2024/03/20

イスラム教(4)

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 手形や為替のような商業システムも整備されました。

 商業が発展すると、当然都市も発展する。

 都市はその中心にモスクがあります。モスクは礼拝所です。寺院に近いですが、正確には寺院ではない。信者が礼拝のために集まる集会所と言った方がよい。イスラムは偶像崇拝禁止ですから、モスクの中にも何もない。ただ、部屋の壁にメッカの方向を示すくぼみが作ってあるだけです。ご本尊やご神体をまつってある寺院ではない。

 

 もう一つ、都市の中心にあるのが市場です。バザールです。すっかり日本語になっているほどです。ここで、さまざまな取引がおこなわれる。

 それ以外に都市には、隊商宿、公衆浴場、公衆便所、賃貸アパート、貸店舗などが整備されていました。

 

 こういう都市の公共施設は、富裕な商人たちが拠出した信託財産によって維持されています。この信託財産のことをワクフという。だいたいイスラム教国の町にいくと、水飲み場とか噴水とかきれいにしてある。政府ではなく、町の富裕な商人たちのワクフで整備している。

 イスラムの教えに基づいて、お金持ちがワクフとか喜捨とかキッチリするならば、弱者救済や公共事業が民間でできるわけで、政府なんていらないようなものです。実際、イスラム世界の人たちにとって政府、国家は上から突然やってきて税金だけ取る不要なもの、という感覚が強いようです。よく言って必要悪というところ。

 ムハンマド時代、そしてムハンマド死後のしばらくの間は、イスラム世界には国家はなくて「イスラム」だけで人々は生活していたわけですから、本来ムスリムの共同体=ウンマがしっかりしていれば国家などなくてもよいということになる。

 

 おまけですが、プリントにエジプトの研究所で働く女性の写真を載せておきましたが、これは、典型的なイスラム女性のイメージではないかな。

 全身を服で覆って、頭からすっぽりヴェールをかぶっています。肌はどこも露出していない。

 ただ、これは極端な格好で、インドネシアやマレーシアでは女性もここまで肌を隠してはいません。せいぜい頭髪をスカーフで覆っているくらいです。

 

 日本でもイスラム教に入信する人が増えています。多くはイスラム教徒の男性と結婚して改宗する女性のようです。

 数年前の新聞記事ですが、地方都市の女性がイランの男性と結婚してムスリムになった。で、戒律に従って頭髪をヴェールで覆って長いスカートと長袖の服を着てできるだけ素肌を見せないようにしていたの。この女性が免許の更新で警察にいった。免許の写真を撮る段になって、警官が「ヴェールを取れ」と彼女に言ったんですね。彼女は宗教上の戒律で頭のヴェールははずせません、顔はこのままでもわかるはずだから、このままで写真を認めて欲しいと訴えたんですが、聞き入れてもらえなかった。

 

 免許がないと困るので、泣く泣くヴェールをはずして免許の更新はしたのですが、後から考えるほどに腹が立つ。憲法で保証されている「信教の自由」を侵害されたと怒っているという記事。こんな事件も起きているんだね。

 ちなみに東京などでは同様の女性がたくさんいるようで、ヴェールを頭に着けたままで免許の更新を認めていると書いてある。

 

 それはともかく、なぜイスラムでは女性はヴェールをつけるのでしょう。

 イスラムでは人間は弱いものだ、という発想がある。人間は意志が弱いという前提で、イスラムの倫理は組み立てられている。先ほど、結婚の前に離婚の条件を決めておく話をしましたが、夫婦の愛も永遠に続かないかもしれないという、非常に冷静な判断をはじめにしているのです。人は弱いから。決して、永遠の愛は誓わない。

 

 同様に、男の理性は性欲に打ち勝てないかもしれない、という前提に立つのです。

 弱い男の理性を崩壊させないように、女は肌を隠す、ということらしい。面白い理屈です。

 だから、単純に女は引っ込んでおけ、という発想のファッションではないようですね。しかし、現代では肌を出すことができないことは、女性に対する抑圧だという意見がイスラム世界の女性からも出ているようです。

 

 実際のところ、こういう格好をしている女性はどんな感覚なのか。日本人女性でエジプトの大学に留学した人が、そのあたりを体験を含めて書いている。

 目をのぞいて全身を覆うと、気分的には楽になるそうです。男たちに見られるというプレッシャーから完全に自由になれる。逆にヴェールの内側から男をじろじろ見ても、誰にも気づかれることはないわけでしょ。それほど、悪いものではないらしい。あくまでも、その日本女性の感覚ですよ。

 

 イスラムでは一夫多妻で男は妻を四人持てるというのは有名な話です。あれも、男尊女卑の典型のように思われがちですが、ムハンマドとしては女性を保護するためだったらしい。

 イスラム以前のアラブ社会も一夫多妻で、男は何人でも妻を持つことができた。ムハンマドのイスラムは、それを四人に制限したのです。

 しかも、ムハンマドは「すべての妻を平等に愛せるならば」四人まで持ってよいと、条件を付けている。これ、厳密に考えたら複数の女性を平等に愛するなんて不可能でしょ。だから、現実には一夫一婦制に限りなく近い。ムハンマド自身もハディージャが亡くなるまでは、他に妻を迎えませんでしたね。

 

 それなら、はじめから一夫一婦制にすればよかったんじゃないか、という声も聞こえますが、ムハンマドがメディナに移住したはじめの頃は、イスラム教対メッカの戦争などでムスリムの男性は多く戦死しました。結果、未亡人がたくさん出現した。残った男たちに、彼女たちの生活の面倒を見させるために一夫多妻を認めた、というのが四人の妻を認めた理由です。

 

 また、公共の場では男女を一緒にしないのがイスラム世界では一般的です。先日イランの映画を見ていたら、小学校では男子と女子の登校時間が違うんだね。女子が帰宅してから男子が登校するの。

 イランではスキー場でもゲレンデが男女別になっていて、家族でスキーに行ってもお父さんとお母さんは別のゲレンデ、兄と妹も一緒には滑れないようになっています。銭湯みたいですね。

 

 最後に、サウジアラビアとかイランとか、女性が顔を隠すのが一般的な国では恋愛はどうなっているのでしょうか。

 イスラム教であろうと、年頃になれば女の子が好きになる。ところが、若い男が女の子と知り合う機会は全くない。町を歩けば女性とすれ違うけれど、容姿どころか年齢すらもわからないんだから、好きになりようがないです。まことに可哀想です。

 だから、結婚は親が決めたお見合い結婚が一般的らしい。

 

 それでも恋愛結婚も、あることはある。

 これはどういう場合かというと、ほとんどはいとこ同士です。親戚同士なら幼い頃から行き来があるし、顔を見ることができるわけですよ。だから、男の子にとって思春期になったときに知っている女の子といったら、いとこしかいないわけ。彼女しか知らないのだから当然、彼女を好きになる。男子と知り合う機会のない女の子にとっても事情は同じです。

 でも、彼女はヴェールの向こう側からしっかり比較検討していたはずです。

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