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イエスの奇跡の話は、聖書にたくさんでてきます。
なかには荒唐無稽なものも多くある。
イエスの説教に数千人が集まった。この聴衆に、イエスの弟子が食事を配る。パンが5つと魚が2尾しかなかったのに全員に配れたという話。それから、ラザロという若いイエスの支持者が死ぬんですが、イエスが死後数日後に「ラザロ出てこい」と呼びかけると、ラザロが生き返って墓穴から出てきたとかね。
これらはイエスの死後、伝説として創作されたと思われますが、ポイントはこんな荒唐無稽な話でも、その当時の人々が「イエスならありえる話だ」と受けとめたということでしょう。
病癒しの話の中に、気になるのが一つあります。
ゲラサ人の病人を治す話です。この人は頭がおかしくなっていて、墓場で裸になって叫び続けているんです。周りの人が足かせで縛ったりするんですが、すぐに引きちぎって石で自分の身体を傷つけたりする。
イエスはゲラサ人の土地にやって来て、彼に憑いている悪霊を退散させるんですが、この時に悪霊に名を尋ねる。すると悪霊が名乗るんですが、その名が「レギオン」。ガメラとたたかった怪獣にいたね。
実は、レギオンというのはローマ軍団のことです。
そうすると、これは単なる病癒しの話を超えた、何かを暗示しているようだね。イエスの物語はローマの支配と無関係ではなかったし、イエスが治したというたくさんの病人の病気とは、実のところ何だったのかということまで私なんかは考えてしまいます。
話がだいぶあちこちに飛びましたが、イエスはユダヤ教の解釈しなおしと病癒しによって、短い間にものすごく評判になります。多くの支持者を集める。彼の行くところには、人々が群がるようになる。
イエスこそが、待ち望んでいた救世主だと考える人々も多くなってきました。
イエスが評判になると、ユダヤ教の指導者たちは面白くない。
それで、なんとかイエスの信用を落として、あわよくばイエスの落ち度をとらえて逮捕処刑しようと考えます。
ユダヤ教の指導者たちの手下、スパイたちがイエスの身辺に現れて彼の言動を探ったり、色々な罠をかけるようになるんですね。
聖書に姦淫する女の話が出てきます。
ある時そのスパイ連中が、イエスの前に一人の女を連れてきます。その女は姦淫している現場を見つかったのね。夫がいながら他の男性と関係を結んでいたんです。
これは当然戒律違反で、死刑にあたります。姦淫した女は石打の刑といって、みんなに石をぶつけられて殺される決まりでした。
で、彼らはイエスに向かって言う。イエスよ、あなたはこの女をどうするのか。
これは、罠です。
イエスがもし、この女を許すべきだと言えば、戒律破りを堂々と認めることになる。姦淫ですからね、戒律破りといっても日本でも戦前だったら犯罪にあたる行為です。これを認めたら、イエスは無法者だと触れ回られるでしょ。
もし、「許さない、死刑だ」といえば、イエスの言動に励まされてきた多くの貧しい者、虐げられた者達を裏切ることになるわけです。
「なんだ、イエスは口ではわれわれの味方みたいに言っているが、いざとなれば戒律を守れというんだな」と思われるでしょ。
どちらにしても、イエスは信用を落とすことになる。巧妙な罠です。
この時、イエスはこう言う。
「あなた達の中で、今まで罪を犯したことがない者がいれば、この女をぶちなさい。」
女の周りには石を持った男たちが、撃ち殺してやろうと取り囲んでいたんだ。だけど、イエスの言葉を聞いて、一人、また一人と石を置いてそこから立ち去っていった。
実に感動的な場面です。しかも、イエスの機知も伝わってくる。
客観的に戒律が正しいかどうかなんてことは、イエスは言わないのですね。あなたはどうなのか。それをみんなに突きつけた。
もう一つ罠の話。
やはりスパイ連中が、イエスに質問します。
「イエスよ、われわれはローマ帝国に税を納めるべきかどうか。」
イエスは貧しい者の味方です。収めなくてもいいと言えば貧しい者達は喜ぶでしょうが、それはローマ帝国に対する明らかな反逆行為になります。死刑にされてもしようがない。
納めよといえば、やはりこれもイエスらしくない発言で支持者は失望するでしょ。
イエスはコインを見せよ、といってコインを手に取る。そして、質問したものに逆に質問する。これは誰かと。ローマのコインには、皇帝の肖像が刻まれているんですよ。
スパイは答えます。「カエサルだ。」
イエスは言うんだね。「カエサルのものは、カエサルに返しなさい。神のものは神に返しなさい。」
税がどうのこうのという前に、お前さん、ちゃんと神に対して正しい信仰を持っているのかい。そういってイエスは、逆にスパイをやりこめているようです。
こんな風に、イエスはユダヤ教指導者たちの追及を切り抜けていきます。
しかし、彼がユダヤ教のあり方を批判するだけでなく、救世主としての評判が高くなってくると、対立は徹底的になります。
ユダヤ教の保守的な指導者たちは、何が何でもイエスを捕らえて処刑しようとします。イエスに対するデマも流して、彼の評判を落とす。
最後の時期には、イエスは逃げ回りながら布教しています。
でも、ついに捕らえられて裁判にかけられることになります。
これは、ルネサンス期の大画家レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」です。
逮捕される前の晩、イエスは弟子たちと食事をする。その途中で、イエスは明日、私は捕まるだろうと言う。驚いた弟子たちが、えっ、それは何故ですか、まだまだ、逃げられますよ、と言うんですが、イエスは「この中の一人が、私を裏切るだろう」と呟く。その言葉を聞いた直後の弟子たちの動揺を描いた絵です。
結局ユダという弟子が、ユダヤ教指導者にイエスの隠れ場所を密告して、その結果イエスは捕まったとされています。
ユダヤ教の戒律は破ったかもしれないけれど、イエスは別に犯罪を犯しているわけではない。でも、ユダヤ教指導者たちにとっては、イエスに好き勝手にさせるわけにはいかない。是非とも殺してしまいたいんです。そこで、ローマ総督のところに引き渡すんですが、ローマ総督もイエスが犯罪者でないことはすぐわかったし、ユダヤ教徒同士の争いに首を突っ込みたくない。
しかし、ユダヤ教の指導者たちは
「この男は、ローマに対する反逆者だ、ユダヤの王と言っている」と言うんだね。
ローマ総督としては、反逆者をほって置くわけにはいかない。結局、イエスは反逆者として死刑判決を受けます。
ローマの死刑は、十字架に磔(はりつけ)です。
死刑囚は磔になる前に、ローマ兵からいたぶられる慣習があった。
イエスは兵士たちから服をはぎ取られ裸にされる。殴られたり蹴られたりもしたでしょう。
お前はユダヤの王だろう、王なら冠をかぶれ、と荊(いばら)でつくった冠をかぶらされた。荊はトゲトゲですからね、それを頭に被らされて、額からは血がだらだら流れる。この場面を描いた宗教画は、たくさんあるね。
最後は十字架です。これ、手足を釘で十字架に打ち付けるんですよ。
手のひらを打ち付けると、体重で手が裂けて外れてしまうらしい。だから正確に言うと手首の腱のところで打ち付けた。足も足首です。それだけでは支えきれないので、首から肩にかけての腱のところでも釘を打ち付けたという話もある。
こんな風にして十字架に掛けたあと、兵士が槍で心臓のそばを急所をはずしてチョイと突く。
血がだらだら流れながら数日間、苦痛と喉の渇きに苦しめられながら死んでいく。これが十字架の磔です。
イエスは、これで死んでいったのです。
信者たちは、どうしていたのか。
実は多くの支持者、信者たちはイエスが逮捕された段階で、彼を見捨てて逃げてしまったんです。
救世主がこんなに簡単に捕まって、しかも死刑になるわけがない。あいつは只の男だったんだ。そんな気持ちでしょう。救世主なんていってだましやがって! とイエスに憎しみを向ける者もいたようです。
弟子も逃げた。
ペテロという弟子は、逃げたんだけど裁判の様子が気になる。だから、裁判所の前でうろちょろしているのね。すると彼の顔を知っているものが
「あれ、あんたイエスの弟子じゃないか」と言うんだ。
ペテロはあわてて否定するんです。
「いえ、違います。イエス?そんな男私は知りません。」
弟子として、一緒に逮捕処刑されてはかなわない、と思ったんだね。
わっと集まった支持者たちは、わっと消えてしまいました。
結局、イエスに最後まで付き従い処刑まで見届けたのは、ほんの少しばかりの女性信者だけだったといいます。
イエスはわずか二年ほど布教活動をしただけで、処刑されてしまいました。まだ30歳をいくつか超えただけでした。
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