2015/07/28

天沼矛『古事記傳』

神代二之巻【淤能碁呂嶋の段】 本居宣長訳(一部、編集)
天沼矛(あめのぬぼこ)。書紀には「天之瓊矛」と書いて「瓊此云レ努(瓊はヌと読む)」【書紀で、これを「とほこ」と読むのは通俗読みで問題外である。努の字は一本に「貮」とあることが弘仁私記に出ている。】とあるから「」は借字で玉である。玉を「」と言うのは、書紀に「瓊響瑲々、此云2奴儺等母母羅爾1(瓊響瑲々、これをヌナトモモユラニと読む。)」とあり【今の本は「瓊響」の二字が脱けている。奴の上に「乎」の字があるのも間違っている(衍字)。これについての説も、みな間違いだ。この記と合わせて読めば明らかである。】

この訓の「奴儺等(ぬなと)」は瓊(ぬ)の響(おと)ということだ。【「の」を「な」と言うことや、「お」を省く例も多い。】また天武天皇の夫人に「大ヌ(草冠に豹の偏+生)の娘(いらつめ)」があり、旧事紀には「天のヌ槍」という語がある。この二つも玉を「ぬ」と言った例かも知れない。【この「ヌ(草冠に豹の偏+生)」の字は玉とは関係がないが「和」を「カ(口+禾)」とも書くので、「スイ(王+遂)」の字の玉を右に移して書いているうちに誤写したのではないだろうか。】

一般に書紀では「瓊」を「に」と読んでいるが、それを通音の「ぬ」にも使ったと思われる。矛は和名抄によると『楊雄方言に「戟(げき)を干(かん)、また戈(か)とも言う」とあり、和名は「ほこ」』とあり釈名に『手戟を矛と言い人が持つものである。この字は鉾とも書き、和名「てほこ」』とある。【我が国の古い書物では戟、矛など字には関係なく、みな通用する。「桙(ほこ)」という字を書くことも多い。矛を「てほこ」というのは、古い語ではないだろう。手戟という言葉について言ったものと思う。】上代には特によく用いられた武器で、古い書物に多く見える。【日矛、茅纏(ちまき)のホコ(矛+肖)、廣矛、八尋の矛などの名が出ている。】

沼矛は玉桙とも言うように、玉で飾った矛を言うのだろう。いにしえは、こういうものも玉を付けて飾るのが普通だった。 色んなものに「」という語を添えて言うのは、御孫命(ミマのミコト)が天降った時、身に着けた物、またお供をした大勢の神々が持った物など、天から降ったものが多い。その時に下界の物と区別して「天の~」と言ったのである。後代には、地上で造ったものも天上の物の造りに似せたので、同じように「天の~」と名付けるようになった。それから転化して、ただ何となく美称として呼ぶこともある。【天の物は美しいからである。】

ところで、この類の「」は後にはみな「あまの」と読むが、倭建命の歌に「あめのかぐやま」、書紀の仁徳の巻の歌に「あめかなばた」などの語句があり、「あめの~」、「あめ~」と読む場合もあるようだ。しかし、そう読むべき確かな証拠がない場合、とりあえず旧来の読み方をしておく。この時「国を造り固めよ」と仰せて、天沼矛を賜った理由は不明である。神代のことを、後世の人間の浅知恵で推測すべきではない。【その他、この矛について様々な憶説があるが、どれも取るに足りない。一説に今は伊勢の瀧祭宮の地底に埋まっていると言うが、益々信じられない。】

言依賜也(ことよさしたまいき)。言は借字で、「事」の意。そのまま「事」と書いているところもある。「言」の意味なら「御言依(みことよさし)」とあるはずだが、どの本を見ても「御」の字はない。「依(よさし)」は寄、因、所寄とも書き、字の通り「よす」という言葉を伸ばして言っている。「さす」を縮めると「す」となる。古語は縮めずに言うことも、縮めて言うこともよくある。【そのことは、次の「立たす」でも言う。】だが「よせ」を伸ばせば「よさせ」になりそうなものなのに「よさし」と言うのはなぜかといえば、古くは「よせ」を「よし」とも言ったからである。書紀の神代巻に「妹慮豫嗣爾、豫嗣豫利據禰(めろよしに、よしよりこね)」【この歌は、この前の句で網のことを歌っているので「網の目を引き寄せるように寄っておいで」という意味である。現在行われている註釈はひどく間違っている。】

とあるのは「目依(めろよせ)に依々(よせより)来ね」ということである。また万葉巻十四【十九丁】(3454)に「都麻余之許西禰(つまヨシこせね)」と詠んでいるのも「妻依(つまヨセ)来ね」である。この他にもある。「よさし」と読む確実な例は、聖武天皇の詔に「吾孫将レ知食國天下止、與佐斯奉志麻爾麻爾(アがミマのシラサンおすくにのアメノシタと、ヨサシまつりしマニマニ)」とある。「佐」を「さ」と清音に読むことは「與須(よす)」の伸びた形であることで分かる。【今の人の多くが濁って読んでいるのは間違いだ。】

「よさす」とは「」の字を書くこともあり、何か事をその人に委任して執行させることである。光仁天皇の藤原永手大臣の死を悼んで述べた詔に「大政官之政乎波、誰任之加母罷伊麻須(ダジョウカンのマツリゴトをば、タレにヨサシかも、マカリいます)」とあるのも「(あなたの任務を)誰に任せてみまかったのか」という意味だ。「封」の字をそう読むのも、その国の政をその人に依せ任す意味である。「言依さす」という言葉は、この巻の後の方にも続日本紀の宣命、延喜式の祝詞などに多数の例があるが全て同じだ。書紀では勅任とも書く。また應神の巻に「任2大山守命1、令レ掌2山川林野1(オオヤマモリのミコトにコトヨサシて、やまかわハヤシノをツカサドラシメたまう)」などの例もある。最後の「」は天沼矛を賜わったのでなく、ただ尊敬の意味で付加したのである。

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