2015/07/21

修理固成『古事記傳』



神代二之巻【淤能碁呂嶋の段】 本居宣長訳(一部、編集)
○ここで「多陀用幣流之國(ただよえるクニ)」とは、初めの段に「國稚如浮脂而(クニわかくウキアブラのごとくして)」とあるものを指して言う。そこでも「久羅下那洲多陀用幣琉(クラゲナスただよえる)」とあったのと、言葉が同じなので分かる。また書紀の一書に「有物若浮膏云々」とあるのも想起されたい。すると天御中主の神以降、この二柱の神までは、引き続いて次々に(ほぼ同時に)神が生まれ、この時まだ世界は「國稚如浮脂而」、「漂蕩(ただよ)」っていたわけである。その段でも述べたように、まだ国土はなかったけれども、それができて後に呼ぶようになった名で「くに」と呼んでいるのである。【実は、この時は海水がようやく凝り固まろうとして、漂っているだけだった。】

修理固成(つくりかためなせ)。【「修」を「脩」と書くのは正しくない。】修理は、単に「作る」というのと同じ意味である。玉垣の宮(垂仁天皇)の段に「修=理2我宮1(アがミヤをつくる)」とある。国を「修理固(ツクリかためる)」というのは、神産巣日神が大穴牟遲神(大国主命)に少名毘古那神のことを話し「與2汝葦原色許男命1爲2兄弟1而作=堅2其國1(いましアシハラノシコオのミコトとアニオトトとなりて、カノクニつくりカタメヨ)」と命じたことが出ており、またその二柱の神が「相並作=堅2此國1(アイならびてコノくにツクリかたむ)」ともある。【文徳実録七には、「仏毛平爾奉2造固1(ホトケもタイラカにツクリかためマツリ)」などともある。和名抄では、修理職のことを「乎佐女豆久留豆加佐(おさめツクルつかさ)」としている。】これは「修理固」と三字続けて読む。「成せ」とは「完成せよ」という意味で、これも大穴牟遅神の段に「國難成(国成り難けん)」などがあり、書紀にも「成不成(なる、ならぬ)」の議論がある。ここで「作り固める」と「成す」と、似た意味の語を重ねて言っているのは古語の特徴である。

は「のりごちて」と読む。「のる」とは人にものを言い聞かせることで、自分の名前を聞かせることを「名のる」と言うのでわかる。法を「のり」と言うのも上から「このようにせよ」と定めて、言い聞かせることから出た。「告」、「謂」といった字も「のり」と読む例が記中、また万葉に多く出ている。【これらの読みも、今の本には誤って違った読みをしていることが多い。古語をよく知らないからである。よく考えて正すべきである。】

この詔の字は「みことのり」、「のりたまう」とも読む。【「みことのり」は「御言詔」で「のりたまう」は「詔賜う」である。よく「のたまう」というのは「り」を省いたのである。】記中でも、言葉の続き具合により読み方が違う部分がある。しかし、いずれにしても「のる」という語幹を離れることはない。元々、それから様々に使い分けているからである。「のりごつ」は、書紀の崇神の巻に「令2諸國1(クニグニにノリゴチて)」などの例がある。歌物語に「ひとりごつ」、「きこえごつ」、「まつりごつ」などとあるのと同じ活用で「のりごとス」を縮めた語である。【應神紀に「令2有司1(ツカサツカサにノリゴトして)」とある。】源氏物語の東屋の巻に「帝の大御口(おほむくち)づから碁弖(ごて)たまへるなり(旧仮名遣い)」とあるのは「のりごちて」を後世には言い慣れて「のり」を省いたのであろう。



神代二之巻【淤能碁呂嶋の段】 本居宣長訳(一部、編集)
○ここで「多陀用幣流之國(ただよえるクニ)」とは、初めの段に「國稚如浮脂而(クニわかくウキアブラのごとくして)」とあるものを指して言う。そこでも「久羅下那洲多陀用幣琉(クラゲナスただよえる)」とあったのと、言葉が同じなので分かる。また書紀の一書に「有物若浮膏云々」とあるのも想起されたい。すると天御中主の神以降、この二柱の神までは、引き続いて次々に(ほぼ同時に)神が生まれ、この時まだ世界は「國稚如浮脂而」、「漂蕩(ただよ)」っていたわけである。その段でも述べたように、まだ国土はなかったけれども、それができて後に呼ぶようになった名で「くに」と呼んでいるのである。【実は、この時は海水がようやく凝り固まろうとして、漂っているだけだった。】

修理固成(つくりかためなせ)。【「修」を「脩」と書くのは正しくない。】修理は、単に「作る」というのと同じ意味である。玉垣の宮(垂仁天皇)の段に「修=理2我宮1(アがミヤをつくる)」とある。国を「修理固(ツクリかためる)」というのは、神産巣日神が大穴牟遲神(大国主命)に少名毘古那神のことを話し「與2汝葦原色許男命1爲2兄弟1而作=堅2其國1(いましアシハラノシコオのミコトとアニオトトとなりて、カノクニつくりカタメヨ)」と命じたことが出ており、またその二柱の神が「相並作=堅2此國1(アイならびてコノくにツクリかたむ)」ともある。【文徳実録七には、「仏毛平爾奉2造固1(ホトケもタイラカにツクリかためマツリ)」などともある。和名抄では、修理職のことを「乎佐女豆久留豆加佐(おさめツクルつかさ)」としている。】これは「修理固」と三字続けて読む。「成せ」とは「完成せよ」という意味で、これも大穴牟遅神の段に「國難成(国成り難けん)」などがあり、書紀にも「成不成(なる、ならぬ)」の議論がある。ここで「作り固める」と「成す」と、似た意味の語を重ねて言っているのは古語の特徴である。

は「のりごちて」と読む。「のる」とは人にものを言い聞かせることで、自分の名前を聞かせることを「名のる」と言うのでわかる。法を「のり」と言うのも上から「このようにせよ」と定めて、言い聞かせることから出た。「告」、「謂」といった字も「のり」と読む例が記中、また万葉に多く出ている。【これらの読みも、今の本には誤って違った読みをしていることが多い。古語をよく知らないからである。よく考えて正すべきである。】

この詔の字は「みことのり」、「のりたまう」とも読む。【「みことのり」は「御言詔」で「のりたまう」は「詔賜う」である。よく「のたまう」というのは「り」を省いたのである。】記中でも、言葉の続き具合により読み方が違う部分がある。しかし、いずれにしても「のる」という語幹を離れることはない。元々、それから様々に使い分けているからである。「のりごつ」は、書紀の崇神の巻に「令2諸國1(クニグニにノリゴチて)」などの例がある。歌物語に「ひとりごつ」、「きこえごつ」、「まつりごつ」などとあるのと同じ活用で「のりごとス」を縮めた語である。【應神紀に「令2有司1(ツカサツカサにノリゴトして)」とある。】源氏物語の東屋の巻に「帝の大御口(おほむくち)づから碁弖(ごて)たまへるなり(旧仮名遣い)」とあるのは「のりごちて」を後世には言い慣れて「のり」を省いたのであろう。

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