2024/01/07

ムハンマド(3)

諸宗教におけるムハンマドの評価

イスラームにおけるムハンマド

イスラム教の公式教義におけるムハンマド

イスラム教の教義においては、ムハンマドは唯一神(アッラーフ)からイスラム共同体に対して遣わされた「神の使徒」とされ、最後にして最大の預言者と位置づけられている。「ムハンマドは神の使徒である」という宣誓は、シャハーダ(信仰告白)として、信徒の義務に位置付けられる。

 

ムハンマド自身は、自らを「預言者の封印」と称したが、それがどのような文脈で語られているかは、たびたび見逃されている。特にイスラム教徒は、その意味内容を拡大解釈する傾向がある。クルアーン「部族連合」(クルアーン33:40)において、この「預言者の封印」という言葉が登場するが、この箇所は、一般信者と預言者ムハンマドとを区別することがその主旨であり、他の預言者たちよりムハンマドが優れているということは一切言われていない。

 

このように「最後の預言者」は、もともと「最大の預言者」とは全く別の概念であった。これが現在のように「最後にして最大」と一体化するには、歴史の中ではかなりの変遷がみられる。クルアーン「砂丘」(クルアーン46:8(9))では、大天使ガブリエルが、「古今未曾有の使徒」であることをムハンマドに否定させている。さらに第二聖典ハディースにおいても、「旧約の預言者であるモーセやヨナよりも、私のことを優れた預言者であると言ってはならない」というムハンマド自身による戒めが何箇所かある。形式的には、これは現在のイスラムの信仰告白にも残されている。イスラム教徒へ改宗する際の信仰告白は「ムハンマドは預言者」であり、ムハンマドの預言者としてのスケールは告白しない。

 

第二聖典ハディースでは、ムハンマドの権威と偉大さを強調する文章が少なくない。 「預言者ムハンマドは完全であり、最大の預言者である」との考えがされるようになっていった。

 

スンナ派では、彼に使わされた啓示を集成したクルアーンによってのみ、人々は正しい神の教えを知ることができると考える。最良の預言者であるムハンマドの言行(スンナ)には神の意志が反映されているから、その伝承の記録(ハディース)も神の意思を窺い知る手がかりとして用いることができるとされる。

 

ムスリムの民間信仰におけるムハンマド

ムスリムの民衆にもムハンマドは非常に敬愛され、一種の聖者と見られている。ヒジュラ暦でムハンマドの誕生日とされるラビー・アル=アウワル月の12日は、預言者生誕祭として大々的に祝われる。

 

ムスリムの聖者崇拝においては、聖者を神の特別の恩寵を与えられた者と考え、聖者に近づくことで神の恩寵の余燼をこうむることが期待されるが、なかでもムハンマドは神に対して必ず聞き届けられる特別な請願をする権利を与えられていると考えられており、人々は宗教的な罪の許しをムハンマドに請えば、終末の日における神の裁きでも、ムハンマドのとりなしを受けることができると信じられている。かつてはマッカ、マディーナなどのムハンマドの生涯にゆかりの場所は、最高の聖者としてのムハンマドに近づくための聖地のようになっていたが、聖者崇拝のような民間信仰をイスラームの教えから逸脱した行為とみる厳格なワッハーブ派を奉じるサウジアラビアが当地を支配する現在では、聖者崇拝的要素は廃されている。

 

イスラーム神秘主義におけるムハンマド

内面を重んじるイスラーム神秘主義(スーフィズム)の流れにおいては、ムハンマドは「ムハンマドの光(ヌール・ムハンマディー)」と呼ばれる、神によって人類が創造される以前から存在した「光」として、神にまず最初に創造された被造物を受け継いで人間として生まれ出でたのだ、と観念された。

 

このようなムハンマド観は、イブン=アラビーの系統を引く神秘主義思想によって、ムハンマドという存在は、人間としてこの世に生まれた普通の「人間としてのムハンマド」と、それ以前から存在していた「『真理』あるいは『宇宙の潜在原理』としてのムハンマド」、すなわち「ムハンマドの本質(ハキーカ・ムハンマディーヤ、ムハンマド的真実在)」とに分かれていたのだと見なされるようになった。このようなムハンマド観には、仏教における仏身論との類似が指摘できる。

 

また、スーフィズムでは神との合一(ファナー)を成し遂げたスーフィーの聖人たちは、師資相承されてきたムハンマドの本質性、精神を継承する者として捉えられる。この点でイスラーム神秘主義におけるムハンマドは、禅における釈迦如来の位置付けに似ている。

 

キリスト教圏におけるムハンマド

カトリック、プロテスタント、英国国教会、正教会の違いこそあれ、キリスト教圏では、ムハンマドは「新たな契約を結んだイエスの後に、余計なものを付け加えた者」と映ることが多かった。そのため、古来よりイスラム教に対して敵愾心を持つことも多々あった。その最も端的な例が、ビザンツ帝国への初期イスラームの侵攻による征服以後、イスラム教徒の支配下にあった、聖地エルサレムをキリスト教支配下に再征服する目的で編成された十字軍といえる。

 

イスラームについての正確な知識が乏しかった中世ヨーロッパにおいては、ムハンマドはサラセン人の信仰する神々のうちの一柱であるとも考えられていた。たとえばフランスの武勲詩『ローランの歌』において、マフム(Mahum, Mahumet)はテルヴァガン(Tervagan、語義未詳)およびアポリン(Apollin、アポロンが語源)とともに、サラセン人多神教の主要三神であると歌われている。また、南ドイツの伝説的英雄ディートリヒ・フォン・ベルンは悪霊マフメット(Machmet)の子供であるという伝説も流布していた。フランソワ・ラブレーの『パンタグリュエル』では、マホン(Mahon)が悪魔のうちの一人として現れている。

 

またムハンマドは、反キリストであるという説もあった。9世紀アンダルスのアルヴァルスは、ダニエル書723節から25節の『第四の獣は地上の第四の王国であろう。これはすべての国よりも大きく、全世界を併合し、これを踏みつけ、かつ打ち砕く。十の角は、この国から起こる十人の王である。その後に又一人の王が起こる。彼は先のものよりも強大であり、かつ三人の王を倒す。彼は、いと高きものに敵して言葉を出し、かつ、いと高きものの聖徒を押しつぶす。彼は又時と律法とを変えることが出来ると考え、聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手に渡されるであろう。』というくだりに出てくる『十一番目の王』をムハンマドと解釈した。

 

文学の世界でも、1980年代末にイギリスの作家サルマン・ラシュディが、ムハンマドをスキャンダラスに描写した『悪魔の詩』を発表して、イランの最高指導者アーヤトッラー・ルーホッラー・ホメイニーのファトワーにより死刑宣告を受け、世界に衝撃を与えたことがあった。

 

ユダヤ教におけるムハンマド

ユダヤ教では、イエス同様ユダヤ教の内容を歪曲した新宗教を作り上げた人間とされている。

 

バハイ教におけるムハンマド

バハイ教ではムハンマドを預言者の一人として崇敬している。しかし彼らが従うのは、バーブおよびバハーウッラーの教えである。

 

シーク教におけるムハンマド

シーク教においてもムハンマドは預言者、聖者として高い尊敬を受けている。

0 件のコメント:

コメントを投稿