「つくだ(佃)」は「佃煮」づくりもさることながら、もとは「田」をつくったところ。大阪市西淀川区に「佃」、東京都中央区に「佃島」があります。私たちが日頃口にする「佃煮(つくだに)」は、この地名からきています。
徳川家康が豊臣秀吉から関東八カ国を与えられ、いよいよ天下の覇者となって幕府を置くことを決め、本格的な開発をするまで、江戸はさほど開けたところではありませんでした。海を埋め立て、橋を架け、道路をつくり、水を引くなど、一から都市整備を行い江戸城を築いたわけですが、それだけでは生活できません。衣食住に関わる職人も商人も呼び寄せなければなりませんでした。この時、上方から生活に関わるさまざまなものが、将軍のおひざもとである江戸に東下りしていきました。
私たちはダメな物を「下らないもの」と言います。この語源は、実はここなのです。家康は「いいもの」を江戸に呼び寄せました。つまり「いいもの」だから上方から江戸に「下った」のです。この時、「下らなかったもの」は悪い物だったのです。だから、悪い物を「くだらないもの」というようになったのです。この時、「下ったもの」の一つが「佃煮」でした。
大阪湾に面した佃村(現在の西淀川区佃)で、漁師たちが魚を煮て保存食としていました。これが美味で、家康の舌にかない「佃の連中を江戸に呼べ」ということになって移住し、それが「佃島」と呼ばれ、いまも東京都中央区の一角に残っているのです。
さて、「佃(つくだ)」の地名由来に話をもどします。この字は日本人がつくった漢字である「国字」でして、C国の漢字辞書を引いてもでてきません。「田」に人を意味する「イ(にんべん)」をくっつけた字です。「佃(つくだ)」とは「人がつくった田」、つまり埋め立て地を意味します。文字どおり「つくり・た」、それがいつしか「つくだ」と呼ばれるようになったというわけです。大阪市西淀川区の「佃」も、東京の「佃島」も、秀吉や家康の時代に埋め立てられたところです。
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