2020/07/19

孟子の思想 ~ 孟子(3)

性善
その名の通り、人間は生まれながらにして善であるという思想(性善説)である。

当時、墨家の告子は、人の性には善もなく不善もなく、そのため文王や武王のような明君が現れると民は善を好むようになり、幽王や厲王のような暗君が現れると民は乱暴を好むようになると説き、またある人は、性が善である人もいれば不善である人もいると説いていた。

これに対して孟子は

「人の性の善なるは、猶(なお)水の下(ひく)きに就くがごとし」(告子章句上)

と述べ、人の性は善であり、どのような聖人も小人も、その性は一様であると主張した。また、性が善でありながら人が時として不善を行うことについては、この善なる性が外物によって失われてしまうからだとした。そのため孟子は

「大人(たいじん、大徳の人の意)とは、其の赤子の心を失わざる者なり」(離婁章句下)、「学問の道は他無し、其の放心(放失してしまった心)を求むるのみ」(告子章句上)

とも述べている。

その後、荀子は性悪説を唱えたが、孟子の性善説は儒教主流派の中心概念となって、多くの儒者に受け継がれた。

孟子と荀子
孟子の対立思想として、荀子の性悪説が挙げられる。しかし、孟子は人間の本性として「#四端」があると述べただけであって、それを努力して伸ばさない限り人間は禽獸(きんじゅう。けだものの意)同然の存在だと言う。決して、人間は放っておいても仁・義・礼・智の徳を身に付けるとは言っておらず、そのため学問をして努力する君子は禽獸同然の人民を指導する資格があるという主張となる。

一方、荀子は人間の本性とは欲望的存在であるが、学問や礼儀という「偽」(こしらえもの、人為の意)を後天的に身に付けることによって、公共善に向うことができると主張する。すなわち、両者とも努力して学問することを通じて、人間が良き徳を身に付けると説く点では、実は同じなのである。

すなわち「人間の持つ可能性への信頼」が根底にある。両者の違いは、孟子が人間の主体的な努力によって、社会全体まで統治できるという楽観的な人間中心主義に終始したのに対して、荀子は君主がまず社会に制度を制定して型を作らなければ人間はよくならないという、社会システム重視の考えに立ったところにある。前者は後世に朱子学のような主観中心主義への道を開き、後者は荀子の弟子たちによってそのまま法家思想となっていった。

孟子が生きた時代は、人の本性についての関心が高まり「性には善も悪もない」とする告子の性無記説(または性白紙説)や「性が善である人もいるが、悪である人もいる」とする説、「人の中で善悪が入り交じっている」とする諸説が流布していた。これらに対し、孟子は「性善説」を唱えた。これは孔子の忠信説を発展させたものとされる。

四端の心
孟子の「性善説」とは、あらゆる人に善の兆しが先天的に備わっているとする説である。善の兆しとは、以下に挙げる四端の心を指す。なお「」とは、兆し、はしり、あるいは萌芽を意味する。

惻隠…他者の苦境を見過ごせない「忍びざる心」(憐れみの心)
羞悪…不正を羞恥する心
辞譲…謙譲の心
是非…善悪を分別する心

修養することによって、これらを拡充し、「仁・義・礼・智」という4つの徳を顕現させ、聖人・君子へと至ることができるとする。端的に言えば、善の兆しとは善となるための可能性である。

人には善の兆しが先天的に具備していると孟子が断定し得たのは、人の運命や事の成否、天下の治乱などをあるべくしてあらしめる理法としての性格を有する天にこそ、人の道徳性が由来すると考えたためである。しかし、この考えは実際と照らし合わせた時、大きな矛盾を突きつける。現実においては、社会に悪が横行している状態を説明できないからである。

こうした疑問に対し、孟子は以下のように説明する。悪は人の外に存在するものであるが、天が人に与えたもの、すなわち「性」には「耳目の官」(官とは働き・機能を意味する)と「心の官」が有り、外からの影響を「耳目の官」が受けることにより、「心の官」に宿る善の兆しが曇らされるのだ、と。すなわち善は人に内在する天の理法であり、悪は外在する環境にあると説いた。

「性善説」の必要性
これを簡単に、理想主義的なオプティミズムとして片づけることはできない。孟子は、何も戦国時代において頻発する戦争や収奪に眼を向けずに、ただ楽天的だったのではない。覇道がはびこる現実を踏まえつつも、孟子は王道思想を掲げたのであるが、「性善説」は、いかなる君主であっても徳治に基づく王道政治を行うことが可能であることを言明するために、道徳的要請から提示された主張であった。

諸国遊説において、孟子が君主に王道政治を説いても、そのような政治は聖人しか行えないのではないか、という冷ややかな対応に出くわすことが多かった。孟子としては、王道政治実現の可能性の根拠を提示する必要があったのである。よりいえば「性は善であるべき」という説が、王道思想のための必要性から「性は善である」という風に変化させられたと言える。

荀子「性悪説」との比較
孟子より数十年遅く活躍した荀子は、孟子の「性善説」を批判した。この根本には「性」に関する孟子とは異なった定義がある。荀子は「性」を、自然そのままの本質と考える。これは荀子が「天」を理法的な存在、あるいは宗教的なものとして捉えず、nature的な自然として理解するからである。荀子が「」という時、欲望も含んだものとして捉えられている。そして、自然そのままの本性を「」とした。というのも、人の「性」とその作用である「」を放任すると、争いなどがおこり社会的混乱を招くからだという。したがって外在する「礼」によって人を矯正・感化する必要があるのだと説いた。

しかし孟子「性善説」が悪の起源について矛盾を抱えていたのと同様、荀子の「性悪説」もまた善なる「礼」が何に由来するのかという点において、矛盾を内包する学説であった。

ただ孟子・荀子ともに人を道徳的に統冶しようとする姿勢は共通のものであって、それは思想的に道徳論にとどまるものであった。

孟子学派が強調して説く「仁義」に、道徳的根拠を与えた。つまり各人のもつ道徳的欲求が覚醒する契機となった。

「礼」や法により、外からたがをはめ道徳的に矯正しようとする「性悪説」に比べ、人の内面を信じその覚醒を引き出そうとする「性善説」は、支持を広げて儒家の主流派となっていった。

性善説」は、先天的な道徳可能性を認めるため、その中にある種平等主義的なものを内包することになった。
出典 Wikipedia

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