2015/04/28

神世七代(その1)御復習い

●国之常立神
『古事記』では「国之常立神」、『日本書紀』では「国常立尊」と表記されている。

別名、国底立尊(くにのそこたちのみこと)

神名の「クニノトコタチ」は、日本の国土の床(とこ、土台、大地)の出現を表すとする説や、日本国が永久に立ち続けるの意とする説など諸説ある。

天地開闢の際に出現した神である。

造化三神によってなされた宇宙だが、まだ混沌としていて天も地もハッキリしない。

そこに現れたのが国之常立神で、この神によって混沌としたドロドロとした泥土を集め、大地がなされた。

記紀には「泥の中から生えた葦のような姿」と記載される。

常立の「」は、元は「」で「大地」を表す。

大地の石のことを「常磐」、常には「永遠」という意味合いがあり、よって「」という字が当てられた。

タチは「煙が立つ」というように「姿の見えないものが表れる」という意味があり、その後「しっかりと立つ」という意味になった。

よって「常立」は「大地が成る」、「大地が表れる」という意味を持つ。

神世七代で初登場。

前段の特別な五柱の「別天神」の天之常立神とは、本来はワンセットだったと推測される。

『日本書紀』本文では、国常立尊を最初に現れた神としており「純男(陽気のみを受けて生まれた神で、全く陰気を受けない純粋な男性)」の神であると記している。

他の一書においても、最初か2番目に現れた神となっている。

『古事記』においては、神世七代の最初に現れた神で、別天津神の最後の天之常立神(あめのとこたちのかみ)と対を為し、独神(性別のない神)であり姿を現さなかったと記される。

『記紀』ともに、それ以降の具体的な説話はない。

『日本書紀』では最初に『古事記』でも神代七代の最初に現れた神とされることから始源神、根源神として神道理論家の間で重視されてきた

伊勢神道では天之御中主神、豊受大神とともに根源神とし、その影響を受けている吉田神道では、国之常立神を天之御中主神と同一神とし大元尊神(宇宙の根源の神)に位置附けた。

その流れを汲む教派神道諸派でも、国之常立神を重要な神としている。

古事記では「ウマシアシカビヒコヂ」→「アメノトコタチ」→「ク二ノトコタチ」→「トヨクモ」の順で生まれる。

これらの神が生まれた順番に偉いというわけではないが、古代日本人にとって「葦の生命力」、「天」、「地」、「雲」が特別な意味を持っていたと推測できる

●豊雲野神
豊雲野神は古事記に登場し「雲を表している」以上の情報はないが、日本書紀に登場する「豊国主尊」と同一神と言われる。

トヨ」+「クモ」で「豊かな雲」、雲は雨を齎し農業にとって大事な存在である。

もちろん太陽を隠すこともあることから、怖い存在でもあるかもしれない。  

日本人は、怖いものこそしっかりと祀るのである。

※豊国主尊(別名)
『古事記』では神代七代の二番目、国之常立神の次に化生したとしている。  

国之常立神と同じく独神であり、すぐに身を隠したとある。

『日本書紀』本文では、天地開闢の後、国常立尊、国狭槌尊の次の三番目に豊斟渟尊が化生したとしており、これらの三柱の神は男神であると記している。  

第一の一書では、国常立尊・国狭槌尊の次の三番目に化生した神を豊国主尊(とよくにぬしのみこと)とし、別名として豊組野尊(とよくむののみこと)、豊香節野尊(とよかぶののみこと)、浮経野豊買尊(うかぶののとよかふのみこと)、豊国野尊(とよくにののみこと)、豊齧野尊(とよかぶののみこと)、葉木国野尊(はこくにののみこと)、見野尊(みののみこと)であると記している。  

」がつく名前が多く、豊雲野神・豊斟渟尊と同一神格と考えられている。   

第二から第六の一書には、同一神とみられる神名は登場しない。

『古事記』、『日本書紀』とも、これ以降、豊雲野神が神話に登場することはない。

豊国主神は「大国主神」と名前の構成が同じである。

大国主神と言えば「出雲」、すなわち「」に関係し、ここから「」=「豊かな国」という式が成り立つ。

人が住み、そこで飯炊きをすれば煙が上り、それが「」と「豊かな国」を結びつけるものだった、或いは鉄の精製で大量の木を燃やす際に、立ち上る煙を雲と見たのかもしれない。
Wikipedia引用

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