2024/03/28

イスラム教(5)

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イスラム(教)(إسلام islaam)とは、世界三大宗教の一つに数えられる一神教の一つである。

 

正則アラビア語(後述)に従いイスラーム(教)と呼ばれることもあり、その言葉は「唯一のアッラー(神)への絶対的帰依」を意味する。ちなみに「平和」を表し、挨拶にも使われるアラビア語サラーム(سلام salaam)も、またイスラムと同語源であり、「神威の下での平安」というニュアンスを持つと同時に、アッラーの99の美称の一つ(つまり平和=神そのもの)である。

 

概要

いわゆるアブラハムの宗教の一つであり、ユダヤ教やキリスト教の流れを汲む。成立は西暦600年頃と主要宗教のうちでは比較的に新しく、セミリタイアして瞑想生活に入った名門商家ハーシムのご隠居ムハンマド(モハメッド、マホメッド、マホメットとも)が、40歳くらいの頃にメッカ近郊の山中にて、アラビア語で神から啓示を授かったことから始まるとされる。

 

信徒はイスラームの行為者形であるムスリム、つまり「唯一のアッラー(神)に完全に帰依した者」と呼ばれる。信徒数はキリスト教に次いで世界第二位の16億人。なお、キリスト教の最大信徒数を擁するローマ・カトリック教会は約11億人であるのに対し、イスラム教最大の宗派であるスンナ派(後述)は14億人以上いるとされ、宗派ごとにみればスンナ派イスラム教が世界最大となる。

 

ムスリムの分布はアラビア半島から西は北アフリカ、東は東南アジアまで広がっているが、最大のイスラム教国はなんと中東ではなくインドネシア。また近年では欧州全土、とくに南ロシアにおいて増加している。

 

なお、日本国内には外国人を含め10万人のイスラム教徒がいるとされ、さらに日本人のイスラム教徒も1万人程いるとされる。

 

宗派・派閥

ü  スンナ派

ü  シーア派

ü  ハナフィー学派

ü  ハンバル学派

ü  マーリク学派

ü  シャーフィイー学派

ü  ハワーリジュ派

ü  十二イマーム派

ü  イスマーイール派(七イマーム派)

ü  ニザール派

ü  ザイド派

ü  カイサーン派

ü  アラウィー派

 

イスラムはもともと同じ1つの宗派であり、開祖であるムハンマドを中心として広まっていったが、後に様々に分派しており、大きく分けるとスンナ派(スンニ派)とシーア派に分けられる。

分布や信徒数でいうならば、スンナ派の方が圧倒的な多数派である。シーア派は主にイラク・イランなどにおいて信仰されている。どちらの宗派も、さまざまな分派が生まれている。

 

なお宗派でルールが異なる。スンナ派の指導者は「小イマーム」「大イマーム」、最高指導者・正当後継者は"預言者の代理人"を意味する「カリフ」としているのに対し、シーア派においては"模範となる者"の意味を持つ「イマーム」が最高指導者として扱われる。

 

スンナ派では、イスラムの法解釈やルール決定を複数の法学者らによる合議で決めるので、代理人に過ぎないカリフには独断での法解釈やイスラム教の行く末を左右する権限はない。シーア派の場合は、最高指導者イマームは預言者の後継者であるため、イマームによる法解釈が正式なものとされている。

 

ただ、同じ宗派であっても各学派や系列によって解釈が異なり、たとえばスンナ派の場合、中世において棄教はハンバル学派など、ほとんどの学派で死刑とされてきたが、ハナフィー学派では禁固刑に緩和すべきとしていた。現代でも各学派や指導者によって解釈に差異があるほか、現在ではインターネットの普及により宗派を問わずインターネットの掲示板や質問サイト等に解釈を求める動きも認められる。

 

歴史

イスラムは、概要にあるとおり最初にムハンマド自身が神から啓示を授かり、その後家族や友人へと広がり、段々と勢力を伸ばしていった。ムハンマドが死んだときは、預言者の代理人として正当な指導者を選出するカリフ制度ができたといわれている。初代カリフには、彼の友であり近親以外の一番弟子であり(9歳の娘アーイシャをムハンマドに嫁がせたため)義父でもあったアブー・バクルが、共同体での合意により選出された。

 

しかしムハンマド個人に対する信義と忠誠を誓っていた派閥がアラビア各地におり、「俺らが忠誠を誓ったのムハンマドさんだから。お前じゃねーから。」とカリフ決定に納得せず離反しようとしたため、アブー・バクルはこれらと戦い鎮圧、イスラム教を再統一した。

 

分裂の危機にあったイスラム教だったが、初代カリフであるアブー・バクルの統一以降は2代目ウマル、3代目ウスマーンまでは少々不穏でありつつも再び勢力を拡大していった。

 

3代目カリフにはクライシュ族の有力な一門ウマイヤ家であるウスマーンが選ばれる。だが、自分の一族をメインにした政策ばかりとっていたため徐々にウマイヤ家への風当たりが強くなり、最終的にウスマーンは暗殺された。その後改めてカリフが選出され、ムハンマドの甥であるアリーが4代目カリフにつく。

 

だがアリーとの後継者争いに敗れた、ウマイヤ家のムアーウィヤが「ウスマーンが殺されたのはアリーの一派による陰謀」として報復を叫び、イスラム内で再び大きい対立が発生する。アリーが身内から分派した派閥ハワーリジュ派に暗殺されたことで、5代目カリフに就任したムアーウィヤは、東ローマ帝国との戦争で手に入れた自らが総督を務めているシリアに、世襲制の王朝を開いた。これにより世界最初のイスラム帝国であるウマイヤ朝が誕生する。

 

ウマイヤ王朝はその後、国家として体制を整え強大な国力を有するようになる。他の派閥も恭順を誓っていき、ウマイヤが多数派となったためアリーを失ったアリー派は少数派へと転落した。しかしアリー派は「4代目カリフのアリーと、ファーティマとの子孫だけがイスラムを導く資格がある」として、ムアーウィヤのカリフ就任を認めないスタンスを崩さず、アリーを支持する党派(シーア・アリー)がのちの「シーア派」に、慣行(スンナ)を重視するウマイヤを中心とした他の多数派が「スンナ派(スンニ派)」へと分裂していった。

 

ウマイヤ朝がカリフを選出ではなく世襲にしたことで、今までのイスラムの体制とは明らかに変質しているため、一般的には"正統カリフ"とされているのは第4代アリーまでである。ちなみにイスラムにおいて現在、正式に承認された最後のカリフは、オスマン帝国の皇太子であったアブデュルメジト2世(18681944年)。1922年のトルコ革命により共和制となり政教分離が行われた。その際にカリフ制も廃止された。

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