こんなふうに、イエスはユダヤ教指導者たちの追及を切り抜けていきます。しかし、彼がユダヤ教のあり方を批判するだけでなく、救世主としての評判が高くなってくると対立は徹底的になります。ユダヤ教の保守的な指導者たちは、何が何でもイエスを捕らえて処刑しようとします。イエスに対するデマも流して、彼の評判を落とす。
最後の時期には、イエスは逃げ回りながら布教しています。でも、ついに捕らえられて、裁判にかけられることになります。
これは、ルネサンス期の大画家レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」です。
逮捕される前の晩、イエスは弟子たちと食事をする。その途中で、イエスは明日私は捕まるだろうと言う。驚いた弟子たちが
「えっ、それは何故ですか。まだまだ、逃げられますよ」
と言うんですが、イエスは
「この中の一人が、私を裏切るだろう」
とつぶやく。その言葉を聞いた直後の弟子たちの動揺を描いた絵です。結局、ユダという弟子が、ユダヤ教指導者にイエスの隠れ場所を密告して、その結果イエスは捕まったとされています。
ユダヤ教の戒律は破ったかもしれないけれど、イエスは別に犯罪を犯しているわけではない。でも、ユダヤ教指導者たちにとっては、イエスに好き勝手にさせるわけにはいかない。是非とも、殺してしまいたいんです。そこでローマ総督のところに引き渡すんですが、ローマ総督もイエスが犯罪者でないことはすぐわかったし、ユダヤ教徒同士の争いに首を突っ込みたくない。しかし、ユダヤ教の指導者たちは「この男はローマに対する反逆者だ、ユダヤの王と言っている」と言うんだね。ローマ総督としては反逆者を放って置くわけにはいかない。結局、イエスは反逆者として死刑判決を受けます。
ローマの死刑は、十字架に磔です。死刑囚は磔になる前に、ローマ兵からいたぶられる慣習があった。イエスは兵士たちから服をはぎ取られ裸にされる。殴られたり蹴られたりもしたでしょう。
お前はユダヤの王だろう、王なら冠をかぶれ、と荊(いばら)でつくった冠をかぶらされた。荊はトゲトゲですからね、それを頭にかぶらされて、額からは血がだらだら流れる。この場面を描いた宗教画は、たくさんあるね。
最後は十字架です。これ、手足を釘で十字架に打ち付けるんですよ。手のひらを打ち付けると、体重で手が裂けて外れてしまうらしい。だから正確に言うと、手首の腱のところで打ち付けた。足も足首です。それだけでは支えきれないので、首から肩にかけての腱のところでも釘を打ち付けたという話もある。こんなふうにして十字架に掛けたあと、兵士が槍で心臓のそばを急所を外してチョイと突く。血がだらだら流れながら数日間、苦痛と喉の渇きに苦しめられながら死んでいく。これが十字架の磔です。イエスは、これで死んでいったのです。
信者たちは、どうしていたのか。実は多くの支持者、信者たちはイエスが逮捕された段階で、彼を見捨てて逃げてしまったんです。救世主がこんなに簡単に捕まって、しかも死刑になるわけがない。あいつは只の男だったんだ。そんな気持ちでしょう。救世主なんて言って騙しやがって! とイエスに憎しみを向ける者もいたようです。
弟子も逃げた。ペテロという弟子は、逃げたんだけど裁判の様子が気になる。だから、裁判所の前でうろちょろしているのね。すると彼の顔を知っているものが「あれ、あんたイエスの弟子じゃないか」と言うんだ。
ペテロは、あわてて否定するんです。「いえ、違います。イエス? そんな男私は知りません。」弟子として一緒に逮捕処刑されてはかなわない、と思ったんだね。わっと集まった支持者たちは、わっと消えてしまいました。結局、イエスに最後まで付き従い処刑まで見届けたのは、ほんの少しばかりの女性信者だけだったといいます。
イエスは、わずか二年ほど布教活動をしただけで、処刑されてしまいました。まだ30歳をいくつか超えただけでした。
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