2024/03/10

イスラム教(3)

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「断食」。

一年に一ヶ月断食月があります。ラマダーンと呼ばれる月です。これは、まったく何も食べないのではない。日の出から日没まで、太陽の出ている時間帯に食べ物を口にしない、というものです。日が沈んだら、食べてもよいのです。

 なかなか、しんどそうですね。

 ところが、イスラム教国の人たちには、このラマダーンはそれなりに楽しいものらしい。お祭りに近いものがあるということです。

 

 自分だけダイエットして、好きなものが食べられなくて空腹というのはつらいけれど、ラマダーンにはみんなが食べられない。「あー、腹減ったな、つらいな。」と思う。隣の奴の顔を見るとそいつも「あー、腹減った。」という顔をしている。こいつも、あいつも、みんなつらいけど我慢しているんだと思うと、なんだかともに戦っている、みんな仲間だという連帯感が芽生えてくる。

 

 さあ、日が沈みます。「やったー!」って、みんなが思うのですよ。この時の開放感がたまらないらしい。親戚や友人がみんなで食べ物を持ち寄って、夜はパーティです。イスラムはお酒は禁止だから、食事会。こういうお祭り気分が一ヶ月続く、それがラマダーン。イスラムの「断食」です。

 

 「喜捨」。

これは富めるものが貧しいものに財産をわけあたえることです。イスラムは商人の倫理が根っこにあるから、まともな取引で儲けることはいいことなんですが、儲けっぱなしで、財産をため込むことを卑しいこととします。儲けたなら、それを貧しいものに施すことを勧めます。

 

 これは、逆から見ると、貧しい者は豊かな者から恵んでもらって当然だ、という考えになる。日本人がイスラムの国に旅行した。駅を降りると乞食の人が寄って来るんだって。「金をくれ!」と言うその乞食の人の態度が滅茶苦茶でかい。日本人から見ると威張っているように見える。ムッとして「なぜ、お前に恵まなければならないんだ?」と問いかけたら、「お前は日本人だろう、お金をたくさん持っているはずだ。俺は貧しい。豊かな者が貧しい者に恵むのは当然のことだ。俺がお前の金をもらってやる。そうすればお前は喜捨ができて、来世で救われるのだ。」と理屈を言ったそうです。

 

 本で読んだか人の話か忘れましたが、そんな感じらしい。貧しい者がもらってやらなければ喜捨はできないので、貧しい者も卑屈になる必要がない。貧しいということは、どんな世界でも決して楽しいことではないはずです。でも、こういう喜捨の考え方があれば、表面だけでも貧しい者が卑屈にならなくてもすむのかもしれません。

 

 喜捨と関係するのですが、イスラム世界ではイスラム銀行という銀行がある。この銀行は、日本や欧米の銀行とは違って利子がないのです。預金を何年しても利子が付かない。なぜ、預金者はこんな銀行に預けるのか?

 銀行は預金の運用益を喜捨的な事業に使うのです。だから、イスラム銀行に預けるということは、間接的に喜捨をすることになる。

 

巡礼。

これは、メッカに巡礼することです。一年に一回、巡礼月があって世界中からイスラム教徒がメッカに集まってくる。テレビでも最近よくやるので見た人もいるでしょう。現在メッカはサウジアラビアにあるので、サウジ政府は巡礼者の受け入れに非常に気を配っている。また、それがサウジ政府の威信を高めることにもなっているようです。

 メッカに巡礼するということは、交通の不便だった昔はなかなかできることではなかった。一生に一度はメッカ巡礼を果たすことがイスラム教徒の悲願でした。だから、今でも巡礼をした人は「ハッジ」と呼ばれ、地域の人々から尊敬をされます。

 

その他の特徴

 六信五行以外にイスラムの特徴を見ておきます。

聖戦。ジハードともいう。

 これは、イスラム教徒が異教徒と戦うことです。

 

 イスラム法。

 イスラム教徒は、コーランにしたがって生活します。コーランには宗教的な話だけではなくて、日常生活のルールもいろいろ定めている。ムスリムとして生活しようとすると、宗教生活以外でもコーランに縛られることが多いのです。また、ムスリムが生活上でいろいろなトラブルがあった場合にも、コーランの記述に基づいて裁く。

 こうして、イスラム世界ではコーランに基づく法律が発展しました。これをイスラム法という。

 

 イスラム法を学んだイスラム法学者、ウラマーという人たちが、人々の日常的な生活の相談から政治的な指導までする。そういう世界です。

 日本や欧米では、政教分離が原則ですね。政治に宗教が関わらないように制度上さまざまな工夫をしている。ところが、イスラムでは政治・法律と宗教を切り離すことができない。すべてがイスラム教に関わっているのです。

 だから、一日五回の礼拝や、断食月なども可能になるのです。

 

 たとえば結婚ですが、ムスリムは結婚前に両者が契約書を作る。何が書いてあるかというと、離婚する場合の条件が書いてある。離婚の場合、夫はどれだけの金額を妻に渡すとかなんとか。契約書をイスラム法学者に見せて問題がないのを確認してもらってから、正式な結婚となります。こういう結婚の仕方がイスラム世界でどこまで一般的かはわかりませんが、そういう地域もあるということ、生活のすべての面がイスラム法、コーランに基づいているということを覚えておいてください。

 

 聖職者の存在を認めない。

 イスラム教ではお坊さん、聖職者はいません。信者はすべて対等です。キリスト教の牧師や神父のように、神と人間をつなぐ一般信者以上の存在は認めていません。

 テレビを見ていると「○○師」という名前で聖職者のような人が出てくるときがありますが、あれはイスラム法学者で聖職者ではないのです。イスラム法を解釈するだけで、神との関係で特別な地位にあるわけではない。

 ただ、一般民衆の心情として「聖者」を求める気持ちはあって、地域地域でいろいろな聖者がまつられています。ただ、これは公式的なイスラム教から見ると変則的ということになる。

 

 商人の倫理を重視。

 ムハンマド自身が商人だったこともあって、イスラムは商業倫理を尊重しています。仏教でも、キリスト教でも商売を軽視、もしくは蔑視するところがある。これは、農民のように額に汗して手に豆を作って働きもせず、右のものを左に動かすだけで儲けることを卑しいこととしたためです。イスラムには、こういう面はない。

 むしろ、商人が正しい契約によって利益を得ることを積極的に肯定している。

 

 このため、イスラム世界では商業が発展した。中国から地中海にまでまたがる交易ネットワークが形成された。唐の時代に広州には、ムスリム商人がたくさん住んでいました。日本にまでイスラム教徒は来ているんですよ。室町幕府の三代将軍足利義満に仕えたムスリム商人がいて、この人は河内の女性と結婚して子供を作った。この子が幼名ムスル、日本名が楠葉西忍(くすばさいにん)という。やっぱり室町将軍に仕えて、日本商人を引きつれて中国の明に貿易に行ったりしている。

 歴史に名前を残しているのはかれくらいですが、そのほかにも記録に残っていないムスリム商人がたくさん九州あたりには来ていたかもしれないと思うと面白いです。

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