イエスの話は、これで終わり。
ところがキリスト教は、ここから始まる。
イエスが処刑されて数日後、女性信者三人がイエスの亡骸を引き取りに行ったんです。当時の墓は横穴式の洞窟になっている。イエスの亡骸もそこに入れてあったはずなんですが、彼女たちが入っていくと死体が消えていたというんだね。
死体は、確かになくなっていたらしい。そこまでは事実としましょう。
ところが、この話がどんどん伝わる中でイエスが生き返った、復活したと考える人々が現れました。
巻き添えになるのを恐れて逃げ散っていた弟子たちも再び集まってきて、弾圧を恐れずイエスの教えを人々に説きはじめます。彼らも復活したイエスに会ったという。
このようにしてイエスは復活した、イエスはやはり救世主だったと考える人々によって、キリスト教が成立しました。キリストとは、ギリシア語で救世主のことです。
救世主の復活を信じる人々は、キリスト教徒になりました。信じない人々はユダヤ教に留まり続けることになります。
復活ということをどう考えるか。これはもう歴史の授業から外れてしまうので、皆さんそれぞれが考えたらいい。
ただ、逃げていた弟子たちが再び活動を始めたのには、何かがあったんでしょうね。こういうのを宗教体験とか、霊的体験とか、啓示とかいうんだろうね。
イエスの弟子で有名な二人がペテロとパウロ。
ペテロは、裁判の時にイエスを知らないといった男です。ところが処刑後は熱心な布教活動をおこない、最後はローマで処刑された。
パウロは、イエス死後の弟子です。死後の弟子というのも変だけど、復活したイエスに会っているからそうなる。
パウロは、裕福なユダヤ人の家に生まれた熱心なユダヤ教徒でした。キリスト教徒を見つけだして迫害していた男なんです。ところが、旅行中に復活したイエスに会う。イエスは、パウロに「なぜ、私を迫害するのか」と声をかけたという。
これ以後パウロはユダヤ教を捨て、それまで迫害していたキリスト教の布教活動に生涯をかけるんです。
キリスト教の理論面で、パウロの功績は大きいです。イエスの教えを基に、パウロがキリスト教を創ったという人もいるほどです。
それから、パウロはユダヤ人だけどローマ市民権を持っていたんです。だから、自由に帝国内を旅行することができた。キリスト教徒として逮捕された時も、ローマ市民の権利としてローマ市で皇帝による裁判を要求した。そのため彼はローマ市に移送されて、そこでも布教活動をします。最後は、やはり死刑になりますけどね。
こういう弟子たちの活動によって、キリスト教はパレスチナ地方のユダヤ人以外にも徐々に広がっていきました。
キリスト教独自の聖典が新約聖書です。イエスの言動を記した文書や、弟子たちの手紙などから成っています。
イエスの死後から色々な文書が作られ始め、今のような新約聖書の形になったのは5世紀のことです。
旧約聖書もキリスト教の聖書ですが、これは元々ユダヤ教の聖典。キリスト教はユダヤ教から生まれたものですから、これも引き継いで読むわけだ。
新約というのは、新しい契約という意味。イエスと神の間で交わされた新たな契約を記した本、ということです。
それに対して、旧約とはイエス以前の神と人間との古い契約ということだね。
新約聖書は、多くの作者によってバラバラに書かれた文書の寄せ集めですから、イエスの人生も文書によって書き方が大分違うんですよ。
例えば、十字架に掛けられたイエスの言葉です。
一番早く書かれたマルコ福音書では、「おお神よ、なぜ私をお見捨てになったのですか。」
少し後で書かれたルカ福音書では、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」
全然、イメージが違うでしょ。どちらもイエス処刑後、たかだか40年から60年後くらいに書かれたものなんですよ。
だから、実際のイエスが本当にどんなふうだったのか、これを探るのは難しい。
授業のために何冊かイエスの本を読んだんですが、みんな違うのです。書かれているイエス像が。作者の数だけ、イエス像があると言ってもいいんじゃないかな。
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