●古事記の国産み
『古事記』によれば、大八島は次のように生まれた。伊邪那岐(イザナギ)・伊邪那美(イザナミ)の二柱の神は、別天津神たちから漂っていた大地を完成させるよう命じられる。別天津神たちは、天沼矛を二神に与えた。伊邪那岐・伊邪那美は天浮橋に立ち、天沼矛で渾沌とした大地をかき混ぜる。この時、矛から滴り落ちたものが積もって「淤能碁呂島(おのごろじま)」となった。
ここに諸々の天つ神が、伊邪那岐命と伊邪那美命の二柱の神に「この漂へる国を整え固めよ」と仰せられ、天沼矛を授けて依頼された。そこで、二柱の神は天浮橋(天と地とに掛る梯子)にお立ちになって、その沼矛を刺し下ろして回されると、塩が許袁呂許袁呂(こをろこをろ と)鳴り引き上げられると、矛の末より垂り落ちたる塩が重なり積もって島になった。これを淤能碁呂島と云う。
「瓊は玉のことである」と日本書紀本文に注釈があり「天之瓊矛」は玉で飾られた矛ということになる。細長い矛は男性の象徴であり、それを突き刺す行為は性的な行為を表現したものとする説がある。杖の神秘力は、大地に直立する棒状の槍、矛、剣に託される場合もあり《古事記》における天沼矛、東アフリカの槍、ユーラシアの神剣などの象徴性は、杖の象徴性と同一の思想的基盤に立つ。
●日本書紀の国産み
『日本書紀』の記述は、基本的に伊奘諾・伊奘冉が自発的に国産みを進める(巻一第四段)。また伊奘諾・伊奘冉のことを、それぞれ陽神・陰神と呼ぶなど陰陽思想の強い影響がみられる。
本書によれば『古事記』と同様に、伊奘諾・伊奘冉は天浮橋に立ち、天之瓊矛(天沼矛)で渾沌とした大地をかき混ぜる。この時、矛から滴り落ちたものが積もって島となった。ただし、この場面で他の天つ神は登場しない。
伊弉諾尊と伊弉冊尊とが、天浮橋の上で相談されて「下の地に国ができよ」と仰せられた。天之瓊瓊は玉である。これを努(ぬ)と云う矛(あまのぬほこ)を差し入れて回し探られると、滄溟(あをうなはら=青海原)が出来、
矛の鋒(さき)から滴った潮が固まって一つの嶋が出来た。名を「磤馭慮嶋(おのごろしま)」と云う。
オノゴロ島、又はオノコロ島とは、日本神話や記紀に登場する島である。特にイザナギノミコト・イザナミノミコトによる国生み神話で知られ、神々が創り出した最初の島となっている。『古事記』では「淤能碁呂島(おのごろじま)」、『日本書紀』では「磤馭慮島(おのころじま)」(初字は「石殷」で一字)と表記する。
オノゴロ島は自凝島とも表記され「自ずから凝り固まって出来た島」の意味である。イザナギノミコト(男神)とイザナミノミコト(女神)が、国生みの際に「天の浮き橋(あまのうきはし:天と地を結ぶ宙へ浮く橋。神はこの橋を渡って地へ降りるとされる)」に立ち、天の沼矛をまだ何も出来ていない海原に下ろし「こをろこをろ」とかき回し矛を持ち上げると、滴り落ちた潮が積もり重なって島となった。これがオノゴロ島である。オノゴロ島に降りた2神は「天の御柱」と「八尋殿(やひろどの:広大な殿舎)」を見立て、イザナギノミコトは左回りにイザナミノミコトは右回りに天の御柱を巡り、出会った所で相手の魅力を褒めあい、この島で成婚する。
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