https://timeway.vivian.jp/index.html
文学の隆盛
唐の文化といえば文学、なかでも詩を語らなくてはすまないね。NHKで早朝に漢詩の番組がありますが、ほとんどが唐の時代の詩です。いまだに日本でも愛好者は多い。個別に見ていきましょう。
李白(701~62)
天才詩人です。自由な詩風。開放的、貴族的、といわれます。西域貿易で大儲けした商人の息子に生まれた。苦労なしで育ったから、自由な詩風だったのかもしれない。
「少年行」は、先ほど紹介しました。明るく華やかな詩を書く人ですね。お酒の詩も多い。黙って二人で飲もうじゃないか、とかね。
李白の才能は評判となり、やがては玄宗の宮廷に出入りするようにもなります。
当時の文学者というのは、みんな官僚か官僚志望の人たちです。官僚というのは、人並みの文章が書けるのは当たり前の教養なんです。その中で飛び抜けた才能を持つ者は、今でいうスターです。スター詩人は、貴族や役人のいろいろな宴会の席によばれて、その場にあった詩をひとひねりする。見事な詩を即興で作り上げて拍手喝采を浴びる。ますます評判があがる、という寸法です。芸人に近いところがある。
李白は陽気で華やか、自由奔放な性格ですから、そういう宴席でも人気があるのです。かれが来れば座が盛り上がる。
ある時、玄宗皇帝が船遊びをしていた。お気に入りの側近を集めて宴会です。玄宗、余興に李白を呼んで詩を詠ませようと思った。側近に李白をよびにいかせますが、家にいない。酒好きの李白ですから、酒場を探したらいました。皇帝陛下がお呼びです、どうぞいらしてください、と使者が告げるんですが、李白はすでに出来上がってしまってぐでんぐでん。
とにかく使者は、なんとか李白を宴席に連れてきました。李白はフラフラしていて、ドテーンとソファにふんぞり返って、テーブルの上に両足を投げ出しました。態度でかいのです。ついでに横に立っていた男に命令した。「おいお前、俺の靴を脱がせろ。」
立っていた男は高力士という宦官で、玄宗のお気に入りの一人だったんですね。この俺様に対して、と思ってムッとするんですが、李白はお客様で自分は宦官ですから、その場はしゃがみ込んで李白の靴を脱がせた。当時の靴はブーツのような編み上げ靴だった。脱がせるのに時間がかかる、酔っぱらいの足だから臭かった。
高力士は、この時の恨みを忘れない。折に触れて玄宗に李白の悪口を言ったらしい。あの男は才能を鼻にかけて、陛下を馬鹿にしているとかね。ついに玄宗は、李白を長安から追放してしまったという。ちなみに高力士は、のちに玄宗の命令で楊貴妃を絞め殺すことになる男です。
こんな事があっても、自由気ままな李白の性格は変わらなかったようです。
このエピソードを李白の親友、杜甫が詩にしています。
「飲中八仙歌」
李白は一斗、詩百篇
長安市上、酒家に眠る
天子呼び来(きた)れども船に上(のぼ)らず
自ら称す、臣は是(こ)れ酒中の仙、と
最初の句は、酒を一斗飲めば詩が百でてくる、という意味。
李白は「詩仙」と称されます。在命中から、天国から間違って地上に落ちてきてしまった詩の仙人、といわれていた。最後の「酒中の仙」とは、それをふまえています。皇帝の使者がよびに来ても、「俺は詩の仙人じゃい、皇帝がなんぼのもんじゃ」とうそぶいていた、という感じでしょうか。
杜甫(712~70)。
李白と並び称される大詩人。「詩聖」といわれる。
李白とは正反対の性格で、地味で不器用な人。官僚になるため、縁故を求めて就職活動をずっとしているんですが、ダメなんです。詩人としては有名になるんですがね。
40代になって、ようやく下級官僚になるんですが、ちょうど安史の乱が起こってすべてがパーになってしまった。その後は各地の有力者の世話になりながら、諸国を放浪して生涯を終えました。
苦労した人だから、作品も庶民の生活や兵士の苦労、戦乱の悲惨、そういう社会的な題材を多く取り上げています。
王維(701~61)
自然を描く詩にすぐれ、画家としても有名。
少年の頃から、天才の名をほしいままにした宴席のスーパースターの一人です。官僚登用試験にも合格して、官僚としても出世した。この人も安史の乱に遭遇して捕虜になる。無理矢理に安禄山に仕えさせられたこともあった人です。
白居易(はくきょい)(772~819)
白楽天(はくらくてん)ともいいます。前の三人より、あとの時代の人です。
「長恨歌(ちょうごんか)」という詩が有名。これは玄宗と楊貴妃の悲恋を詩にしたものです。平安貴族に愛唱されたので、日本で有名になりました。
白居易は、作詩するときに何度も推敲する。推敲の仕方が面白い。まず詩ができると、街へ出ていき道ゆく老婆をつかまえて無理矢理詩を聞かせる。お婆さんが「よくわからないなあ」という顔をしていたら、持ちかえって書き直す。で、また通りすがりの老人をつかまえて聞かせる。聞かされた人が「いいねえ」という顔をしたら完成です。
白居易が、ためしに聞かせる相手はみんな庶民。文学の素養なんかない普通の人ばかり。そういう人たちでも感動できる作品をめざすのです。かれの詩の特徴は平易で流麗ということですが、こういう作詩の態度からきているのですね。
日本の貴族たちにうけたのも、平易な文で理解しやすかったからではと思います。
文という文学分野が中国にはあります。
唐と次の宋の時代に文の名人が八人。これを「唐宋八大家」といいます。唐には、そのうち二人がいます。
韓愈(かんゆ)(768~824)と柳宗元(りゅうそうげん)(773~819)。
南北朝時代は、四六駢儷体(しろくべんれいたい)という華麗な文体が流行するのですが、これにたいして漢代風の骨太い文を復興した。
0 件のコメント:
コメントを投稿