2021/09/16

ヘブライの神話(ヘブライ神話20)

出典http://www.ozawa-katsuhiko.com/index.html

  ヘブライの神話ですが、これは「聖書物語」などで一般にもよく紹介されますが、その内容は「天地の創造」、「人間の創造、つまりアダムとイヴの物語」、「ノアの洪水」、「農耕のカインと牧畜のアベルの闘争」、「バベルの塔」などが有名でしょう。ところがこのモチーフは、すべて先行するシュメール・バビロニアなどに存在していました。

 

 ヘブライ神話として有名な天地創造も、はるか以前のメソポタミア・シュメール時代からあり、これはバビロニアにも引き継がれて、中東では一般的な思考となっています。もちろん、それに伴って「人間の創造」もシュメール以来ありました。「ノアの洪水」も、シュメールの「ギルガメシュ叙事詩」にあります。「農耕と牧畜の対立」もバビロニア神話にあります。

 

 ですから、ヘブライ神話の「素材・モチーフ」に関しては、ヘブライ民族に特別独自とされるものは無いとまで言えるのであり、むしろその独自性はその「解釈」にあると言えるのでした。

 

 その解釈が「ユダヤ教」を生んでいくわけですが、時代的には紀元前六世紀から五世紀にかけて、「バビロン補囚」の後と言えます。ここで行われた解釈の第一歩が、口承で伝えられていた神話を整理することでした。しかし、この時当然と言うべきか口承の段階で神話は異説を生んでいるわけで、それをまとめるとなると異なった伝承が入り込み矛盾を生んできます。

 

これは「創世記」の始めに、もっとも良く観察されます。現在では、四種の口承がまじりあっているとされていますが、この細かな検討は専門書に任せて、私達としてはとりあえずその内容と、その精神とをみてみましよう。

 

ヘブライ神話

 ユダヤ教の教えの「核」となる「」、「世界」、「人間」についての基本的理解は、いわゆるヘブライ神話の「世界の創造神話」と「人間の創造と神への離反の物語」、また「アダムとイヴの物語」さらに「ノアの方舟の物語」といった神話が語ってきます。

 

1.「世界の創造」神話。

始め………形あるものはなにもなかった。……………神は「光あれ」といった。光が出現した。…………神は光と闇を分けた。光を「」と呼び、闇を「」と呼んだ。夕べとなり、朝となった。つまり、ここで神は一日一日を数える「時間」を作ったと解釈されます。

 

二日目……大空をつくる。ここからは、この宇宙の創造、つまり「空間」を作っていくと解釈されます。

 

三日目……大地と海を分け、大地に植物を生やす。

 

四日目……太陽と月、さらに星をつくる。

 

五日目……動物、魚、鳥をつくる。生物的生命の創造となります。

 

六日目……動物を種類に分け、家畜を類別する。…………人間をつくる。ここでやっと人間が作られました。

 

七日目……休息する。

 

 この天地創造説は、中東に一般的です。ここでも、それが踏襲されているわけです。問題は、その解釈・意味づけになります。

 

2.人間の原罪

 人間も神によって創造されたのに、神の言いつけを守らず禁止されたことを破ってしまいます(これが人間の原罪とされます)。そして「楽園から追放」されて地上で苦しまなければならないことになっているという、人間の罪と現状の物語が語られます。

 

 これは有名な「アダムとイヴの物語」となるわけですが、ここには「異説」が入り交じっていますが、とりあえず大筋は次ぎのようになります。

 

 神は「」を創造した。これが第一章では「男と女」とを創造したとあり(つまり同時)、その使命は神に代わって「すべての動物を治め支配するため」となっています。ところが、二章になると話が違ってきて、次のような段取りになってしまい、こちらの方が良く知られています。

 

 神が天地を創造した時、土を耕す人がいなかった。神は土(アーダーマー)から人(アーダーム)をつくって、その鼻に命の息を吹き込んだ。

 

その「人」を「エデンの園」に置いて、そこを耕させ守らせた。その園には、さまざまの実がなる木々があり、真ん中に「命の木」と「善悪を知る木」とが生えていた。神はその「善悪を知る実」は、決して食べてはならないと禁じた。

 

 神は「人」が一人でいるのはよくないと考え、その「助け手」を造ろうとして獣や鳥を造って「人」のところに連れていき、名前を付けさせた(これは一章での順序と異なる)。しかし、いい助け手が見つからなかったので神は「人」を眠らせ、そのあばら骨を取り出し、それでもう一人の「ひと」をつくった。その「ひと」は男(イーシ)から取られたゆえに女(イッシャー)と呼ばれるとされた。

 

 「」によって女が誘惑され「善悪の木の実」を食べてしまい、また男も誘われて食べてしまう。神に見つかり、それぞれ言い訳するが「呪い」を受ける事となる。蛇は腹ばいのまま進み、女に敵意をもって見られ、殺される事となる。女は産みの苦しみを持つこととなり、男に支配されることとなる。男は労働の苦しみを負う事となる。そして土、チリに帰らなければならない。女はイヴと呼ばれる事となる。

 

 神は人類が今度は「命の木」からも実を取って食べることを恐れ、エデンの園から追放した。

 

 以上が人間の誕生と現状の説明です、ここには、まずヘブライという砂漠の民の「苦難の人間の現状の説明」があります。自分たちは神の命令に違反して呪われ、追放されて砂漠をさまよわなくてはならなくなったというわけです。

 

他にもさまざまのことが含まれており、人間に関わる思想を見る上で非常に興味深い物語となっています。特に、人間がこの自然たる「動植物を管理する」という「人間の存在理由と使命」が語られ(これは東セム族の神話にもあり、セム族全体の考え方といえる)、同時に人間は「神の助け手」という「人間の特権的在り方」、さらに神の言いつけに背いた「人間の限界と罪」、「男が女を支配する」という性差別、「産みの苦しみと労働の苦しみ」という地上での苦難の必然性などが問題となります。

 

これらについては、後代のキリスト教思想においてさまざまに解釈されており、キリスト教の基本的な世界観・人間観を形成させていることが、とりわけ重要です。

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