アーイシャとの婚姻をめぐる議論
ハディースなどの伝承によると、最初の妻ハディージャが没した後、ムハンマドはヒジュラ後のメディナ居住時代に寡婦サウダとアブー・バクルの娘アーイシャと結婚している。ムハンマドの妻たちの多くは結婚経験がある者がほとんどで、ハディースなどの記録による限り結婚時に処女だったのはアーイシャのみであり、特に当時のアラブ社会でも(現在でも、中東や東欧など第三世界でもそうだが)他の地域と同じく、良家の子女にとって婚姻以前の「処女性」は非常に重要視されており、アーイシャの場合も処女で婚儀を結んだことがムスリムの女性の模範のひとつとして重要視されている。
ただ、当時の習慣により、このムハンマドの最愛の妻と呼ばれたアーイシャは、結婚時9歳であり、対してムハンマドは50歳代に達していた。そのため反イスラーム主義者の一部は、これを口実に『ムハンマドは9歳の女の子とセックス(性行為)を行ったのではないか?』とムハンマドを攻撃する姿勢を見せている。
これに対して、前近代の人類社会では有力家系の子女が10歳前後で結婚することはありふれており、このこと自体は歴史的事実として確認されている、という反論がある。類例の場合は、結婚が成立してもおおよそ初潮後の適齢になるまでセックスは行わないのが通例であった。ムハンマドのケースにおいても、インドのイスラーム学者マウラナ・ムハンマド・アリーは、アーイシャがムハンマドと初夜を迎えた年齢は15歳であったと主張している。
一夫多妻に関しての議論
ムハンマドらが生きて居た当時、一定以上の財産・地位を持つ自由民男性は通常複数の女性と結婚し、当然ながら子孫を得るため彼女らとセックス・性行為を行った。これはムハンマドも同様であった。
この事自体は(現代ならばともかく)、その当時の人類社会における富裕層・支配層では極当たり前の習慣であり、前近代の社会においては一般的で過度に強調するべきことではないともいえる。しかしながら、一夫多妻が女性への人権侵害であるという考えも近現代では強く、かつムハンマドの事績は現代でも規範性を有しているため、論争になっている。ただし当然のことだが、この家族形態(一夫多妻)が前近代の社会で一定程度見られたことを事実として認めることと、この家族形態が当時さらには現代社会においても倫理的に正当性を有するとみなし、これを倫理的に是認するか否かと論じることは、また別の問題である。
セックスに対する認識
ムスリムの真正集によれば、ムハンマドはある日女性を見て、その足ですぐ家に戻り妻の一人ザイナブのところに行った。その後、教友(サハーバ)達の所に赴き、女性を見て彼女に欲情した時はすぐに妻のところに赴き性交することで情欲を抑えるように説教したとされる。
女性捕虜の取り扱い
歴史上、当時の戦争の習慣において当然のことであった女性捕虜の扱いは、前近代においてイスラーム共同体と、非ムスリム世界との戦争によって発生した女性の捕虜に対しても存在した。このことについて、ブハーリーのハディース集「真正集」には、ムハンマド在世中のヤマン遠征において、既にこのような事例が存在したことが記されている。ただしクルアーンによれば、捕虜であっても非ムスリムと婚姻を結んだり、性交におよぶことは禁止されている。
ムハンマドと奴隷解放
ムハンマドは当時の有力者と同じく奴隷を所有したが、その取り扱いは当時の基準に照らせばかなり寛容なもので、奴隷解放を勧めていたとされる。クルアーンとハディースでは奴隷の所有それ自体は禁じられていないが、なるべく奴隷を解放することに徳を見出し、奴隷に対しても自分が食べるものを食べさせ、自分が着るものを着せ、無理な仕事をさせず大切に扱うべきだと説かれている。ムハンマドとアブー・バクルにより、粗暴な主人のもとから解放された黒人奴隷ビラールは、初期のムスリムの一人である。
ムハンマドと識字
ムハンマドは字が書けず、読むこともできない文盲であった。このことに関する伝承は数多く存在する。しかし、非ムスリムの間で異論を唱える学者もいる。
ムハンマドの絵画描写
イスラームにおける偶像崇拝(ここでは、アッラーフ以外のものをあがめること)禁止の教義から、イスラーム世界では絵画や彫刻などの視覚芸術の発達にブレーキがかかった。とりわけ人物画は、偶像崇拝につながりやすいとして回避されてきた。あえて描写する場合は「預言者になる前のムハンマド」などとして、禁忌を回避する傾向が見られる。
しかし、これも地域差が非常に大きく、地域・時代によっては人物画を含めた絵画や彫刻が盛んに作られた場合もあり、預言者ムハンマドの肖像画も少なからず描かれた。ムハンマドの肖像画には「顔が隠されているもの」と「隠されていないもの」の両方が存在している。
このことは現代の日本でも配慮されていることがある。例えば集英社の学習漫画「世界の歴史」第6巻「マホメットとイスラムの国ぐに」(1986年刊行)では、ムハンマド(マホメットと表記)の顔は黒塗りで隠されたり、逆光や後ろ姿・顔部分をカットする技法を活かして読者が閲覧して不自然にならない描写にしている。欄外には「イスラム教徒の中に、神や預言者の顔を描いてはいけないという教えがあるため、マホメットの顔を描いていない」旨の注記がある。しかし、同じシリーズで先に刊行された「世界の歴史人物辞典」(全1巻、1984年行)では、ムハンマド(マホメット表記)の顔は他の人物と同じように描かれているが、改訂された2002年版では黒塗りで書き直されている。
学研の学習漫画「学研まんが 世界の歴史」はシリーズ刊行当初(1992年)、第7巻が「イスラム帝国と預言者マホメット」として、表紙はじめ各所でムハンマドの顔が描かれていたが、1995年になって7巻がそのまま別の主題(「西ヨーロッパの成立とカール大帝」)に差し替えられる形で旧版は絶版となった。他の歴史漫画でも、ムハンマドの顔を描かないように配慮したものもある。
ムハンマドを描いた映画
プロジェクト イスラーム
ザ・メッセージ(アラビア語版)(1976年、アメリカ・モロッコ・リビア・サウジアラビア・クウェート合作、ムスタファ・アッカド監督)
預言者ムハンマド(ペルシア語版)(2015年、イラン、マジッド・マジディ監督)
これらの映画についても、偶像崇拝を避けるためムハンマドを映さない演出が取られており、前者はムハンマド自身が見ている風景をスクリーンに映すという手法が取られている。後者はムハンマドその物は登場するものの、顔は映されず役者名も明かされていない。
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