Kyrie(キリエ)
いきなり序奏なしで、合唱が「キーリエ」と歌い始め、続いてテンポが速くなりソプラノ・ソロがメロディアスに歌い始めるところがかっこ良い。再度、冒頭の部分が戻り、荘重な雰囲気で終結する。
モーツァルトは1777年9月、職を求め母アンナ・マリアと一緒にマンハイム・パリ旅行に出かけたが、結局就職口は見つからず失敗し、パリでは母親を亡くし1779年1月に憔悴のうちに帰郷した。
1780年11月にオペラ『イドメネオ』の初演のため、ミュンヘンに旅に出るまでの2年間をザルツブルクで過ごし、この間にミサ曲とヴェスペレ(晩課)を作曲しているが『戴冠ミサ K.317』はその最初の作品であり『ミサ・ソレムニス ハ長調 K.337』までの18曲のミサ曲の中で、最も広く知られるようになった。
この作品は、1779年3月23日に書き上げられ、同年の復活祭の祝日(4月4日)で初演された。ザルツブルクの北側の丘の上に建設された、教会の聖母戴冠像のために作曲されたことから『戴冠ミサ』の名称がつけられたといった記述があるが、実際に戴冠の儀式が行なわれたのは6月であるという記述がされている。
その後『戴冠ミサ』という名称は、1791年にプラハで行なわれたレオポルト2世の戴冠式で、サリエリが指揮して以後に定着された。また、第6曲の「アニュス・デイ」でのソプラノ・ソロが、オペラ『フィガロの結婚』第3幕で伯爵夫人が歌うアリア「楽しい思い出はどこに」によく似ている事でも知られている。
基本的には「キリエ」、「グローリア」、「クレド」、「サンクトゥス」、「アニュス・デイ」のいわゆる「ミサ通常式文」の順序に従っているが、モーツァルトはこの作品を「サンクトゥス」と「アニュス・デイ」の間に「ベネディクトゥス」を入れて、以下の通りの6曲構成とした。
ü 第1曲 キリエ(あわれみの讃歌)
ü 第2曲 グローリア(栄光の讃歌)
ü 第3曲 クレド(信仰宣言)
ü 第4曲 サンクトゥス(感謝の讃歌)
ü 第5曲 ベネディクトゥス(ほむべきかな)
ü 第6曲 アニュス・デイ(平和の讃歌)
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