春は一年で一番好きな季節である。長く寒い冬が終わり、ようやく温かい日差しに包まれ、そんな陽気に誘われるように美しい花が咲き乱れる。自然の生命力が横溢する春こそは、まさに日本の自然美が最高潮を迎える。美しい花が百花繚乱と咲き乱れる中で、なんと言っても日本の花といえば、勿論「桜」だ。
「西洋のバラ、日本の桜」の対比を説明したのは、新渡戸稲造だった。いわく、バラは自己主張が強く、豪華で鮮やかな大きさや色が目を惹き、薫りも強い。長く咲き続けた挙句、茎を残し老醜を晒しながら執念深く生き続けようとするのが「永遠の美」を求めるかのようである。一方、桜の花は色も淡く可憐であり、薫りも微かで控えめである。バラのような棘や毒を隠し持たず、僅か数日で未練も残さずに潔く散っていく・・・ここから武士の散り際の美学が語られていったが、これは本居宣長の「もののあはれ」(儚さ)や、釈迦の「諸行無常」にも通じる、欧米人には理解しがたい日本人特有の美意識と言えよう。
例年ならば「花見」と言えば京都となるところだが、今年はなんと言っても昨年化粧直しが終わったばかりの姫路城を観なくてはならない。グランドオープンの昨年に予定していたものの、あの異様なまでの混雑に京都まで行きながら断念せざるを得なかった経緯があるだけに、今年はなにがなんでも「リベンジせねば!」と姫路のホテルを抑えるなど、準備は万端。
初日は2年ぶりに実家に帰省し、夕方には早々に京都へと移動する。ホテルに近い祇園の夜桜は、まさに満開で最高の状態であった。
翌日は、ン年ぶりの大阪城だ。
何度目かわからないくらいの見学だが、上手い具合に「櫓の重要文化財 内部特別公開」というのをやっており、まさに見頃の満開の桜とともに珍しいものを見学する。
大阪城に次ぐお目当ては、世界最大級の墳墓と言われる「仁徳天皇陵」を始めとした「大仙陵古墳」である。ところが例のごとく、大阪城がC国人に「侵略」され時ならぬ思わぬ行列に巻き込まれたせいで、時間的に大仙陵古墳の見学は厳しくなってしまったため、急きょ予定を変更し四天王寺へ向かう。言わずと知れた、聖徳太子が最初に建立した最古の仏教寺院だが、これがお目当ての金堂や五重塔などが修復中という大誤算に見舞われ、肝心要の「中心伽藍」なき間抜けな見学となってしまった。
そうと決まれば、早めに移動するに越したことはないと、姫路に移動。ホテルにチェックインを済ませると、駅前の海鮮居酒屋でしこたま飲んでから、タクシーでライトアップの姫路城へ。夜空に浮かぶ白鷺城の雄姿をしっかり目に焼き付け、ホテルの天然温泉で冷えた体を温めると、あっという間に睡魔に襲われてしまった。
0 件のコメント:
コメントを投稿