だけでなく国の御中、里の御中などが万葉集にある。【俗言で「真ん中」と言うのも「真中」である。一般に「真」をなお甚だしく言おうとして「まん」とはね、または「まっ」と詰める(「真っ青」など)のは俗言にはよくある。】
また「毛那加(もなか)」も「真中」の転じた言葉で、天武紀に「天中央(ソラのモナカ)」とある。【この言葉で、ここの「御中」の意味を理解すべきである。】
「主」は「大人(うし)」と同じ言葉で「能宇斯(~の大人)」が縮まった言葉である。
すると、この神は天の真ん中にいて、世の中の「うし」である神という意味の名であろう。【この神を人臣の祖であるとか、国の常立(とこたち)の神の配偶神で皇后であるなどというのは、出まかせの妄説である。大体近頃は、こうした邪説が大変多い。惑わされてはいけない。】
この「あま」は「高天」と続くときは「高」の「か」に「あ」の音があるから、自然と「たかま」に読む。【ある人はこれを疑い「たかま」と読むのなら「云2阿麻1」でなく「云レ麻」とありそうなものなのに「あま」とはっきり指定しているから「たかあまのはら」と読むように言っているのではないかと言ったが、その説は良くない。
「高天」と続くときは「たかま」となって「ま」だけを書くべきだが、註は「天」一字の読みを示しており、それは「あま」である。
他にもその例はあり、後の部分で「八咫鏡」の註に「訓レ咫云2阿多1(咫を読みてアタと云う)」とあるが、やはり「八咫」は「やあた」でなく「やた」と言う。 これも「や」に「あ」の音があるから、ここと同じである。】
「高の下の」というのは「天御中主」の神名にも天の字があるから、そういう書き方をしたのである。
「下效レ此」とは、これ以下「高天原」という語が出たら、すべて同様に読めという意味である。
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