2015/04/20

豊雲野神『古事記傳』



神代一之巻【神世七代の段】 本居宣長訳(一部、編集)
豊雲野神(トヨくむぬのカミ)
この名は、豊は物が多くて充足し、豊饒である意味の言葉で美称である。豊布都(とよふつ)の神、豊石窓(とよいわまど)の神、豊玉毘賣(とよたまびめ)の命、また豊木入日子(とよきいりひこ)の命、豊スキ(金+且)入日賣(とよすきいりひめ)の命など、例は多い。また人名以外にも豊葦原(とよあしはら)の中国(なかつくに)、豊明(とよのあかり)、豊榮上(とよさかのぼり)、豊祷(とよほぎ:祷の字は示+壽)などの例がある。雲野の字は借字で「くも」は「くむ」、「くみ」、「くい」、「こり」などと通じ【その理由は次に言う】物が集まり凝る意と、初めて兆しが現れる意を兼ねた言葉で、またこの二つの意は通い合う。物が集まり凝ることで、物の形ができるからである。

「野」は「」と読んで【およそ「野」の字は、上古は「ぬ」と読んでいた。「の」と読むようになったのは、やや後のことである。師(賀茂真淵)が『「野(の)」、「角(つの)」、「篠(しの)」、「忍(しのぶ)」、「陵(しのぐ)」、「楽(たのし)」などの「の」は古くはみな「ぬ」であった。だから古い書に、これらの語の仮字には「能」、「乃」ではなく「奴」、「怒」、「農」、「濃」などを書いた。「農」、「濃」は「ぬ」の仮字である。「の」ではない。上記の言葉を「の」と言うことは、だいたい奈良時代の終わり頃から始まった』と言った通りである。】沼の意であろう。すると「くも」は「浮き脂のようなもの」が凝集して国土となる最初の徴候を言い「ぬ」とはその状態を言う。その国土になるべき物は、海水に泥が混じったような物だからである。一般に水が溜まったところを沼と言う。また書紀の一書の表記を考えると「ぬ」は「主」の意味かも知れない。【その理由は次に言う。】 
この神の名は書紀本文に「豊斟渟尊」、【「斟」は「くみ」とも読めるが、一書に「組」という表記があるので、ここは「くむ」であろう。】一書には豊国主尊とあって【これを別称の「雲野」、「斟渟」と考え合わせると「国」は「くもに」あるいは「くむに」の縮まった形で、その「に」は後出の「宇比地邇」の「邇」と同じく「野」や「渟」に通う音である。ところで「主」は別に添えて賞める美称である。この名を考えると「雲野(くもぬ)」の「ぬ」も、主の意でもあるだろうか。そうであれば、この名の「国」はまた「くも」、「くむ」に通う言葉である。

○この名について考えると、そもそも「」を「くに」と言うのは元は「くもに」であり「雲野」という神の名と同じ意味ではあるまいか。】また「豊組野(とよくみぬ)の尊」とも言う【「くみ」は「くも」、「くむ」と通う。】また「豊香節野(とよかふしぬ)の尊」とも言い「浮経野豊買(うきふぬとよかい)の尊」とも言う【「ふし」は「ひ」に縮まり「かふし」と「かい(カヒ)」は同じである。また「かひ」は「くひ」に通い「くひ」は「くみ」に通う。このことは角杙(つぬぐい)の神のところで言う。「うきふぬ」の「うき」は、あの「浮き脂」が虚空に漂う意、または後世の歌に泥のことを「うき」と言っているので、その意もあるのだろう。「経」の「ふ」は「含(ふふ)む」であり、あの物のうちに地となるべき要素が含まれていたのだ。花がまだ咲かないのを「ふふまる」と言うのと同じである。次の葉木国(はこくに)と合わせて考えよ。「ぬ」は「雲野」の「ぬ」と同じである。】 また「豊国野(とよくにぬ)の尊」とも言い【豊国主と同じ。】「豊齧野(とよくいぬ)の尊」とも言い【「くい」が「かい」、「くみ」と通うことは上述した。】また「葉木国野(はこくにぬ)の尊」とも言い【「はこ」は「ほ」と縮まって含まれる意である。含まれることをほほまれるとも言い「ふほごもり」などの言葉もある。また「はごくむ」、「はぐくむ」という言葉を考えよ。】また「御野(みぬ)の尊とも言う。【これは「くみぬ」の「く」を省いたか、または御沼の意かも知れない。】とある、これらの名とあれこれ考え合わせてその意味を理解すべきである。また師の「冠辭考」の「刺竹(さすたけ)」の條で「籠もり」と「くみ」と通うことを詳しく述べている。参照されたい。たしかに「こもり」も「くま」も集まり凝る意味がある。雲もその意味で、本来同源であろう。また「角ぐむ」、「芽ぐむ」、「涙ぐむ」の「ぐむ」も初めてきざすという意味で、集まり凝る意を帯びており同じ言葉である。次の「角杙(つぬぐい)の神」のところに述べることも考え合わせよ。

【○この書紀の一書に出た神の別名のうち「豊香節、豊買、葉木国」などについては、稲に関係した名かと思われるふしがある。というのは「香節」は八千矛神の歌に「やまとの、一本薄(すすき)、うなかぶし」とあるように、稲の穂のなびき垂れた姿を言い「豊買」は豊穎(稲の果実)、「葉木国」は稲がはびこりよく実った状態を言う。「雲野」も「久美竹」の「くみ」で、稲がふさふさと密集している状態だ。しかし、この段の神の名にそうした稲に関係する意味を考えるのは正しくないだろう。これに続く神々の名を見ると、そうした例がないように見受けられ、この考えは採用できない。】雲の字の下にある「上」の字は一之巻で詳しく述べた。

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