2022/10/01

イエスの生涯(1)

出典http://timeway.vivian.jp/index.html

 

イエスの生涯

 さて、イエスその人のことですが、母がマリア、これはみんな知っているね。聖母マリアといわれる。父親は知っているかな。ヨセフです。この人は大工さん。父ヨセフ、母マリア、ですめば簡単なんですが、これが意外とややこしい。のちにキリスト教の教義が確立する中で、マリアは処女のままで身ごもってイエスが生まれたということになります。現実にはそんなことはあり得ないので、一体この話は何を意味しているのかと言うことになる。

 

 どうもこういうことらしい。マリアとヨセフは婚約者同士でした。ところが婚約中に、マリアのお腹がどんどん大きくなるんだね。誰かと何かがあったんでしょう。どんな事情があったかはわかりませんよ。ヨセフとしては、身に覚えがない。不埒な女だ、と婚約破棄をしても、誰にも非難されません。婚約破棄するのが普通だろうね。聖書を読むと、やはりヨセフは悩んだらしい。しかし、結局そんなマリアを受け入れて結婚したんだね。そして、生まれたのがイエスです。マリアとヨセフはその後、何人も子供をつくっています。イエスには、弟妹何人かいたようです。

 

で、イエスの出生の事情というのは、村のみんなが知っていたようです。のちにイエスが布教活動をはじめて、自分の故郷の近くでも説法をします。その時、同郷の者達が来ていてイエスを野次る。その野次の言葉が

 

「あれは、マリアの子イエスじゃないか!」

 

と言うんだね。誰々の子誰々というのが当時、人を呼ぶときの一般的な言い方なのですが、普通は父親の名に続けて本人の名を呼ぶ。だから、イエスなら「ヨセフの子イエス」と呼ぶべきなんです。「マリアの子イエス」ということは

 

「お前の母ちゃんはマリアだが、親父は誰かわからんじゃないか」

 

「不義の子」と言う意味なんです。だから、彼の出生は秘密でもなんでもなかった。イエス自身も、そのことを知っていたでしょう。

 

イエス自身が戒律からはみだした生まれ方をしていたんだ。「不義の子」イエスは、だからこそのちに最も貧しく虐げられ、絶望の中で生きていかざるを得ない人々の側に立って、救いを説くことになったのだと思います。

 

聖母マリアの処女懐胎、という言葉にはそんな背景が隠されているのです。

 

 イエスの若い時代のことはわかりません。多分ヨセフと一緒に大工をしていたんでしょう。30歳を越えたあたりから突如、布教活動を開始します。

 

注意して欲しいですが、イエスはあくまでもユダヤ教徒ですよ。新しい宗教を創ろうと考えていたわけではありません。律法主義に偏っているユダヤ教を改革しようと考えていたのだと思います。

 

 先ほど触れたことの繰り返しになりますが、イエスの教えの特徴をもう一度見ておきましょう。

 

まず、ユダヤ教の戒律を無視します。最も基本的な戒律の安息日も、平気で無視する。こんな言葉が残っています。

 

「安息日が人間のためにあるのであって、人間が安息日のためにあるのではない」

 

 次に、階級、貧富の差を越えた神の愛を説いたと言われます。身分が卑しくても、貧乏でも、戒律を守れなくても神は愛し救ってくれるというんだね。

 

有名なイエスの言葉で

 

「金持ちが天国にはいるのは、ラクダが針の穴を通るよりも難しい」

 

というのがある。ぶっちゃけて言えば、金持ちは救われない、と言っている。じゃあ誰が救われるか、それは君たち貧乏人だよ。イエスはそういっているんでしょう。

 

ユダヤ教のヤハウェの神は、厳しい怒りの神です。アダムとイヴが知恵の実を食べたら、怒って楽園追放でしょ。ノア以外の人類は洪水で皆殺し、バベルの塔も破壊して、人類を四方に飛ばして言葉を乱した。怒って罰を与える怖い神です。

 

この神の解釈をイエスは変えてしまった。怒りの神から愛の神へ変える。神がわれわれを愛してくれているように、われわれも敵味方の分けへだてをやめるように説きます。

 

「右の頬を打たれたら、左の頬も差し出せ」という。汝の敵を愛せということですね。

この言葉は、すごく衝撃的な響きだったと思うよ。この地域の伝統は何かというと、ハンムラビ法典以来、「目には目を、歯には歯を」でしょ。だから、右の頬を殴られたら殴り返すのが常識。ところが、イエスは左も殴らせてやれ、という。常識をひっくり返す。

人間は、それまで疑ったこともなかった常識をバッとひっくり返されたときに、そのものに強く惹かれるということがあります。イエスは、まさにそれをやり続けた。

 

 それから、イエスは説法で「時は満ちた、神の国は近づいた」という。この「神の国」は「イスラエル」と発音したらしい。イエスの話を聞いた人々の中には「イスラエル」という言葉から、過去に栄えたユダヤ人の国家イスラエル王国を連想する人々もいたんだ。その人たちは、イエスは宗教家の姿を借りてローマからの独立、ユダヤ人国家の復活を計画しているのだ、と期待しました。宗教的な救いと政治的な救い、周囲の人たちは、イエスに色々な期待を持つようになります。

 

 イエスの活動で、避けて通れないのが奇跡です。言葉による布教と同時に、イエスは行く先々で奇跡を起こします。具体的には、病癒しが多い。どんどん病気を治していくんだ。イエスがどこかの町に現れると、人々が病人をどんどん連れてきてごった返すありさまが聖書には書かれています。

 

本当に奇跡を起こしたのでしょうか。ここは授業としては触れにくいところだね。雑談として聞いてくれればいいけれど、私としては病を癒すというのは、ある程度あったと思います。ある程度ですよ。

 

イエスの病癒しには、盲目の人の目を開いたり、血の道で苦しむ女性を治したり、色々あるのですが、精神的な疾患と考えられるものもかなりある。そこへイエスが現れて、悪霊祓いをする。そして、権威あるもののように「あなたは治った、大丈夫だよ」と言われたら、それだけでホントに治ってしまう、そういうことはありそうでしょ。病は気から、という部分ね。

 

もう一つは、いわゆる手かざしというやつです。ハンドパワーと言うのかな。みんなは知らないと思うけど、何年か前に高塚ヒカルさんという人がいた。今もいると思うけど。この人は普通のサラリーマンなんだけど、病気の人の患部に手をかざすと、その病気が治ってしまうので有名になった。たしか、映画まで作られたと思うよ。高塚さん本人にも、何で病気が治るかわからない。けど、自分が手かざしをすると治ってしまうので、あちこちから引っ張りだこでした。

 

まれに、そういう理屈ではわからないパワーを持った人がいるんだね。前に勤めていた学校でもいました。生徒でね。男の子なんだけど、彼はおとなしい普通の子なんだけど、体育の時間が終わると、彼の前に行列ができるの。クラスメイトがね、順番を待って、彼に手かざししてもらうわけです。肩とか、太股とか、そうすると筋肉痛が治ってすっきり。体力が回復するんだって。先生もしましょうか、なんていわれました。私は遠慮しましたが。学年では有名人でした。ホントに治るのかどうか知りませんよ。ただ、やってもらった人が治った、スッキリしたと感じるということです。イエスは、特にそういうパワーを多く持っていたのかもしれない。

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